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第3話『土用に耽る名探偵』

 その年は10年に一度の猛暑で、
 7月上旬から始まった真夏が
 ずっと続いていた。

 訪問リハビリという仕事はその特性上、
 天気や気候との闘いという側面も
 非常に強い。

 軽自動車で訪問できるゴージャスな
 事業所もあるらしいが、
 僕の勤め先だった診療所の場合、
 移動手段は自転車か原付バイク。

 入職した時、
 真っ白なペーパードライバー
 だった僕は、しばらく自転車族だったが
 当時の先輩に根気強く指導して貰い、
 原付バイクに乗れるようになった。

 自転車では出せないスピード感と
 風を切って走る爽快感。
 エンジンを切れば歩行者になる汎用性、
 狭い路地や駐輪場にも対応できるサイズ。
 訪問リハビリを快適にしてくれる
 最高最適の乗り物だ。

 だが、そうは言ってもやはり、
 大自然の鞭が容赦ない時は相当しんどい。
 梅雨や冬も困るが、夏はまた別格だ。

 ヘルメット内は天然サウナ。
 体は、天からの熱と地面からの熱で、
 灼熱サンドイッチ。
 
 おまけに、
 クーラーが効いている患者宅や事務所と
 外との温度差に自律神経をやられ、
 倒れるスタッフが毎年いる。

 そんな猛暑でも、
 日崎探偵事務所は大忙しだった。


 「私は【箱入り】だから、
  暑さは関係ないの。
 どちらかと言うと夏は、
 クーラー冷害の方が心配なくらい。
 依頼が減る訳でもないしねぇ」

 などと言いながら、
 涼しい部屋で涼しい顔。

 事務所の大きなカレンダーに、
 依頼日・解決日が年間の通し番号で
 記載されているのを見る限り、
 確かに、一定数以上の依頼があった。

「でも最近は土用も短いから、
 持病持ちの人は大変なのよ。
 もちろん私を含めてね・・・」

 始めは朗らかにぼやきつつ
 ストレッチを受けていた、
 日崎さんの目がふと暗く曇った。

 僕は見てはいけないものを
 見た気がして、急にソワソワした。

 僕が訪問していたのは
 【黄金の5時間】直前だったから、
 僕が出会う日崎さんはいつでも、
 体は固めだがよく喋る、外向的な人。
 
 でも日崎さんの一日を考えると、
 口も体も動かず無表情で寝ている時間
 の方が長いはずで、
 さすがの日崎さんもその時間は
 前向きではいられないだろう。
 
 きっと、
 僕の知らない日崎さんの心の闇と
 嫌でも向き合う内向的な時間だ。

 だからこそ【黄金の5時間】は、
 光り輝いていたのかもしれないが
 我儘で臆病だったその時の僕は、
 自分が知っているいつもの日崎さんに
 戻って欲しくて一生懸命話題を探した。

 「えーっと・・・土用って、
 うなぎ食べる日ですよね?
 同調圧力を利用したうなぎ屋の陰謀でしょ。
 土用が短いとうなぎも短くなるんですか?」

「・・・松嶋先生、
 国家資格返納します?」

 僕のある意味で完璧な質問に、
 日崎さんの目が一瞬で輝きを取り戻した。

 僕はこっそり安堵しながら、
 ありがたい講義を拝聴することにした。

「インターネットでも図書館でも、
 調べたら分かることなんだけど。
 土用はそもそも、
 中国の五行説に由来していて、
 春夏秋冬それぞれの変わり目の
 18日間のこと。
 うなぎを食べる習慣があるのは、
 夏と秋の間の土用ね。

 土用の陰謀説に言及するなら、
 バレンタインにもメスを入れなくちゃ
 いけなくなって大ごとだわ。

 日本人はそういうイベントが
 結構好きで、
 喜んで乗っかっているふしもあるから
 陰謀説にはノーコメントです」

 僕の無知を嘆きつつも、
 愉快そうな表情。
 もう、いつもの日崎さんだった。
 
 名探偵の経験則では、
 土用は季節の変わり目だから、
 自律神経系の仕事が増える。

 その人に余裕があれば、
 土用の間に体を次の季節に
 慣らしていけるが、
 持病持ちの高齢者の中には
 症状が悪化する方も多いらしい。
 
 言われてみれば納得する現象だが、
 恥ずかしながら全く知らなかった。

「でも昨今の人間は
 ちょっと暑いとすぐに、
 クーラーとか制汗スプレーだとかで
 汗をかかないようにしているからね。
 体温調整が苦手になっていて、
 若い子でも体調崩したりするわよ。

 松嶋先生はその辺は図太そうだから、
 心配ないわね」

 と、日崎さんは楽しそうに笑った。

 「一応言っておきますけど、
  確かに僕は温度変化には強いですが。
  夏でも冷たい飲み物は飲まないとか、
  僕なりに工夫しているんですよ?
 それにしても・・・、
 地球で生きるって実は大変なんですね」

「そう!そうなのよ!
 松嶋先生、
 とっても良いことに気がついたわね」

 ふと漏らした僕の呟きを、
 日崎さんが拍手付きで
 褒め称えてくれた。

 予想外の反応に僕が驚いている間に、
 火がついた日崎講師が熱弁を
 振るい始めた。

「地球という奇跡的な環境だからこそ、
 生命が誕生した訳だけど。
 常に宇宙からの影響を受けながら、
 水と風と熱が循環し続けるこの環境、
 またその中でも、
 より四季が豊かなこの国で生きていく
 って大変なことなのよ。

 私は病気になってようやく気がついた。

 気圧や温度の変化がどれほど、
 人間の体に力強く働きかけるか。

 近代の人間が科学の名の元に、
 ご先祖様達が培ってきた
 地球と共に生きる智恵や、
 体温調節力などの能力を
 どれほど過去の遺物にしてきたか。

 開拓や戦争の度に進む技術革新は、
 確かに生活を便利で楽にしていった。
 私もその恩恵に預かったひとりだし、
 研究者や政治が悪だったとは言えない。

 でも、もっと便利に・もっと楽に!
 という果てしない欲求は、
 地球環境をより激しいものに変えた。
 毎年のように発表される、
   観測史上最大で前代未聞の甚大な
 異常気象の数々が証明している。

 人間は、どうしたって抗えない
 大いなる力の中で生きてるのよ。
 
 医療分野も同じね。
 定期的に画期的な治療が発見されて、
 大勢の人たちが助かるけれど
 新しい病気や症状は増え続ける。
 それは、ある意味で人間が作り出し、
 見つけ出してしまうから。
 
 私の病気みたいな難病もそう。
 その時その時を必死で生きて来た人間
 が作り出し、発見されたものでしょ」

 日崎さんは熱に浮かされたように
 話続け、僕はただただ、
 それに吞み込まれていた。

 「地球規模では人間は増え続けていて、
  世界のどこかで今も誰かが
  【より良い生活や人生】を目指し、
  今を変えようと闘っている。

  当事者たちにとって、
  それはとっても切実で何よりも
  優先しなきゃいけないことよ。

  でも・・・。
  何かを得るために、
  何を犠牲にしているかを
  私たちは知らなくちゃいけない。
  そしてきっと、
  変わらなくちゃいけないのよ。

  1人でも少しずつでも、
  変わろうとしなければ、
  私たちの子どもや孫たちは
  今よりもっと、
  地球や病に苦しめられてしまう。
 
  ねえ松嶋先生、あなたは
  どうしたら良いと思いますか?」

 日崎さんの問いかけが大きすぎて、
 僕は何も答えることができなかった。

 
 30年間生きてきたが、
 そんなこと思いつきもしなければ、
 誰かに問いかけられたこともない。

 彼女のその底なしの知性と探究心は、
 全く僕の理解の範疇を超えていた。
 
 目線の先には、先刻とはまた違う、
 僕の知らない日崎さんの顔。
 その目は僕を見ているようで見ていない。

「・・日崎さん?
 ぼちぼち歩きませんか?」

 ストレッチはとっくに終わり。
 いつも通りなら後は、
 寝室から20m先の事務所の椅子まで
 歩く時間だった。

 だが、日崎さんの目も心も、
 いまいち焦点が合わないまま。
 まだ何かを、頭の中で
 考え続けているようだった。

「・・今日は、
 後で1人で椅子に戻るわ。
 先生ありがとう」

 あくまで丁寧だが
 上っ面な言葉を受けて、
 その日は少し早めに日崎邸を出た。

 2階に事務所・リビング・水回り・寝室
 などが集中している間取りの日崎邸は、
 2階の出入り口から
 1Fの広いガレージに降りる、
 長くて急な階段があった。
 階段には、主が外出する際に使う
 椅子型リフトが付いていた。

 僕はリフトを避けながら階段を降りた後、
 時間調整の為、しばらくガレージに
 居させて貰うことにした。

「ねえ松嶋先生、あなたは
 どうしたら良いと思いますか?」

 日崎さんの問いかけを思い出しながら
 空を見上げていると、
 普段全く意識していなかった雲の形や、
 汗ばんだ頬を撫でる風の質感が
 妙に気になった不思議な時間だった。

 僕が知る限りこれが、
 名探偵唯一の迷宮入り案件だ。

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