言葉で絵を描く
短歌や俳句って、言葉で絵を描いてる感じがする。
もちろん散文もそうなんだけど、言葉をぎゅっと圧縮した短詩形のほうが、より「描いてる」感覚に近い。自分のなかでは。
絵といえば、子供のころ、学校では「図画」の時間がいちばん好きだった。
絵が得意だからではなく、3時間ずっとほっといてもらえるからである。
あるときのテーマは「抽象画を描こう」だった。
抽象画ってなんぞや? 教科書をめくる。いろんな色の、マルや四角をいっぱいちりばめた感じ……。ナルホド。
黄色から灰色にグラデーションするたくさんのマルを描いていたら、先生が言った。
「灰色を使うのは、孤独が好きなんやな」
それ言ったら世界中の人のほとんどは孤独好きやで? と思ったがだまっていた。孤独好きなのは当たっているし、なんかこの先生好きやな。
彼自身、絵を描く以外なにもできなさそうな人だった。
言葉で絵を描く。
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
なんて究極のそれだろう。
雲雀落ち天に金粉残りけり 平井照敏
ていうのもあるぞ。
一字たりとも他に置き換えることのできない、混じりっけ無しの玉のような句を見るにつけ、言葉の神秘を思う。
(名句と同じ画面に載せるのは……お恥ずかしいですが……)
囀りや切なくもある君らの恋 明良