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消防団が活発な地域はきっと良い地域だと思う

私は2019年に福島に移住し、昨年2023年から消防団に所属しています。入団の経緯や感想などは以下に書きました(ちなみに私の記事の中でアクセス数トップ笑)

私の最近のもっぱらの関心ごとは「林業」と「消防団」です。どちらも30代半ばになってから知った世界で、とても興味深いと感じています。ぶっちゃけ、めっちゃおもしろい。なぜなら、今までの自分の価値基準とまったく違うロジックで成り立っているからです。そして、両者に通底するのは「贈与」という概念です。

私は昨年度の途中に消防団に入団したので、今年度の辞令交付式に参加してきました。
私を含めて過年度入団の2人と新規入団の3人の合わせて5人が、自分の所属する矢沢班から参加しました。少子高齢化、過疎化、消防団離れの昨今において5人増加はかなりの快挙だと思います。
辞令交付式に参加しながらぼんやりと考えていたことを記事にします。

消防団の意義

「消防団は市民の生命と財産を守る大切な活動です。皆様のご活躍を祈念しております」的な挨拶が、消防団の式典で定番の口上です。市長もそんな感じのことを言っていました。入団当初は形式ばった表現だと思っていましたが、消防団の活動を通じて、その挨拶文が決して儀礼的なものではなく、現実的であることを実感しました。
火事の際の出動はもちろんのこと、地震や豪雨などの災害があると地域の中で真っ先に動くのが消防団です。一応、準公務員として位置づけられています。
火事の現場では本職の消防士が対応しますが、消防団員もかなり前線で放水したり建物を壊したり、中心となって火事に対応することに驚きました。
いつあるか分からない(無いかもしれない)火事や災害のために十分な数の専門家(消防士)を配置するのは非効率です。地域の担い手である若手を訓練して消防団員として揃えておくのは社会にとって効率的で有用なんだと納得しました。

「義務」としての消防団

しかし、地域にとってはメリットがありますが、一方で消防団員のほうはどうでしょうか。どんなメリットがあるのでしょうか?

結論から言うと、メリットがあるからやっているのではなく、「やらなければならないからやる」ということだと思います。
いきなり社会学から引用しますが、モースやレヴィストロースなどが述べているのは、「人類が等価交換取引を中心とし始めたのはごく最近で、それまではずっと贈与の循環が社会の中心であった」ということです。
資本主義は全てを商品化します。人間の『時間』も例外ではありません。労働力という形で時間を売り、給与という形でお金を得ているのが現代です。
しかし、消防団の取り組みはその資本主義の論理で説明できません。(出動をすると多少の報酬が出ますが、ぜっっったいに割に合いません。“コスパ・タイパ”で考えれば、報酬なんか要らないから消防団活動をしないという人がほとんどだと思います。)
それでも活動をしているのは、自分の住んでいる(生まれ育った)地域に「贈与」をしているからです。前の記事ではそれを「ツトメ」と書きました。

農業社会と共助/コモンズ

この感覚はある意味でとても”農村的”だと思います。
都市は資本主義が支配的で、全てが等価交換される「自助」の世界です。私も長く東京に住んでいましたが、お金を支払って商品やサービスを購入することが当たり前です。それはそれでとても快適です。お金を支払えば誰でもお客様になれるからです。そこに資格や条件などはありません。
しかし一方で、農村は地域コミュニティで助け合う「共助」がベースです。おそらく、農作業(特に稲作)は共同作業でおこなわれてきたことが背景にあると私は考えます。自分のところの田んぼを手伝ってもらい、人の田んぼを手伝う。そのような共同作業を結(ゆい)と呼ぶそうです。機械化でかなり薄れてきましたが、それでも田植えや稲刈りシーズンは家族親戚総出で農作業にあたる風景を見かけます。実際に辞令交付式の日は稲の種まきシーズンと重なったため、ほとんどの団員が出席できませんでした。(平日働きながら農業をする兼業農家も多い。)

なので、対価やメリットが無くても、皆のために働くという感覚が農村にはある気がします。
先日、東京で働く人と話した際に「なぜ消防団活動をしているんですか?メリットはなんですか?疲れないですか?」と聞かれました。等価交換が当たり前で、いかに自分の利潤を最大化するかというゲゼルシャフト的ゲームの中で生きている彼は、農村の「贈与の循環」というゲマインシャフト的感覚を理解できなかったのだと思います。

楽しみながら活動することが大事

また、贈与の循環の世界は贈り物をされたら返礼をしなければならないという一定のルールがあります。善意にフリーライドをされるとコミュニティが維持できないからです。そうすると、共助の世界では誰にどれくらい贈り物をしなければならないかというCommon Sense(常識)が求められます。なので、消防団員はとても常識的な人が多いと感じます。

消防団と資本主義の超克

そんなことを式典中にぼんやりと考えていたら、良い本と出会いました。

資本主義が行き詰まる中、この状況を打開するために「贈与」を見直すべきという著者の主張にとても共感しました。
私は消防団にポスト資本主義の手がかりがあるようと考えています。消防団が活発な地域、すなわち皆が地域の一部であることを自覚し、みんなのために働こうという意識がある社会は、資本主義の弱点を補い、みんなが暮らしやすい良い地域だと思うからです。

以上、来週に消防団ポンプ操法大会があり、練習のために朝4時台に起きて練習するのが辛いわーという自分を奮い立たせるために書いたら2,000字を越えました(笑)。 小型ポンプ操法2番員頑張ります。


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