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白い影 #SS
理学部棟の宇宙太陽研究所のある五階で幽霊が出るとの噂を仕入れてきたのは、弘志の友人の翔だった。五階の廊下を白い影がいったりきたり、研究所の扉をすうっと出入りするのだという。
翔がさらに調べたところによると、霊感があると自称するあるタレントが言うには、幽霊の出る条件には三つあるのだとか。
・強い電波がある
・強い磁波がある
・幽霊自身に「化けて出たい」意志がある
「幽霊に意志があるというのが面白いな」
「そりゃそうやろ、元は人間やねんから」
「要するにこの世への未練、てやつかな」
翔が興奮した面持ちになった。
「大学のホームページを調べたら、ここの宇宙太陽研究所には高度マイクロ波エネルギー伝送装置、というのがあるらしいねん。ものすごい強い電磁波を出す装置や。だから、幽霊が出やすいのや」
翔と同じ経済学部の弘志がわかったようなわからないような表情を浮かべると、
「なあ、幽霊って見たことある?」
首をふった。
「おれもや。見てみたいと思わんか」
翔に引きずられる形でその日の午後十時、弘志は理学部棟の入り口にいた。横には貴彦。二人だけはちょっと怖い。弘志は電話で翔の了解を得て、共通の友人の貴彦を誘ったのだ。
エレベーターで五階へ上がる。宇宙太陽研究所のある廊下の両側には、あわせて十の部屋があった。うち二つの部屋にまだ電灯が点いている。
三人は理学部の学生のふうを装って、何度も廊下を行ききした。宇宙太陽研究所の電灯は消されているが、「磁場発生中」の標識が扉に付けられている。
「幽霊がいるかどうか、真っ暗にならんとわからへんなあ」
翔が舌打ちする。とりあえず弘志と翔は、カメラ機能付きの携帯電話で何もない空間を何度も撮った。貴彦は興味がないのか、だまってその様子を見ているだけだ。
日付が変わるころ、二つの研究所の電灯が相次いで消え、人が出てきた。三人は慌てて壁に隠れた。廊下の電灯も消えた。廊下の奥に非常灯だけが小さく点る。
ようやく幽霊が見えやすい環境がととのった。暗闇に翔の鼻息があらく聞こえる。反対に、貴彦は静かだ。非常灯の灯りを頼りに三人は廊下を行ききした。弘志と翔は暗闇を撮り続けた。しかし、白い影はあらわれないし、画像にも写っていない。
午前二時。疲れと眠気で弘志は辛抱できなくなった。
「きっと、なんぼ待っても出えへんやろ。帰ろう」
「せやな。僕もしんどなってきた」
と貴彦。
「おまえら根性なしやなあ。ええわ、帰れ。おれは朝までいるから」
翔を残し、弘志と貴彦は理学部棟を出た。
朝、大学に行くと翔がいない。翌日も、翌日も。あほやなあ、必修科目落とすで。翔にメールを送るも、返事がない。電話をすると「ただいま電波の届かないところにいるか、電源が入っておりません」とアナウンスが流れた。
またツーリングか。どこ行っとるねん。翔は講義をしょっちゅうサボるし、連絡してもほぼ返信しない奴なのだ。まあいいかと思い放置していたが、弘志は一週間も経つとさすがに心配になってきた。
「なあ、肝試しの日から翔を見ないけど、翔から連絡ある?」
同じ講義を受けた際、貴彦に訊いた。貴彦が訝しげに弘志を見つめ返す。
「何言ってんの? ……翔は先月、ツーリング中の事故で……」
弘志の記憶が高速で巻き戻る。蝉声のふりやまぬ寺。参列者の嗚咽。うなだれる両親。祭壇の上の、はじける笑顔の翔。
「お前さ、誰もいない空間に翔、翔、って話しかけてる時あるねん。肝試し、翔に誘われたって言うし。翔が死んだショックでちょっとおかしなってんのかと思って、だまってたけど、怖かったで」
携帯を確認した。葬式以降に翔とやり取りした電話、メールの履歴が消えていた。震える手で撮った画像をあさった。興味が失せて、全部は確認しなかったのだ。
いずれにも弘志と貴彦しか写っていなかった。うち暗闇の中、貴彦に、彼と同じくらいの大きさの白い影がかぶさる画像が一枚だけあった。
先月からずっとこの世をさまよっていた翔は、あの世へ行く決心をつけて、僕たちを肝試しに誘ったのだろうか。
白い影の画像は、明るくいたずら好きだった翔の形見として、いまでも弘志のスマホに残っている。