よし!転職しよう③

地方在住の元ソフトウェアエンジニアのAKIRAと申します。前回の記事をまだ、読んでいない方はご興味があれば過去の記事をご参照ください。

この記事は、私の体験を元にした転職に関する様々な出来事を、多少のフィクションを交えつつお届けできればと考えています。お暇潰しになれば幸いです。

【PMは突然に】

入社して、最初の試練は突然やって来ました。とある新規のプロジェクトの打ち合わせのため、営業と顧客のオフィスに打ち合わせに行くことになりました。

最初は他のPMが同行しており、私はメンバーとして参加するのかなと思っていましたが、PMが同行したのは最初だけでした。ここで怪しむべきでしたがまだ経験の浅い私は自分がそのプロジェクトのPMになるとは想像もしていなかったのです。

私のキャリアの中でも最悪のプロジェクトでしたが、この経験が今後の自分のプロジェクトマネジメントに大きな影響を残す事になったのは間違いありません。今思えば、良い経験でした。2度と経験したくありませんが。

どう最悪だったかと言うと、そもそも聞いていた開発範囲がまったく違っていました。最初は顧客が独自に開発したアクセス(MicrosoftのAccessというソフト)の業務システムのリプレースと聞いていました。しかし中身を聞いていくと、基幹システムも刷新する必要があるという事で、聞いていた範囲が5倍近くのボリュームであることが解ったのです。

さらに最悪な事に、アクセスの業務システムを開発していた顧客側の社員は経営層と喧嘩を始めておりまったく非協力的でした。というか、業務システムの仕様をコロコロと変えて妨害してくる有様です。

そもそも私は基幹システムの刷新は聞いていないということで、刷新は契約に含まれているか営業に確認したところ、契約書に範囲を明確に記載していないせいで顧客の主張を覆す材料が無く、基幹システムも範囲だと顧客に押し切られる始末でした。(そもそも営業も明確な範囲を把握していませんでした。おいおい。)

予算を聞くと1千万の契約で、基幹システムはそもそも某大手企業のシステムで3千万はするものでしたので、どうやってもリプレースは不可能です。基幹システムは顧客管理と会計がメインになっており、業務用の機械の通信制御も行うなかなかの機能数の多いシステムでした。

そこに業務システムを統合させ、さらに新たなサブシステムも必要(後付で追加され、さすがに別費用頂きました。)との事で、どうやっても予算が足りないと担当営業に訴えかけたのですが、事の重大さがまったく解っていない状態でした。そもそも1千万の見積もりは最初に同行したPMが算出した見積もりでしたが、知らん顔されました。

私は、当時の開発メンバーに「これはご乱心してひと暴れするしかない」と告げ、経営層に訴えかけました。「①このまま続けるなら確実に赤字になること、②終わりが見えないのでスケジュールの見直し、③優秀なSEを至急投入する」大まかにこの3つを了承してもらえないと不可能であると訴え、了承してもらいました。

しかし、まだ私は若かったせいで理路整然と「こういう理由で、できません。やりません。」が言えなかった事が反省点ではありました。(言えない状況にどんどん追い込まれたのですが・・・。)

どうやったら実現できるかを考えるのはエンジニアとして必要な事だと思いますが、仮に実現方法があったとしても、「①契約書は適切なのか、②常識的な業務量(残業なし)で済むか、③そもそも赤字でやる意味があるのか」といったビジネスとしての大前提をこの頃の私は考えられていませんでした。

そこは営業や経営層が考えているものと思っていましたが、意外と考えていないのがベンチャーの怖いところです。(なぜこんな仕事を取ってきたのか、営業ともめましたが、私は営業を論破できるほどの経験も知識も足りていませんでした。今なら、違約金払ってでもストップしたと思います。)

結局、このシステムは大きく3回のリリースに分けて対応する事になり、メインシステムと2つのサブシステムを開発する事になりました。しかもメインシステムの開発方法は、正確に設計することが困難だったため、完全に動作する環境を一つ借りて、とにかく全ての業務を動作確認していくという途方も無い方法を取らざるを得ませんでした。(顧客側の担当者が経営者と喧嘩していますので・・・。)

全てのシステムがリリースできるまでにおよそ2年近くかかったと思います。最初の稼働はデータ移行だけでも数ヶ月かかり、稼働後も不具合が頻発し毎日のようにリモートで保守をしていました。最終的にはシステムは完成し、そこそこ良いシステムになり、顧客にも感謝されたのですが、無理を押し通す悪い前例を作ったようにも思います。

おかげでプロジェクトが失敗する原因と、追い込まれたときの対応については非常に勉強になりました。知らなくて済むのであれば知らないで良い事ですが、世の中こういう落とし穴がいっぱい空いているので、その後のリスクマネジメント能力は向上したと思います。

【2度あることは3度ある】

実は、このプロジェクトほどは酷くありませんが、これに近いようなプロジェクトが今後も続きます。範囲がよく解らないシステムを作るというのは、もしかすると今でもいろんな現場で繰り返されているかもしれません。

顧客が自分達のシステムに必要な要件をきちっと出せる事は稀なため、要件を洗い出しながら開発していくスタイルとして、アジャイル開発を採用することがあると思いますが、日本の商習慣として先に予算を決める必要があるためアジャイル開発にマッチせず、開発が破綻するという状況が続きます。SIerはどこもこの問題に苦しんだのではないかと思います。

何度も繰り返される無謀なプロジェクトに私は営業への不信感を募らせていきました。顧客との打ち合わせで思いつきで取ってきたような案件に疑問を感じるとともに、こういう仕事の多くは会社を維持するために利益が薄くても社員を遊ばせるよりは良いといった考え方や、売上目標を達成するためだけに取ってきているように感じました。

そこには経営戦略もマーケティング戦略もありません。こんなものはビジネスとは言えないのではないかと考え始めていました。IT技術者がこんな事を考える必要は無いと思う人も居るかもしれませんが、IT業界の変化は激しいのでビジネスモデルと開発手法のマッチ具合や採用技術については常に意識的に学習し続けなければ生き残れないのではないかと考えています。

この頃には国内でもクラウドサービスが出てき始めていました。私もとあるWEBシステムを仮想サーバ(VPC)で構築していたものを、クラウドに移行させることで負荷分散がしっかりできる環境を構築することに成功し今後はクラウドサービスをやっていくべきだと感じていました。

しかし会社はその方向には舵を切れておらず、特に営業はまったくクラウドサービスを理解していませんでしたので、もう会話にすらならない状態でした。一部のチンピラのような営業マンは最悪で、「いいから俺の取ってきた案件を黙ってやれ」という態度でしたので完全無視していました。

会社も業績が厳しかった事もあり今思えば営業もストレスが溜まっていたのでしょうが、開発者へのリスペクトの無い営業に振り回されるのは私としても不本意でした。

個人的には会社に早く自社クラウドサービス開発に舵を切って欲しかったので、社長にアイデアを直談判したりもしましたが、残念ながら実現されませんでした。(このとき社長は2代目に変わっており、技術者出身なので期待していたのですが、経営者になりたてで判断できなかったんでしょうね)

この頃から、ITの解らない営業に顧客打ち合わせを任せるのはリスクが高いと感じ必ず同行するようになりました。システムを検討する上で前提条件や必須要件・予算規模など感覚が掴めていない営業が中途半端な知識で暴走するのが怖かったのです。

営業もそこは不安があるので同行を嫌がる人は少ないかと思います。元エンジニアの営業ならある程度大丈夫でしょうが、それでも実際に開発を担当するメンバーに逐次情報共有してリスクを減らしてほしいですけどね。

【R&Dの重要性】

私が社長に直談判したのは、R&Dをやらせてほしいという事でした。もし会社に予算が無いなら、OSSコミュニティを仲間を募ってやるので良いものができたら買い取るなりライセンスフィーをOSSコミュニティに支払うというアイデアをぶつけたのでした。会社にも都合の良い条件だと思うのですが、ちょっと考え方が早すぎたのかもしれません。

私は以前、OSSを調査し実用性を検証する仕事というR&Dをやる部門の仕事で行っていました。ベンチャー企業に入って感じたのがR&Dがほとんど無いという事でした。案件の中で博打のようなチャレンジ(検証の不十分な新しい技術を採用するなど)をやっており、調査・研究に時間を割いていないので、戦略的な技術採用もできていない印象でした。

私は前職の知識をベースにOSSをフル活用してなるべく1から開発しないようにアーキテクチャを設計し、一度開発したシステムを流用してどんどん開発範囲を少なくしていく手法を取っていました。テスト範囲を減らし生産性を向上させるには、こういった流用が最も簡単な方法でしたので、【車輪の再発明】はしない方針でした。

既に発明されているものを効果的に使うには、様々なOSSを試してみて品質や仕様が要件を満たすかなど綿密に調査しなければなりませんが、周りをみてもあまりそういった事はしておらず、自前で実装するのが好きな人が多かったです。

それはそれで必要な場合もあるのですが、そもそも日本のITは遅れていましたので、海外のOSSを探した方が効率が良いと私は考えていました。(OSSなので自分できちんと把握して使わないといけないのですが)

【2度目の転職へ】

私は漠然とこれからはクラウドサービスの時代だと感じていました。社長に提案したアイデアが却下されたとき、個人でやろうかと考えはじめていました。当時はSOHOという言葉が流行っており、今でいうところのフリーランスに似ていると思いますが、ようするに独立を画策していました。

そこでまずビジネスプランとして、どんなクラウドサービスを作るか考え事業計画書を書いてみました。このとき、前職の派遣先でお世話になったリーダーが独立して中小企業診断士として活動し始めている事を知りました。私はすぐに連絡を取って事業計画書を見てもらいました。

そこで言われた事は、「同じ事をすでに多くの企業が考えてこれからはじめると思うけど、勝てるの?」というごもっともな意見でした。特に「競争相手はベンチャーじゃなくて予算的体力のある大手でも勝てるようじゃないと独立は進めない。一度大手に潜り込んでみたらどう?」というアドバイスが心に刺さりました。

ニッチな業界をターゲットにしていたのですが、私自身がその業界に詳しいわけではなかったですし、私は派遣会社とベンチャー企業しか経験していませんでしたので、一度大きな会社を見ておくのも勉強になるかもしれないと思い直したのです。(まだローンもありますしね…。)

【転職後10年経過】


そうこうしている間にあっと言う間に転職して10年経過の私のスペックは以下の通りです。

  • 年齢:35歳

  • 年収:600万

  • 家族構成:3人

  • 居住エリア:中核都市

  • 資格:英語(TOEIC600点)、基本情報・ソフ開

  • 経験:PG6年、SE5年、PM5年

    • 言語:Perl1年、C++2年、Java13年、HTML/CSS15年、Ruby1年

    • OS:Windows2000/XP、RHL/CentOS

    • IDE:VisualStudio、Eclipse

    • フレームワーク:Struts、Velocity、Seasar2

    • DB:Oracle、PostgreSQL

    • その他:Photoshop、illustrator

  • 特殊:オブジェクト指向13年、XP/スクラム2年、CMMI2年、VPC5年

転職後の後半5年間で得た経験は、突然PMとしての仕事がやらされる事になった5年間でした。さくらインターネットやGMOなどでVPCサービスが出始めた頃だと思いますが、最初の自分でサーバを構築してWEBアプリケーションを動かしていました。なかなか安定稼働させるのに苦労し、このとき監視の仕組みやセキュリティなどの知識を一通り得て、クラウド時代の到来を感じつつあったと思います。(セキュリティに関しては海外のハッカーとの戦いについて別途記事にしたいと思います。)

そして、独立を考えつつも大手企業に潜り込むという方向性を考え始め2度目の転職をするのですが、選んだ業界が想像を絶する遅れた業界だったのでした。

今回はここまで、また次回。

【次回予告】

業界全体がレガシーな業界、ピンチとチャンスが同時に襲来、ベンチャーには無かった社内政治が渦巻く大企業転職編、乞うご期待!


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