僕が書ける「良い文」とは何か、を考えてみた。【文章術000】
学生の頃、僕は「本」が好きだった——。ここまではよくある話だろうが、僕の場合、その対象は小説やミステリーの類ではなくて、「◯◯図鑑」や「〇〇学」といった分厚い本だった。
そんなわけで、「嗚呼、この本を買って手元におきたいな」という収集欲がふつふつと湧き上がってきたときには大変だった。彼らは安くても2000〜3000円、高ければ1万円近くしたからだ。しかも、書店の棚には似たようなジャンルの本が何冊も並んでいるのである。当然全部を買うお金はないわけで、何日も何日も同じ書店に赴き、「今月はどれを買おうか……」、と馴染みの本棚と睨めっこするような日々を送るはめになった。
そんな習慣を繰り返していると、次第に「これは良い本だ」と見極める術が身に付いてきた。本棚に向かい合う無駄な時間を減らすために獲得した「勘」と言い換えても良いかもしれない。
僕にとっての「良い本」とは
僕が「良い本だ」と感じる条件が何だったかというと、その本の「前書き」が“しっかり”していることだった。
そこには、初めてその本と出会う読者への自然な「導入」があり、ゴールに辿り着くための合理的な「道筋」や「哲学」が記されており、そして、本に記された課題を超えた先に得られるであろう「報酬」が明確に記されていた。言い方を変えるならば、文字の向こう側から、読者のことを考えた優秀なコーチに思考を誘導されるような感覚があった。
もちろん、前書きだけが良くても「良い本」にはならない。肝心のコンテンツ(中身)が、その本に設計された道筋に沿ってデザインされていることも重要だ。これがあって初めて、読破した後に濃密なトレーニングを終えたような感覚が伴う。
僕が好んだ「本」というのは、このように「真剣に話を聞く姿勢を持った読者」に対して「真摯に向かい合い、そして寄り添ってくれる」ものだった。そして、そんな本は、決まって行間から製作陣のインテリジェンスと情熱が滲み出ていたものだった。
自分がライターになって
あの頃から10年以上が経ち、紆余曲折を経て、僕はフリーライターになった。優秀な先輩方や編集者たちとの縁にも恵まれ、雑誌やWebメディアで文字を書かせてもらい生計を立てている。いまでは、税金に文句を言いながらも、食べ物や家賃に困らず、たまの旅行をご褒美にできる程度に、文化的な生活を送れているとは思う。
僕がいま仕事で書いているテキストは、雑誌の特集記事であったり、Webメディアの記事であったり、様々な姿を取っている。専門家気取りでコメントや監修をすることもあれば、商品の良さを説明するまじめでカッチリした文章も書く。時には、砕けた口語を交え、カジュアルさを前面に出した記事も投稿する。
しかし、どの文章を書くときも「誰が、いつ、何のために読むのか」という意識が抜けないように心がけてはいる。実は、この習慣の源流がどこにあるか、と改めて考えてみたときに思い浮かんだのが、上述した「良い本」の定義だった。
その単位は、「本」から「記事・文」へと細分化されてはいるが、「じっくり読む人に向き合った文章」を目指す点で構造は共通する。寄り添った導入と、納得のいく導線、得られる価値ーーという流れは、僕が狙う「良い文」の骨格だ。もちろん、記事単価と時間的リソースが許す限り……という条件付きではあるが、僕はなるべくそういった文章を書きたいと思っている。
ここまで付き合ってくれた皆さんはお気づきだろうが、要するに僕が理想として目指している「良い文」は、多くの読者にとって「つまらない」ものなはずなのだ。目の端にパッと写ることはあっても、中身は読まれずにゴミ箱に捨てられていく、そんなチラシの様な存在である。
しかし、一方で「真剣に話を聞こう」と思って向かい合ってくれた少数派の読者に対しては、独特な読了感を与えられたら良いと願っている(そして、もしそうなら、ライター冥利に尽きる)。
そして、ありがたいことに、こうした「つまらない文章」はビジネスシーンで一定の需要があるようだ。堅実でつまらない文章を目指すことが、結果的にクライアントワークで功を奏しているのだろう。これが、僕がいまも商業ライターたり得ている理由だと思う。
僕がnoteで発信していくこと
僕がnoteで発信していこうと思っているのは、こうした文章に対する考え方や、商業ライターとしての「つまらない文章」を書くテクニックについてだ。
そのため、これから僕が投稿していくnoteを読んでも、文学賞をとるような作家になるための筆力はつかない。キラキラ輝く跳ねるような文章を書きたい人にとっても遠回りだろう。むしろ、「生真面目でジメジメした世界」の入り口、とでも言うべきものだ。
しかし、商業ライターや編集者になるための堅実な下地作りには貢献できると思っている。また、ビジネスパーソンや起業家にとっての言語化スキル向上にも役立つだろう、と思う。
苦労してでも学びたい、と暖簾をくぐってきてくれた人に対して、学び得られるものが多い記事を投稿できるよう、心掛けていきたい。
さて、僕のnoteの前書きはこんなところである。もし興味を持ったら、ぜひ今後の投稿も追いかけてみて欲しい。そして、もしこうしたテーマに興味を持ちそうな親戚や友人がいたら、ぜひ共有してもらえると嬉しい限りである。
ひとまず、なるべく「良い本」のような読み応えになるよう、しばらくは定期的に投稿を継続していきたいと思う。
最後に、ここまで読んで頂いた皆さんに感謝申し上げたい。
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