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ヴィパッサナー瞑想体験記Day7 ~燃えさかる炎~

ヴィパッサナー瞑想も残り4日。あと4日かぁ・・・と思う時点で嫌悪という反応が生じている7日目の早朝4時。
2日目から毎晩夢を見るようになってそれで途中で起き、寝不足も続いていて意識はぽけーっとした状態。

全ての時間が修行

瞑想中の激痛だけでなく、感覚に対して反応しない、感覚を「私」と結びつけないことは、瞑想以外の時間でも問われている。

「ここまでやってきたから、少しくらい休んでもいいでしょ?」といった反応が湧き上がってくる。それは自分の「疲労」という感覚を「私は疲れているから」と自分に結びつけて、理由をつけて瞑想を休もうとしたり。
次は強い決意の瞑想が待っているから、その手前の自主瞑想は適宜休憩をいれてやればいいや、という考えが湧き上がってきたり。

自分の頑張り、疲労、蓄積された痛み等などが自分をサボらせようとしたり、ペースを落とさせようとする。
そして、「寝不足が続いているから」と理由をつけて、そこに「私」を紐付け、「だから少しは休んだ方がいい」と言い訳とそれに紐付く行動の動機が湧き上がってきてしまう。
そして早朝の瞑想では、最初の1時間は集中して瞑想できたものの、残りの1時間は猛烈な空腹感と眠気のダブルパンチで、意識朦朧となりただ座っているだけに。。。ほんと色んな感覚となってやってくるのね。

そんなことと格闘しながら、やっとお昼休みにたどり着いたら、、、
「昼飯がパスタじゃないですか!!!」
3日目のカレー以来の衝撃!薄味だったけど、塩をかければ美味しいパスタのできあがり!
いやいや、3日目に失敗しているでしょ!?パスタなんてヴィパッサナー瞑想終わったあとにいくらでも食べられるでしょ??
そう理性がいっているのは分かる・・・でも!!!

ここまでずっと頑張ってきたんだから、そんな自分に報いてもいいでしょ!!とお代わりしてしまった。。。
そして、午後一の自主瞑想は30分間布団でぐっすり・・・はぁ、一体何度同じ事繰り返しているのよ。。。

「いや、嫌悪はしちゃだめ!この瞑想は苦悩を減らすための実践法なのに今苦悩しちゃってるでしょ!?」という心の声がやってくる。
渇望しない、嫌悪しない、執着しない、それがヴィパッサナーの実践なのに、もっと寝たい、ちゃんと休んだ方がいい、美味しい食事を食べたい等など、瞑想以外にも「私」というものの執着の反応はあれこれでてくる。そしてこのようにがっかりしたり、みじめな気持ちになっている。。。

自分らしさ・ありのままのアップデート

自分らしさ、ありのまま、あるがまま、自己受容、自己肯定。
今こうしたことが大切にされ、色んな所でこうしたワードを目にするようになってきました。でもこうしたのは極めて危険な劇物でもあることをいつも注意しています。

こうしたワードは、聞き心地がいいことでしょう。そして誰もこうしたテーマを否定することはない。(誰にとっても大切なテーマ)
でも単なるありのまま、自分らしさだけでは、現状の肯定とその状態の維持を固持することに繋がってしまう。居心地のよさから「自分らしさ」「ありのまま」というものに執着してしまうような場・講座もあるのも事実。

その居心地のよさはyogiboのようなもの

決してこうしたワードを否定しているわけではなく、一方で「ありのまま」「自分らしさ」もアップデートが必要だと思うわけです。
Being、あり方に向き合うなら、マイペースというのを越えた先に大切なことがある。よーし、このメカニズムを断ち切る!!!
もう夕飯の果物も食べない!!食事も半分以下にする!瞑想も1時間半でも2時間でもやり続ける!
「強い決意」は決して1時間×3回だけのところだけでは意味が無い。何のためにこの10日間、音信不通状態にしてまで今ここにいるのか。
(このような苦行になるとは思っていなかったが・・・)

残り数日間しかない。終わりまで強い決意でのぞむことが、このヴィパッサナー瞑想をより豊かな体験にしてくれる。そのことを決意した7日目。

消えない灼熱の反応

そんな決意を胸に午後も真剣に瞑想に取り組んできました。が。。。
「心の汚濁が様々な感覚となって立ち現れる」と講義で何度も何度も聞いてますが、その「感覚」が色んな形となって現われるんですよね。。。

脚の痛みには客観的に観察することができるようになったし、痛みが生まれては消えるという感覚も瞑想体験から実感できている。
そんななかでこの7日目の夜の瞑想では、今までにない感覚が脚を襲うことに。。。それが「熱」。
もう「脚が燃やされている!!!」というくらい、脚が熱い!
痛みなら振動であったり、動きであったり、強まったり弱まったりを感じるのですが、この熱は火力が高まっていくばかり!

生まれては・・・・消えない!!!強まっていくばかりなんですが!
座り続けているから、常に炎に薪をガンガン投入し続けているようなもの。無常じゃないんですけど・・・(泣)

感覚としては悪魔風脚のような灼熱感

心の汚濁がたっぷり溜まっているんでしょうね。。。

7日目講義(一部)

ヴィパッサナー瞑想に参加すると、寝られない日が続くこともある。
そうすると「早く寝ないと」「しっかり休まないと」とそこに渇望が生まれたりすることもある。
寝られないときは、横になっていれば体を休めることができる。そしてそのときも感覚に意識を向けて、平静さをたもつことで心も休めることができる。そうすれば少ない睡眠時間でも心と体を休めることができる。

なんだ、この講義いつも自分が日中悩んでいたことを突っ込んでくる。
寝不足になる人が多いんでしょうね。

昨夜は瞑想の5つの敵を紹介したが、逆に5つの友もいる。
ただし、5つの友は、向き合い方を間違えると敵に変わってしまう。

1.信心
ヴィパッサナー瞑想は自分にとって大切な実践法なのだと信じること。
ただし、「信心」というのは非常にやっかいで、無知だと人は「盲信」になってしまう。
例えば宗教について、神様の名前を日頃から伝えたり、祈ったりして、中にはタトゥーを入れたり、神様の名前が入っているTシャツを着て「私は信心があります!!」アピールをしている。
神様という存在は、それほどまでに自分の名前を呼んでほしい自己顕示欲があるのだろうか??
もしそうだとしたら、きっとその神様はいろんな施設に自分の名前を必ずつけさせて、そして必ず自分の像を置かせ、そして毎日そこに何万人も集めて自分の名前を呼ばせるのだろう。果たしてそんな神様などいるのか?
どんな宗教であれ、その道を切り拓いた人はみな人間として深い慈愛があった。例えばキリストは磔にされて拷問され最期を迎えたが、そんなときであっても目の前の人たちが罰されないように祈っていた奥深い慈愛がある。
信心とは、そうしたその宗教をひらいた人の生き様、死に様、そこにおけるきわめて深い慈愛、慈悲の想い、行動から学び、自分も体現としてその道を歩むことが信心である。
にもかかわらず、教本などの言葉を見かけ上理解し、自分勝手に解釈し、そして都合が悪くなったら神様頼みで私はあなたを信じてますアピールをし、そして日常はまわりに渇望・嫌悪を振りまいて、私・私の・私のものに執着をして生きている。それが信者というのだから神様は一体どんな気持ちでそれを見ていることだろう。

2.努力
3.気づき
4.集中・洞察
5.平静さ・知恵

盲信は本当に気をつけないといけない。
これは決して宗教だけでなく、心理学であったり、様々な理論に書籍などを通して触れやすくなっていますが、そこに書いてあることを自分勝手に理解・解釈して、そしてその心理学・理論を使って自分の都合のいいように状況をコントロールしようとするケースがあります。

例えば最近は成人発達理論の注目度が増していますが、「発達=善」と解釈したり、人をランク付けするような見方でみたり(大抵こういう見方をする人は自分の発達段階は高く評価している)。
結果として発達ハラスメントのようなことが起きていることもちらほら。。

こうした私たちの身近にあるような、特に心理学のように人のデリケートな部分、下手したら人の心も傷つけたり壊すようなものに関しては、エゴでは絶対に触れてはいけないし、何よりもその心理学・理論がどういった生き様で、どのような想いで生み出されてきたのかを理解することが大切に感じます。(と言いつつ自分も至らない点は多い)
人と組織に向き合う立場として、自分も心理学や理論などを盲信しないよう、「無知」から脱却するために表面上の知識ではなく、そのものが生み出されてきたストーリーに対する深い理解を大切にしようと思います。


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