父の重篤な症状
こんばんは。akitoです。今年は初詣に行っていろんな神社へお参りしたのですがそのご利益は消し飛んでしまいました。
1月21日より74歳の父から実家に来いと連絡があり、末期の膵臓がんであることを告げられました。父が一人で前日に病院へ行って先生から聞いた話が命は年内とのこと。
で1月26日に父と母と僕とでまた病院へ行って詳しい検査内容と今後、治療をどうするのかを先生に聞きに行ってきました。
結果は年内と聞いていたのが余命三ヶ月とのこと。もう治らないので緩和ケアのある病院へ痛みが耐えられなくなったら入院になるそうです。
父は酒も飲まず、たばこも吸わず、女遊びもしない性格なので健康を害する要素はないのですが癌を患ってしまいました。
最近は癌治療も進んで早期発見であれば助かる人も多いと聞きます。
ところが父の患った膵臓がんというのは癌のなかでも一番厄介な癌らしく、胃の裏にあり、臓器が密集している場所なので切るのが難しいからだそうです。
幸い、父は精神力が強くあまり余命三ヶ月という結果を聞いても動じていません。ですがこれから痛みが激しくなると弱音を吐いたり気弱にもなることでしょう。
ぼくは父が死んでいくのを見るのは嫌なので目を背けたり思考したくないのですが、父が死に立ち向かっている姿を嫌でもしっかりと見届けることが大事だと思いぼくも父の死を正面から受け止めて見届けようと思います。
実は二年前に今住んでいる新築を建てた時に父と大喧嘩したことがあります。
お前みたいなもんに住宅ローンは完済できない。中古住宅にしろ!
などと言われ、半年くらい口も聞いていませんでした。
その間、母が長期入院し、家で弟と二人の状態となっていました。
今、振り返ってみると確かに父の言う通り完済年齢が長すぎるローンを組んでしまいました。息子を思うあまり、ぼくを怒鳴りつけたのだと思います。
あの時に戻れるならもう少し、父に激怒しないで落ち着いて話し合えればよかったなと思います。
こんなことになるのなら去年旅行に行ったらよかったなとかいろいろ後悔はあります。
ですが今の自分にできることは残された父との時間をいかに大事にしていくことだと思います。
仏教では生老病死というのがあり、そのなかでも愛別離苦というのがあります。父の死は自分のなかの一部が壊れおちていくような感覚があります。
僕は勉強ができないので多大な教育費を父にかけてもらって自分はというと父からもらいっぱなしで何一つ恩返しできていませんでした。
あけましておめでとうという言葉がありますが 一年生きられるということは非常にめでたいということだというのが父の事態で実体験でわかりました。膵臓がんになるともう助からない、一年も生きられないのです。
家族に膵臓癌で亡くなった人がいると、その血縁者は同じく膵臓癌にかかるリスクが高まるそうです。
僕もいつか覚悟しないといけない日がくるかも知れません。
一日一生 今を大事に 人に優しく 一生懸命に
残された人生を生きていきたいと思います。
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