アメリカスポーツ業界での苦労と仕事探しの大変さ。
前回は日系会社で働いた3年目のお話をしました。今回はその後のお話をしたいと思います。
日系会社に入った時からスポーツに関わる仕事はずっと探していました。約8ヶ月間たった頃に私の妻のお母さんからオハイオにあるアクロン ラバーダックスでインターンシップのネットワークイベントが行われることを聞き、すぐ行くことを決めました。
当日、球場に着くとすでに多くの大学生が待っていました。みんな私より4,5才若いですが関係ないです。将来に必ず繋がるインターンになることはわかっていたので全力で自分というものを伝えるだけでした。
4人ほどのラバーダックスの社員と話をしました。最後に話たプロモーションのマネージャーがオハイオ大学出身ということもあり、ぜひラバーダックスでインターンにきてほしいと言われました。アメリカでは同じ出身でのコネはとても大事です。
1ヶ月後には日系会社をやめ、オハイオに引っ越しすることになりました。アクロンは妻の出身地のマダイナから約40分!
妻の実家に住むこと決定です。
ただ,妻とは別居でした。自分の仕事を始めたばかりで、もう少しその仕事場で働きたいし、オハイオでまた仕事を見つけるのも大変なので他の州で住んでいました。
オハイオでの暮らしは楽しかったです。妻の両親も妹とも仲が良いので家ではとても過ごしやすかったですし、ラバーダックスでの友達ともよくゴルフとかに行ってたので楽しかったです。近くにはまた美味しい日本食屋はなかったですが。。。
ラバーダックスでのインターンは無給で夏の野球シーズン限定だったので、すぐに次に雇ってもらえるチーム探しをしなければなりませんでした。それがとてもストレスにはなっていました。
無給でしか雇わないマイナーリーグ球団は多く、アメリカ マイナーリーグの一つの問題とも言えるかもしれません。やはりスポーツ業界に入りたい若者が多いため無給でも人が集まるからです。しかもマイナーリーグの球団は大企業のような資産を持っていないので社員だとしても給料は一般の企業よりも低いです。
インターン中は私のマネージャーから必ずラーバーダックスでフルタイムの仕事をもらえるように頑張ると言われていましたが、そんな簡単な業界ではありませんでした。
ラバーダックスでは空きのポジションができなかったので、フルタイムで雇ってもらうことはありませんでした。
シーズンが終わり二ヶ月ほどたち、何チームかと面接はしましたが良い連絡はなく精神的にも辛い日々が続いてました。
そんな時にタルサドリラーズとの面接が決まり、エリックという人と約50分ほどの面接をしました。今までで私の話をよく聞いてくれてとてもいい感触で面接を終えたので、絶対受かったと思っていました。
エリックからはその週の金曜日までは連絡すると言われていましたが、
金曜日になっても連絡がなかったので諦めかけ、奥さんにも絶対ダメだと言っていました。
月曜日になり、私は奥さんの主張先のミネアポリスに向かって運転している途中知らない電話番号から電話がなり、急いで取るとドリラーズのチケットセールの仕事のオファーの電話でした。
すぐ奥さんにも電話して喜びました。
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