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雑感87:訂正する力

哲学の魅力を支える「時事」「理論」「実存」の三つの視点から、
現代日本で「誤る」こと、「訂正」することの意味を問い、
この国の自画像をアップデートする。

デビュー30周年を飾る集大成『訂正可能性の哲学』を実践する決定版!

amazon/本の概要欄より

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本書と全然関係ない気もするのですが、私が入社した時の上司は、「朝令暮改」という言葉が非常に似合う(?)人でした。

朝言っていた指示と、夕方に言っている指示が違う。
しかしながら、理不尽な印象は受けず、それなりに皆が納得するような筋書きや説明がある。

朝夕どちらの指示に従っても、大勢には影響ない。概ね同じような結論に辿り着く。

確かにこの上司は「考えがすぐ変わるよね」と言われてはいたものの、では信頼を得ていなかったかというそういう訳でもなく、上司・部下からの信頼はむしろ厚かったように思う。

どういうことだったのだろうか。。。

「あなたのことはリベラルだとったと信じていたが、じつは保守でもあったのですね、そういえば過去のあの発言やこの発言もそう理解できるかもしれない」

第3章 親密な公共圏をつくるより

上の文章を読んだ後に、そんなことを思い出しました。
単純な二項対立だけでは表しきれない、人の一貫性(=筋?)、さらに言ってしまえば人の魅力?って、そういうコミュニケーションの中から見えてくる/育んでいくものではないでしょうか。

この場合、表面的に見るとその上司の意見はコロコロ変わっている訳ですが、内面的には譲れない何かがその上司にはある。その言語化できない部分(その人の物語とでも言えるでしょうか)に周りの人は共感し、信頼を置く。

ちょっと本書の主張と整合しているのか不明ですが、そんなことをふと思いました。

書中にもあったかと思いますが、同じ人でも10年前と今では別の「内容」であると思います。学生時代の私と社会人の今の私は表面的なステータスは勿論変わっていますが、それ以上に内面が全く違う。連続的な同じ人格とは思えないような差異があるように思う時があります。

そんな(言ってしまえば常に訂正し続けるという)性質を内包している「人間」が訂正できない世界・風土の中で生きている。

数十年後には「平成・令和の時代は随分息苦しい時代だったね」と皆で笑い話をするのかもしれませんが、なんとも不自然な世の中に生きているのではないか?という思いに至ったところで、この雑感を終えます。

私はこの程度のことしか書けませんが、非常に面白い本なのでオススメです。

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