多分40代までに死ぬ。

本当はもっと書きたいこと別にあったはずなんだけどなー、と思いながらキーボードを叩いている。思考は生ものでなおかつ足が速いので、書きたい!と思ったらすぐにアウトプットしないと原型を無くして溶けきってしまう。そうやって溶けてしまった文章がいくつもある。ごめんね、小生の脳。先延ばし癖、良くない。

怪談が好きだ。ホラー映画はめちゃくちゃ苦手だしお化け屋敷は入ったことない。けど、怪談は好きでホラー小説や漫画は読む。
いわゆるネット怪談も好きだ。あの何とも言えない嫌さが癖になる。何か良くないことが起こっているのはわかるけど、何が起こっているのかはよくわからない不明瞭さや不気味さ、「お憑かれさまでした」系の読者への悪意が最高に嫌。読み終わった後に「最悪~!」となればなるほど良い。ビックリ要素(急に画像が出てくるアレ、ジャンプスケアって言うらしい)は苦手だけど、嫌さを味わうために頑張って読む。
先日、ものすごいネット怪談を読んだ。もう本当に嫌だった。「最悪~~~!!!!!」だった。はちゃめちゃに怖い。結局真相は何もわからないし、読者への呪詛だけは手に取るようにわかる。最高の嫌な怪談だった。影響されやすい質なので、読み終わった後料理していたら急に気持ち悪くなって立っていられなくなった。本当に呪われているのかと思った。
その怪談の著者はインターネット上で秀逸な怪談を多数発表している。ふと「こんな悪意に満ちた文章を書けるのはどんな人だろう」と気になって、著者のTwitterを辿った。ツイートを辿ると、どうやら著者は大学生らしいということがわかった。普段のツイートから知性が滲んでいる。ふと、あるツイートが目に付いた。それは去年つぶやかれたもので、「成人しました」という意味合いの言葉だった。
年下! 同年代かな、とは思っていたが、年下とは。自分よりも生きている年数が少ない人が、自分よりも圧倒的に教養を蓄え、遥かに人々に影響を与える作品を生み出していることに、どうしようもない焦りを覚えた。

思えば天才は20歳までに評価されている。勿論その20年の間に血の滲むような努力をしているのだけど、そんなものはレースの参加条件みたいなもので、途方もない努力は大前提としてそこからは才能だ。
同年代の劇作家で、面白いと思う人が何人かいる。彼等は20歳の頃には何かしら受賞したりで目に見える評価を得ている。単純に作品のクオリティも高い。ところが自分はどうだ。もう21歳なのに何の功績もない。同じくらいしか生きていない人々が自分よりも遥かに上のステージにいるのを指を咥えて見ている。嫉妬にまみれて見上げている。
それでも、まだ彼等は年上だった。しかし、既に自分よりも年下の天才が登場しつつある。演劇以外のジャンルでもそうだ。才能ある未成年達が多くの人々に評価されている。小生はいつの間にか追い抜かされる側になってしまった。そう思うと、途方も無く絶望する。
「21歳なんてまだ若い」と言う人もいるし、確かに21年は人生においてまだまだ前半戦だ。しかし天才の有効期限はもっと短いのだ。20歳。ハタチ。大きな意味合いをもつ年。小生はもう手遅れだ。

手遅れの小生はこれからどうしようか。勿論戯曲は書く。演劇を作る。少しでも良い作品を生み出したいし、もっと努力しなければならない。しかしどう足掻いてももう天才にはなれない。
歴史に名を残す文豪も、人々を魅了するロックスターも、天才と呼ばれた者の何人かは若くして死んでいる。大抵は自殺か、または事故か、はたまた病気か。
太宰治は38歳で愛人と入水した。芥川龍之介は35歳で「将来に対する唯ぼんやりした不安」により服毒自殺。中原中也は30歳で病に倒れた。アルベール・カミュは46歳の頃交通事故に遭う。カート・コバーンは27歳でショットガンで頭蓋をぶち抜き"愚か者のクラブに仲間入り"した。
"橋本あきらは天才である"と証明する方法は、もう夭逝しか残されていない。20歳を過ぎてしまった小生は、40代までに死ぬしかないのだ。希死念慮があるわけじゃない。勿論死ぬのは怖い。それはもう心底恐ろしい。誰もが経験するのに誰にも実態がわからないなんて、めちゃくちゃ怖い。
散々自分の才能を否定してきたけど、やっぱりどこかで自分への期待が捨てきれないのだ。自分は天才だと信じたい。だから、自分は早死にすると信じて生きる。本当に才能があるのならば、小生の人生は短いはずだ。科学的な根拠なんてないし例外だって沢山存在している。それを承知で、馬鹿げた理論を信じることが自分への救済なのだ。それは人々が神を信じることと同じだ。

だから小生は40代までに死ぬ。その予定だ。先のことなんてわからないけど。
どうせ短い人生なのだから、少しでも多くの戯曲を書きたいな。後悔は少なくしたい。笑って死にたい。

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