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【読書感想】 無理ゲー社会 を読みました

こんにちは、じゅくしんです。

今回は、

無理ゲー社会
橘玲著

を読みました!

才能ある物にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピアなのがリベラル主義な人達が望む世界。いわるゆ遺伝ガチャに負けた才能のない下級国民は、「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受けながらも、そうは出来ずに苦しむ。下級国民にとって、人生はいわゆる無理ゲーのように感じられるのだという。

世界はリベラル化、知識社会化、グローバル化がどんどん進んでいる。資本主義は、自分らしく生きたい、豊かになりたいという夢をかなえる経済制度として世界に広がった。しかし、その制度は機能不全を起こしているのでは?とのこと。

あなたが今の生活に満足しているのは幸運だが、その幸運は自分らしく生きる特権を奪われた人達の犠牲のうえに成り立っているのである。リベラルを自称する人には受け入れがたいが、リベラル化したことによって起きた問題はリベラルな政策では解決ができなくて、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを本書では書いている。

現代社会の中で、私達は社会的経済的にも成功するし、評判も恋愛も獲得しなければならないという困難な無理ゲーを攻略しなければならないという、無理ゲー社会を生き延びなければならないんだと書いていた。

途中まではマイケル・サンデルとかで書かれていることを別の視点から書いているので、まあまあ面白く読んでたんだけど、非モテについての章で、秋葉原連続殺傷事件の犯人を擁護し始めた時に、あ、この著者ちょっとヤバい人かも?と思い始めた。とはいえ、うーん、なるほどーと思う部分もあるんだけど…

「男が競争し、女が選択する」というのが恋愛市場であるけど、恋愛市場における男の競争は最近までほとんど関心を持たれていなかった。その理由は、昔は女が比較的平等に男に分配されていたから。男女がほぼ同数で、一夫多妻制を徹底するなら、原理的にすべての男が女を獲得できる。ハーレムを許されるのは一部の特権階級の男だけである。

このような女の分配機能は、戦争がなくなり、長い平和とリベラル化によって力を失っていく。誰もが自分らしく生きられるようになると、親や中間共同体が結婚相手を決めることもなくなる。それによって、恋愛市場の競争が熾烈になり、脱落してしまう男女が現れる。


この本を読んで感じたこと



いや、まあ確かにリベラルな社会による弊害は多いと思うし、
難しい問題もあるんだけど、公平な機会平等と結果平等はやはり必要だと思うし、今まで理不尽を受けてこなかった人と理不尽を受けてきた人が、別の評価基準によりランクが入れ替わったってことだから、リベラル化によって、世界が複雑になって、自己責任が強調されるとしても、仕方ない…うーん、いや、まぁ、例え無理ゲーのように見えても、より自分が納得できるリベラルな社会の方がいいのではないかなぁと思いました。

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