詩の解説のような、を続けていきます。
言葉は群れになって走る方が速いのです。
かみさま、のような、
誰かだけのマリア様のような、
縋らせてくれる存在を、
無為の中からでも導いて描けたら。
そんなことを思いながら書いた詩です。
その友は、
返事を受け取れないひとなのです。
それでも慈しみはいつでも感じていられるように思っています。
そのひとの生活のどこかで私を想ってくれたひと時があったように、
手紙を折るそのときのように、
祈りを私に向けてくれたかもしれない。
その風は、
私に無慈悲でもかまわないのです。
ひとを好きであることは悪いことではない。
たとえ、それは生産性のない愛でも、
未来には現れない愛でも、
悪いはずがない。
ドクグモの足はきっとやわらかい。
どの毒も、きっとやさしく、確かな毒だといいと思った詩です。
くだらなくとも、
私の足先を握りしめていてほしい。
その安心のためならば、
いくつもの道筋を曲げてしまいましょう。
それくらい必死に、
信頼を乞うている詩です。
わたしが手に入れたはずのあなたの全ては、
もはや幻で、
そんな莫大なものを入れられる器には成れず、
あなたの秘されたものは目の端にも留まらずに去っていくのです、
という詩です。
二階には大人しい子供のあなたがいる。
私はそれを守っていようとして閉じ込めてはいないかしら。
怖がらせていないかしら。
それはずっと分からない。
だって、
あなたはわたしと目を合わすことがないから。
という感じの詩です。
それでも言わずにいることに耐えられなかった私の詩です。
天使の輪に私はどれほど烏滸がましく、
騒々しく、はしたなく映るだろうか。
その愛があったとしても、
けしてあなたの一部に映ってはいけないものが、
私なのです。
という詩です。
絵を描く人は、絵を描き、
物語りを書く人は、物語りの手触りを忘れない。
その腕を折るわけにはいかない。
生活に根を張ったそれらは、
双子のように思いやり、
恩師のように縛り付ける。
その強さをいつまでも望んでしまうのが、
造り人なのかしら、という詩です。
死の水を吐いてください。
手に受けてすぐ、飲み干しましょう。
そういう詩です。
以上、詩の解説のような、でした。