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デザインという営みの本質を探る 1


コンセプトとデザイン_191214.001

デザインという営みの本質はどこにあるのだろうか?

よくその意味について考えている。

というのも、一般的に「デザイン」と呼ばれているものが、資本主義社会の「過処分注意力搾取促進デバイス」としてUXという名の下に、その部分だけの適在性を過大評価・利用されていること違和感を覚えたからかも知れない。おそらく私は、個人的に理解しているデザインの営みそのものの本質から乖離したところで、資本主義的な目的の聞こえをよくするためのユーフェ二ズムとして「デザイン」という言葉が使われていることに違和感を感じている。

日本的なアプローチを参考にして体系化されたと言われているIDEOやd.schoolを始めとした現代版の「デザイン思考」もきっと私の違和感の対象かもしれない。この「デザイン思考」とは、スタンフォード大学で専門性と論理性を極めた学生や研究者たちに、「共感」と「トライ&エラー」いうデザインの側面をインストールするために設計され導入されたフレームワークであるとされている [1]。この「デザイン思考」が、一般的な企業に浸透するにつれて、「とりあえず考えてみよう」という前向きでフットワークの軽い環境と心持ちづくりは、少しずつ広がっているのは確かだ [2]。一方で、そのような思想の下で設計されたフレームワークを、圧倒的な専門性と論理性が存在しない状況で、付箋を活用したワークショップだけでは、本当にイノベーティブな発想、いわんやイノベーションは生まれるのだろうかと疑問に思うことがある。

デザインとは何だろう?
何がその営みの道具的な適在性なのだろう?
人間とデザインの本質的な関係性は何だろう?

そんなこと考え始めてから随分経った。

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デザイン史にふれる

応用アート(Applied Art)として、Art NouveauやArts and Crafts Movementを経て、さらにBauhaus、Modernism、Post modernismの流れを経て体系化されてきたグラフィックデザイン(Graphic Design or Visual Communications Design)の歴史は、約100年程度と意外にも短い。歴史的に1番初めにその名前が確認されたのは、1922年にアメリカのタイプデザイナーであったWilliam Addison Dwigginsが使用したところからだとされている。しかし、人間のコミュニケーションのデザインという営みの歴史そのものは、紀元前3600年前の文字というシステムの発明そのものから始まっている [3]。

私自身のデザインに関する歴史の知識としては、専らこのコミュニケーションデザインの視点であるためかなり偏りがある。そのため、「デザインという営みの本質を探る」と言った時一番取り掛かりやすかったのが、Modernismと同時期に発展したDesign Scienceとその性質を比較して考察することだった。

ModernismとDesign Scienceの共通点

コミュニケーションデザインにおけるModernismの特徴は、情報という単位を平面状に配置する際のルールのみを最終的なアウトプットと乖離させて体系化させた点にある。これは、Jan TschicholdのModernist typographyの原則をまとめたDie neue Typographie (1928)、Josefl AlbersのInteraction of Colors (1963)やJosef Müller-Brockmannのポスターや最近日本語版でも出版されたGrid systems (1981)の書籍なども見つけることができる。これらの背景からも明らかなように、デザインの分野が、アートから独立し、客観性と科学性を重視した思想が主流になったのは一般的にこの時代とされている。

一方で、Design Science(デザインサイエンス) は、アメリカの建築家、システム理論家、デザイナーのR. Buchminster Fullerによって1957年から活動が始められたとされている [4]。そして、この運動は、デザイン思考の直接の前身であるDesign Methods Movement (DMM)と時系列的な連関を持っている。以前これについては未熟な知識のまま03. Design RationaleとDesign Methods Movementにまとめたことがある。何れにしても、どちらの運動もこれまでこれまで非公開的だったデザイナーの思考を公開して、デザインプロセスを外在化し、問題に対して科学的に、再現性を持って解決するということを目的として存在していたという背景がある [5]。 

このModernismとDesign Scienceの両方に見ることができる決定的な類似性は、デザインの対象物である情報(コンテンツまたはインサイト)とそれを取り扱うフレーム(またはイディオム)との分離を明確に図ろうとした点にあると言える。この構造が、私たちが脳で形成している「思考」とそれを表現してまとめ上げる「言語」との関係性に非常に似ていることを認めることができるかもしれない。

しかし、それぞれの活動が目指したデザインの姿に対して、「思考」と「言語」の関係性とその分離に類似性を認めるのならば、デザインという営みは、本当に科学的で再現性のある営みなのだろうか?私たちは、お互いの言葉交わす時、科学的に、再現性をもって問題を解決しようとしているのだろうか?

ModernismとDesign Scienceの盲点

ModernismもDesign Scienceもデザインを客観的で、科学的で、再現性のあるものであると定義し、それをもって、問題を解決することを目指した。この科学的なデザインの姿勢は、現在にも受け継がれるある一つの定義を残している。それは、

問題解決としてのデザイン

である。私たちは、デザインを説明する時に、しばしばその営みの本質は「問題解決にある」と言い切る。さらに、この「問題」と「解決」を、一つのセットとして、デザイナーの仕事の一単位である「デザインプロジェクト」として、成立させる [6]。この姿勢は、数学や科学のようにデザインの問題を、演繹法的に、科学的に再現性を担保して解決できると宣言している。つまり、ある「問題」に対して、ある「正しい解決策」が必ず存在することを無批判に了解している。これが、ModernismとDesign Scienceの盲点の一つの側面と言える。

それに、そもそも問題とは、何だろうか?

実は、ここにModernismとDesign Scienceの盲点のもう一つの側面が隠れている。Peter Roweは、「問題」について以下のように説明する [7]。

“a problem can be said to exist if an organism wants something but the actions necessary to obtain it are not immediately obvious….”

問題とは、ある有機的な組織体が何かを欲しているが、それを獲得するために必要なアクションが直ちに明確でない場合に存在すると言える。

有機的な組織体とは、人も、組織も、システムも、その対象として捉えることができる。「何かを欲している」とは、それらが目的・ゴールを持った存在であるというように解釈できる。そして、それを得るためにどのように対処(=アクション)すれば良いかが不明確な状態にデザインの問題が在ることを、この文章から読み取ることができる。

なぜ、ゴールに対するアクションが不明確なのか?それは、ゴールそのものが不明確だからである。ゴールが明確であれば、そこに至るまでの道のり(=アクション)も、自ずと明確になる。つまり、デザインの問題に対して取り組むためには、まずゴールを明確にする必要がある。

それではゴールには、どのような種類があるのだろうか? Hugh Dubberlyは、このPeter Rowによる問題の分類を以下のように整理している[6]。太字の部分だけに、↓の動詞はかかる。

問題
↓分解
ゴール or 達成手段
↓分岐
不明確な or 明確な
↓分岐
厄介な(参加者が合意不可) or 素直な(合意可能)
↓分岐
定義不可能(終わらない) or 定義可能(終わる)

厄介な問題とは、Peter Roweも引用するようにデザイン理論家であるHorst Rittelによって提唱された概念である。この問題の一番の特徴は、問題解決に取り組む参加者がその定義に合意できないことにある。定義に合意できないということは、つまり、ゴールを明確にして、合意することができないということである。したがって、このような複雑な問題に対する解決策は、複数の観点から複数同時に存在し、そのどれもが任意の観点において一定のレベルでその効果を証明する (Symmetry of Ignorance)。

先にも述べたように「全ての」デザインの問題に対して、対となる解決策があるわけではない。また、「全ての」デザインの問題を定義できるわけではない。さらに、デザインの問題を議論しているのは、私たち「人間」であり、ここでいう「定義」とは、参加者同士による価値に対する合意の形成のことを指す。言い換えると、デザインの問題の定義は、主観的であり、それに対する解決策を提案することで問題の新たな側面が発見され、問題と解決策との両方に対して変化と発展(または退化)を同時にもたらすのである。つまり、私たちがデザインという営みに向き合っている時、私たちは、自らが大切にして、未来に残したい価値について、議論し、紡ぎ、想像しているのだ。

これらの盲点を改め、デザインは「主観的」で「修辞的」としたのが、Christopher AlexanderやHorst Rittelが進めた「第二世代」のDesign Methods Movementであり、後に続く参加型デザインやデザイン思考だった [8]。

隙間を繋ぐデザイン:インターフェイス

ウィーン出身の都市計画家・建築家であり、カリフォルニア大学バークレー校にて現在も教鞭を取っているChristopher Alexanderは、「問題」と「解決策」、「文脈」と「形式」とデザインの関係性について、以下のような言及をしている [9]。

"...The form is the solution to the problem; context defines the problem. In other words, when we speak of design, the real object of discussion is not the form alone, but the ensemble comprising the form and its context.”

形式が、問題に対する解決策である。文脈が、その問題を定義する。言い換えれば、私たちがデザインを論じる時、実際に議論の目当てとなっているのは、形式だけではなく、その形式と文脈との両方によって構築される調和である。

形式は、問題 (= 文脈)の裏返しと解釈できるかもしれない。さらに興味深いのは、彼は、デザインは、「形式だけではなく、その形式と文脈との両方によって構築される調和」であると言っていることにある。私は、これはデザインの性質、デザインという営みの本質に対する重要な示唆だと思っている。甲南女子大学文学部メディア表現学科講師であり、インターフェイス研究者である水野勝仁さんが、ソフトウェアのもつ性質を見立てて接着剤と言ったように [10]、デザインという営みの本質は、この隙間繋ぐ存在として、そこに現われるのではないだろうか。

デザインの言語化を企てた時代にふれる

ここまでなぜ長々と近代以降のデザインにまつわる歴史的な背景に目を向けてきたのか。なぜなら、私は、Modernismも、Design Scienceも、Design Methods Movementも、デザイン思考も、デザインという営みの本質をあばこうと取り組んだ歴史的な企てだと考えているからだ。私たちが普段息をする様に、手元存在的に触れているデザインという営みの道具性を顕在化させようとした時代なのである。

そして、私は、まさに今、コミュニケーションデザインの歴史と現代版「デザイン思考」から数年遡った程度の知識で、デザインという営みの本質を探ろうと試みている。問題は、私には、この二つの地点から見たときに、今のところ埋まっていない部分があるということだ。つまり、1930年代から2000年代くらい歴史に関してあまりにも無知または、非連続を連続させられていないという問題がある。

これらの時代は、電気の時代からコンピューターの時代へと移り変わった時代であり、ネットワークとデータとAIの時代である現在に対して非常に重要な示唆を与えてくれると感じている。私は、これらの時代と共に変化するデザインの対象とその営みを記述した文献を読み解きながら、その本質を探ることを企んでいる。

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技術文化の新しいリベラルアーツ

この時代の代表的な文献の一つにRichard Buchananの"Wicked Problems in Design Thinking (1992)"という論文がある。この記事では、この論文に対する解釈だけを試みたい。

この論文は、文字通り衝撃的だった。私が、もしくは、私たちがこれまでデザインとして認めてきたものは、科学的に、歴史的に、文化人類学的に、「すでに制作されたもの」を分解して、分析した結果として明らかになった解釈であり、専門分野だったのである。だからこそ、デザインは、その定義をめぐって細分化されて、さも独立した専門分野・原理原則として議論、確立されるのである。

Richard Buchananは、その点において清々しいほどに的確に説明する [11]。

"The history of design is not merely a history of objects. It is a history of the changing views of subject matter held by designers and the concrete objects conceived, planned, and produced as expressions of those views. One could go further and say that the history of design history is a record of the design historians' views regarding what they conceive to be the subject matter of design. "

デザインの歴史は、単なるオブジェクトの歴史ではない。それは、デザイナーの変わり続けるデザインのテーマに対する見解とそれらの見解の表現として構想され、計画され、制作されたオブジェクトの歴史である。さらに飛躍して、デザイン史の歴史は、デザイン史家が何をデザインのテーマとして考えていたのかに関する見解の記録であると言うことができるかもしれない。

つまり、何が言えるのだろうか?それは、デザインの定義は、その時代のデザイナーの見解と彼らが制作するオブジェクトとともに変化するということだ。したがって、デザインの定義のみについて、歴史を度外視して議論することそのものに取り立てて生産性はないということだ。

しかし、今私が知りたいのは、そこではない。私は、デザインという営みの本質について知りたいのだ。私は、「デザインをしている」とは、どういうことなのかを明らかにしたい。

以下に続くモデルは、Buchananの主張を、抽象的に理解して整理した個人的な思索である。

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知識が少ないととりあえず何となくある概念を知っているという状態が存在する。


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本を読んだり、覚えたり、実験したり、理解することで、何となく把握してた概念は実はもっと小さな概念から構成されていたことに気がつく。


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そしてしばしば、その小さな概念は他の概念に属していることに気が付く。


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そしてまた、学習する。


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するとまた、同様にある概念が他の概念と紐づいていることに気が付く。


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この繰り返しを通して、より少ない概念についてより多くのことを知っているという「専門家」のプロセスを踏む。


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デザインはかなり変わった働きをする。それは、おおよそ全ての場合「人の体験」から始まる。


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そして、その「人の体験」は、様々な面で影響を及ぼす任意の対象概念の中に配置される。


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デザインは、ほぼ必ず作るという行為の前に定義することを要求する。その定義は、一般的にフレームの形をとり、複数の異なる概念と人間を含む。


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そして、デザインは、その定義的なフレームの中に存在する概念群をより良い「人の体験」のために統合的思考や、制作、実験を通して変更する。これは、究極的にいえば新たな概念の創造だと言える。

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上記のモデルからもなんとなく読み取れるように、本質的な意味で「デザインしている」という時に、私たちは、その対象がどこにあるかを見立てようとしている。私たちは、Christopher Alexsanderがいうように、デザインの文脈を見つめながら、その場にふさわしい形式を、その二つの隙間にあるインターフェイスを、見立て、同時に繋ぎ、その対象を創り出そうとしている。

Buchananは、このデザインの見立てにおいて使用する「Placement(フレーム)」に関して、わかりやすく説明している [11]。

"Placements have boundaries to shape and constrain meaning, but are not rigidly fixed and determinate. The boundary of a placement gives a context or orientation to thinking, but the application to a specific situation can generate a new perception of that situation and, hence, a new possibility to be tested. Therefore, placements are sources of new ideas and possibilities when applied to problems in concrete circumstances."

フレームは、意味を形成して制約するための境界を持っているが、それらは厳密に固定・確定されているわけではない。あるフレームの境界は、思考に文脈や方向性を与える、しかし、その特定の状況に対する応用は、その状況に対する新たな理解を生み出し、ゆえに、試すべき新たな可能性も生み出す。したがって、具体的な状況での問題に対して当てはめられた時、フレームは、新たなアイデアや可能性の源泉である。

Buchananは、このPlacementをもって、新たな可能性を構想し、計画し、制作する営みのことをデザイン思考(Design Thinking)と呼び、技術文化の新たなリベラルアーツ(New liberal arts of technological culture)と呼ぶことを提唱した [11]。

Buchananの解釈に基けば、デザインという営みの本質とは、モーダル的な複数の専門性を繋ぎ、より良い人の体験のための、可能性を見立てる統合的な活動にあると言えるかもしれない。

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参考文献

[1]
白坂成功.
「デザイン思考」がうまく行かないのはなぜか?

[2]
Liedtka, Jeanne. 
"Why Design Thinking Works."

[3]
Meggs, B. Philip., & Purvis, W. Alston.
Meggs' History of Graphic Design.

[4]
Wikipedia.
Design science.

[5]
本村章.
"03.Design RationaleとDesign Methods Movement."

[6]
Dubberly, Hugh.
"Problems with Problems: Reconsidering the Frame of Designing as Problem-Solving."

[7]
Rowe, Peter.
Design Thinking.

[8]
Rith, Chanpory., & Dubberly, Hugh.
"Why Horst W.J. Rittel Matters."

[9]
Alexander, Christopher.
Notes on the Synthesis of Form.

[10]
水野勝仁.
場に顕れるソフトウェア、隠れるオブジェクト.

[11]
Buchanan, Richard.
"Wicked Problems in Design Thinking."


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基本的に今後も記事は無料で公開していきます。今後もデザインに関する様々な書籍やその他の参考文献を購入したいと考えておりますので、もしもご支援いただける方がいらっしゃいましたら有り難く思います🙋‍♂️

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Service designer and (board) Director at Yumemi, Inc. Previously, Interaction designer at Dubberly Design Office.

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コメント (2)
冒頭に「一方で、そのような思想の下で設計されたフレームワークを、圧倒的な専門性と論理性が存在しない状況で、付箋を活用したワークショップだけでは、本当にイノベーティブな発想、いわんやイノベーションは生まれるのだろうかと疑問に思うことがある」という問いが提示されていますが、それに対する回答が、明確には見えないのですが…
鋭いご指摘ありがとうございます。仰るとおり私はこの記事の中で、その質問に直接的に回答していないように思います。

というのもこの記事においては、ビジネス界における「デザイン思考」とデザインという営みの本質におけるデザイン思考とを分離させたいと目論みました。結果的に一定レベルでそれは成功したと感じています。文中の締めのBuchananのデザイン思考に対する解釈がそれに該当します。

個人的にデザインという営みとビジネス的なイノベーションとの直接的な相関関係には、懐疑的に捉えています。しかし、それについては、今後の記事でふれることができればと思っております。
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