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誰かのためにお金を使うという幸せ

僕は、何かと寄付をすることが苦ではない。
むしろそれは自分を幸せにすることなのだろうと思うときさえある。
無論、だからといって「お前も寄付しろ」などという押しつけるようなことを言いたいのではない。


でも、もし心のどかかに「誰かを支えてあげたい」と思ったりすることがあれば実行してみるといい。理由は何であれ構わない。そんなことを今日は徒然なるままに書こうかと思う。


1寄付をするということ

誰かを助けたいと思うことは一度や二度は人生であっただろう。
たとえそれが目の前で倒れこんでいる人かもしれないし、会ったこともない遠い異国の人かもしれない。


僕が今まで寄付をしたりしていた中で、感じたのはこの一点だ。


「誰かのために使っている」というのは心持ちがいい。


なんの見返りも求めず、もらった人達がどんな支援を得て、苦しみから離れて心おきなく生活をしていくのか。それを想像してみると、なんだか自分自身まで心が温かくなるような気持ちになる。


逆に彼らに見返りを求めてしまったら、それは寄付でも何でもない。


「私はこれだけ寄付したのにどうしてその分を私に返してくれないの!?」


これでは支援でも何でもない。「ほしい、ほしい」と自分が貧しい心を持っているということが目に見えてしまっているのが明確だ。自分だけが求めて、欲して満足してもそこに終わりは見えない。いつまでもモノを欲する自分だけがそこに存在している。


古から伝う教えには、

「善い行いをすればよい結果が返ってくる」(因果因縁)
→仏教の「お布施」
「物乞いに施しをする人は天国へ入る」
→イスラム教の「喜捨」

などというように、誰かのために施すことが、自身の幸せにつながるというのはもう昔から言われている。


アンパンマンが自分の顔を分け与えて子どもたちを満足させてあげることが自分の役割で、幸せであるように、
僕らの幸せというのは、誰かに手を差し伸べることなのかもしれない。



2僕の寄付の基準

そうはいっても僕が寄付をするにも限度というものがあるし、ある程度基準をつけないといけない。僕の寄付の基準はこれ。

1少額でもいいから長くできる。
2どうしてそこに寄付したか、自分で理由を言える。
3(友人など)「こいつには頑張ってほしい」というものには惜しまない


1少額でもいいから長くできる

いきなり多額のお金を出すのにはもちろん無理がある。
「できる範囲」で。「支えたい」範囲で。がお決まりだ。

自分がそれで不幸になっては元も子もない。


2どうしてそこに寄付したか、自分で理由を言える。

これが一番重要だと思う。
何の理由ない寄付は「ただお金を出しただけ」であり、その先の人たちのこと何もわからず出すという(自分にとっての)ムダ金となりかねない。

自分でどうして出したか、どこに行ってどう支援されて、どう人々がよりよくなるのか、それを思えることが僕の中では一番重要なことなのだ。


例えば僕が支援しているところだとこんなところだ。

日本ユニセフ協会

僕は教師志望ではあったものの、今は教師ではない。
でも、心のどこかに子どもたちのために何かしてあげたいという思いがあった。自分ではできないからユニセフに託して少しでも子どもたちのために何かできればと思って今でもずっと寄付をしている。
なんだかんだもう7年くらい毎月支援していた。


国連UNHCR協会(国連難民高等弁務官事務所)

難民の人たちの支援ということで、ユニセフと同じ国連機関でもあり、世界で苦しんでいる人に手を差し伸べればと思って支援をしていた。
ただ、こちらは今月で支援をやめてしまった。

ユニセフと被るうえ、僕の寄付先があまりに偏っているような気がしたのだ。


日本赤十字社

こちらはまだ寄付をしていないが、来月から寄付をしようとしている。
パンデミック以来、医療の重要性をとても感じたうえ、東日本大震災での活躍や献血活動(これもよく行っていた)も見ていた。

日本の人たちが体に困ることなく過ごしていけるのは、彼らのおかげなのだろうと思うと、彼らを応援するほかないように感じてる。


3(友人など)「こいつには頑張ってほしい」というものには惜しまない

自分の知っている知人や友人が頑張っている姿を見たら、「がんばれ!」と思うだろう。そういうものには惜しまないことにしている。

過去自分ができなかったこと、自分がやろうとしても達成できなかった(であろう)こと、自分がやろうとも思っていなかったことに立ち向かうというのはとてもパワーがいるものだ。


最たるものがそう、クラウドファンディングである。
リターンはあれど、彼らの思いや熱意に賛同して支えたいと動いた結果が寄付となるのだ。


食べ物系の時はそれ目的なだけの時もあるけど笑、それは向こうが出してくれるのだからと言い聞かしている。。。


3まとめ

寄付なんてもしかしたら大したことないかもしれない。
でも、それをすることが自分にとって幸せになることであるのならば、
そしてもし支えたいものがあるのであれば、
やってみたらいい。


「きっと神様は見ているんだからね!」


こんなことを子どもたちに代々言っていたのが、古からの日本なのだ。
こんな行動も、きっと誰かが見ている。
それが神様だろうと、近所のおばさんだろうと。



とにもかくにも、僕にはいま伝えたいことがある。

僕の旅仲間がクラウドファンディングを始めたそうだ。
この時期に台湾へワーホリ(という名目で旅を)したというのだから世間一般からしたらCrazyなのはわかっている。(「普通」「常識」などないのだから。)

でも、それだけ彼の思いや熱意はあるし、それをやってのけるだけの気概はきっと備わっているはずだ。彼の気持ちを読んで心が揺れたのならぜひ、彼に手を差し伸べてほしい。


僕もリターンなど何も求めず少しでも手を差し伸べようと思う。

それはいつかきっとどこかにつながっているだろうから。。。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 ちょっとでも心に響いたり、風が吹いたような感覚があったりすればまた戻ってきて読んでみてください。 スキやコメント、SNSで反応してくれたらありがたい限りです。