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悪霊 #SS

  私は、賀来霊かくりょう。この変な名前は心霊研究家のお父さんが付けた。

 家にはお父さんが仕事で使う世界中の幽霊・妖怪の本や変な人形、お父さんが子供の頃に集めた「あなたの知らない世界」や冝保愛子の心霊特番の録画を焼き直したDVDが山ほどあふれている。

 名前がもし阿久霊あくりょうだったら出生届を不受理にしてもらえたかもしれない。しかし、単に音が似ているだけなので、不幸にも通ってしまった。お母さんは泣いて反対したが、お父さんに押し切られてしまったという。

 当然、私は物心ついたときからからかわれた。幼稚園で男の子が「あくりょう! あくりょう!」とはやし立てる。お父さんがたまに心霊番組に出ていたのも影響したと思う。

 私はそのたびに下を向いて、涙をこらえて我慢した。もちろん、お父さんに訴えた。

「男の子が悪霊と言っていじめてくる。こんな変な名前、いやや」

 するとお父さんは和紙で人形を作り、その子の名前を墨で書き、粗塩と変な粉をそれにかけ、ろうそくをいっぱい立てた部屋の中で呪文を唱える。もちろん、そんな呪文は効きやしない。

 だいたい、お父さんに霊感があるはずがない。幽霊に興味を持ち研究するやつなんてみんな、霊感がないから出来るのだ。改名の申立ては十五歳以上であれば親の許可を得ず自分で行うことができる。私は十五歳になったら絶対に改名すると誓った。

 小学校に上がるといじめはもっとひどくなった。先生がいちおう注意してくれるけど、先生がいなくなったら彼らは私の背後に寄ってきて、「悪霊さん」とつぶやく。私が無視すると前にまわり、

「あっ悪霊さんが後ろにいる! 背後霊になった~!」

 と、はしゃぐ。

 四年生のある日、いじめのボスの高田陽平が、またからかってきた。後ろから私の長い髪をばさばさにし、「貞子~」とやった。

 頭に血が昇った。私は振り向くと高田陽平の胸を力いっぱい押した。不意を突かれた彼は仰向きに倒れ、背中を激しく打った。そうして、さめざめと泣き出した。かっこわる。

 怪我は打ち身だけで済んだ。頭を打たなかったのは幸いだった。私は高田陽平に謝らなかったし、高田陽平もバツが悪いのか先生に言いつけはしなかった。

 それからいじめは止んだ。私は「あいつを怒らせたら悪霊以上に怖い」と怖れられるようになった。

 十五歳の誕生日、八月三日の前夜。夢の中につるっぱげのおじいさんが現れた。

「そなたは間もなく、わしを抹殺しようとしておるな」

「おじいさん、だれ?」

「天照御大神、日本武尊、須佐之男命……、あらゆる神がそなたの名前、りょうには宿っておるのじゃ。わしはその総体、八百万の神であるぞえ」

 お父さんみたいなことを言うなあと、夢ながら私はうんざりした。

「改名などもってのほかじゃ。気づいていないじゃろうが、そなたはいつも名前に、つまりわしに助けられておるのじゃぞ。この前の日曜日、自転車で坂道を下っていて、子供にぶつかりそうになったじゃろう」

 確かにそんなことがあった。路地から急に子供が出てきたのでとっさにハンドルを左に切り、回避したのだ。

「あれは、わしが助けてやったのじゃ。違う名前だったら、えらいことになっていたぞな」

 私の運動神経がいいのであって、関係ないと思うけど。

「信用してない顔じゃな。では、予言するぞえ。明日、そなたは市役所で高田陽平という男に会う」

 そう言うとおじいさんはすうーっと消えた。

 改名の手続きには戸籍謄本が必要だ。翌日、私は市役所の市民課に行き、列に並んだ。前の人が振り向いた。高田陽平だった。お互い、あっという顔になった。私がだまっていると、

「おれ、転校するねん。だからその手続きにきてん。おかんがいまトイレに行ってて」

 訊いてもいないのにしゃべってきた。

「あのさあ。小学生の時、色々からかってごめんな」

 私も怪我させてごめんね、と言おうとしたのに、喉につかえて出てこなかった。手続きをして、高田陽平と母親は帰っていった。おじいさんの予言が当たったので改名の意気込みが削がれ、私は何もせず市役所を出た。

 あれから十年以上が過ぎたが、高田陽平にはいまだ謝っていない。どころか娘の名前を妖子ようこにしようと言うので いまギロチンドロップをくらわせてやったばかりだ。


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