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界のカケラ 〜59〜

 だがそうは言ってもあくまで仮定の話だ。もし理解を示した人がいても本人がそう思わなければ変わらない。人は自分で決めたことでしか行動や思考を変えることはできない。変えられたとしても時間が経てば元の思考や行動に戻ってしまう。セミナージプシーや本やネットに書いてる内容を真似しても人が変われないのはそういうことが理由の大半だ。しかし信頼している人から理解されたり、出会った当初からお互いを知っているたりする錯覚をした場合は、そうではなくなる。その理論からいえば、市ヶ谷さんにとっては「お姉ちゃん」になる。お姉ちゃんからの言葉には反応するだろうし、聞く耳を持つだろう。考え方や行動も変わるはずだ。もちろん内容によってはという前提条件付きだが。

 人との縁は不思議なもので、自分には必要のない縁でも自分の思考から切り離して考えてみると必要になっている。人だけでなく動物とも言えるのだが、それをどう自分のために生かしていくかが人生の勉強なのだろうと思うことが多々あった。たとえ親であっても反面教師にして生きていくかどうかで人生は大きく変わる。自分が良い人間であろうと言動や行動に気をつけて、人の役に立つ、喜びや幸せを振りまける人間になろうと行動していれば周りにそういう人が寄ってくる。逆にそうでない人はそうでない人が寄ってくる。

 人には生まれながらに決まっている縁と自分で選びとれる縁がある。どう区別するかは難しいが自分の考え方や行動と同じような人と仲良くなれば自分で選びとった縁であることは確かだ。類は友を呼ぶというのもそういうことを先人が理解していたことから作られた慣用句だ。よくできた言葉だと感心する。

 果たして「お姉ちゃん」と話して思考も行動も全て変わるのか。変わってほしいという希望と期待で誘導してしまわないだろうか。多くのことに細心の注意を払うことを心に刻みながら待っていた。

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