「森のムラブリ〜インドシナ最後の狩猟民〜」感想
京都みなみ会館にて
『森のムラブリ〜インドシナ最後の狩猟民〜』観てきました。
これを観に行こうと思ったきっかけの対談
で、ムラブリという今も狩猟採集生活をしている人たちがいて、その言語に魅せられた言語学者が日本にいるということを知りました。
まず、学者の方が探検家みたいにジャングルを歩いているさまが面白いと思ったし、ましてやその生活を模していると聞いて、相当面白い人なんだろうなと思いました。
言語学にはなんのご縁もない人間ですが、このコロナ禍で医療現場で働いていることもあり、忙しさと理不尽さで悶々とした時期がありました。
ある仕事帰り、ふと車窓から見た街路樹の下で雀が二匹鳴きながら戯れているのが目に入りました。その楽しそうなようすを見て、「人間に言葉があるがゆえに、こんな世界になってしまっているのではないか?」と、ふと思ったのです。
小さい頃から本が好きで、本に救われ、図書館が居場所で、言葉の芸術を愛してきた自分の価値観を揺さぶる出来事でした。
人間にも言語がない時代が確実にあったはずで、その頃、人間の思考は言葉で行われていなかったことになる。一体どうやって言葉なしで思考するのか?
言語の後には、時間という概念が生まれたはずで、時計がない、時間の概念がない時代は、どのように人間は生きていたのか?
そのヒントが、ムラブリを研究している伊藤さんの言葉にあるように感じました。
先の対談の中で、既に定住し農耕民として生活しているタイ側のムラブリでは、自殺する人もいて、なぜ自殺するのか?という伊藤さんの問いに、村長さんは「長く考えるからだ」と答えたといいます。
長く考えるということは、未来や現在の自分の状況を案じるということに繋がり、その糸は不安や恐怖を手繰り寄せる。
定住し農耕するということは、計画することであり、それに日々追われることなのだなと思いました。
言語とは身体でもあるという、意味深な言葉を対談の最後に伊藤さんがおっしゃるのですが、そのとき、以前何処かで聞いた「思考している時の声は、自分の声か?」という問いをふと思い出しました。
そう言われてみれば、思考している時の声が自分の声と同じか、確認したことなどないことに気が付きました。
早速、心の耳を傾けてみたら…
自分が耳から確認する自分の声とは違っていた。愕然としました。
しかも、よく考えてみれば、
思考は言葉だけれど、音声ではない。
いったい何処から湧いてきているのか?
今、イヤホンで音楽を聴きながら、この文章を書いているのだけれど、この脳に流し込まれる音と、思考とは何が違うのか、同じなのか。
音とは波でね、と科学に詳しい人は語るかもしれない。
科学は確かに説明と安堵を与えてくれる。
しかし、まだ科学の発展がない時代から、古代の哲学者やお釈迦さまは、脳の仕組みの真理に肉薄していた。いったいどうやって辿り着いたのだろう。
ムラブリの生活は現代で一番古代に近い。
きっと何か得るものがあるように思い、映画館へ足を運ぶことにしました。
当日は近くのカフェでパスタを食べ、時間があったので東寺を散策したり、映画館の外のベンチで本を読んだり。
京都みなみ座さんは初めてでしたが、とても素敵な雰囲気を醸しだしている映画館でした。
一番後ろの席に座り鑑賞。
パンフレットが売り切れていたので、暗闇の中メモを取りながら見ることにしました。
映画を観ながらメモを取ろうなどとと思ったのは初めて。
終わってノートを見たら、読み取るのも大変な、ほぼ落書き状態でしたけど。
実は映画を観てから既に2ヶ月ほど経っていて、今そのノートを見ながら書いているのですが、その瞬間に思ったことなど衝動的に記されていて、映画メモ面白いなと思っています。
さて、私がこの映画の中で一番印象に残ったのは、ミーさんという女性。
森の野営地から村へ来る途中のミーさんと出会うのですが、Tシャツズボンリュックビーサン姿で音楽を聴きながら歩いてくる。たぶん何か調達しに来ているのだろうけれど、なんか呑気。
後に、森で採れたものか作ったものか分からなかったのだけど、とにかく何かを村へ売りに来る人も出てくるのだけど、その感じも呑気。
見慣れた日本のビジネスマンやら商売人が、なんだか浅ましく思えました。
セールストークとか営業スマイルとか、ないんでしょうねえ。
言語の発音やリズムというのは、民族性も反映するのか、ムラブリのことばは、歌っているよう。
ムラブリ語は、完了形と起動相が同じで、「今目の前にあるもの起こっていること」と「それ以外」。
目の前にないものに、そんなに価値を見出していないのかもしれない。
年令も、ミーさんの年令は「たくさん」。ということは、大人は皆んな「たくさん」ということですな。年令もあまり重要でないようす。みんな顔見知りだろうから、誰が年上か年下かだいたい分かるのでしょうね。
数の設定が少ないから、貯め込む意味が薄まるのかもしれない。
リーさんとカムノイさん夫婦のいざこざが何回か出てくるのだけれど、子育て真っ最中のリーさん曰く、同じ屋根の下に眠らければ家族ではないし、家族の食べ物を調達することもしないのなら家族ではないということらしい。
まあ、乳飲み子抱えてたらそうなるよねと思ったけれど、日本と違うのは、文字通り、同じ屋根の下で暮らさない=夫婦でなくなるということらしい。
なんと、清々しいほど簡潔。
誰だか忘れたけど、たぶん近所の男の子が「リーはモテるもんなー」とか言って、リーさんも「せやで」って感じで、なにやらこの映画に出てないところにもドラマがありそうな雰囲気を漂わせておりました。
ミーさんのお父さんも何処かへ行ったようなことを言っていたし、旦那さんもなのかなあと思ったり、カムノイさんもしきりに村へ行きたがっていたので、男性は発展したところへ行きたい欲が強いようでした。
この点も映画では語り尽くせないものがありそう。伊藤さんの著作などを期待しよう。
この映画の1番のクライマックスは、同じムラブリでありながら、互いに人喰いだと言い伝え合って100年ほど交流のない2つの部族の人々を引き合わせるところ。
言葉も違ってきていて、伊藤さんが通訳をする始末なので、まさに第三者が介入しなければ有り得ない対面だったかもしれない。
対面は和やかに終わったように見えましたが、伊藤さん曰く、別の集団を悪く言ったり、違いを強調したりすることが、自分たちの結束と規範を確固たるものにする作用を齎しているということでした。
若者言葉とか内輪ウケとか、あるよなあそういうこと。
この映画の中では、野営地を移動するところは出なかったのだけれど、その日食べるものを調達してきて、みんなで分け合い、また次の野営地を探し皆んなで移動し、そこでまた村を形成し平和に暮らす、というのは、なかなか各々の自制心がなければ難しいような気がする。
それとも、自制心とは自制出来ないものがあるから必要になるのか。制御を妨げるものがなければ自制する必要もないのかもしれない。
最初にご紹介した対談の中で、神保さんの「日本に帰ってきた時どう思ったか?」という問いに、伊藤さんは、「ものが多すぎる」と答えていました。
物を持ちすぎるということは、何かを補っているのいうことなのかもしれないなあと思いました。
今の日本では、他人より損をしたくないと皆が躍起になっているように見える。
トータルの量は不動なのに、その中で奪い合いをしている不毛な闘いに、あまり参加したくない人たちが、この映画を観に来ているのではないかなと、ちょっと同志的な気分で周りを見渡したりしました。
遠いムラブリの森の生活を垣間見せてくれたこの映画を観ることが出来たのは、とても貴重な体験でした。
言葉や時間と身体と自然の関係を不思議に思ったり、考えている人が案外たくさんいるんだということも、まだまだこの世界は捨てたものではないと思えました。
この映画を観てから、自然の中に行くと、ムラブリの人たちだとどうするかなあと思いを馳せるようになりました。
「こういう木の下は住みやすそうだな」とか、「これは食べられる草らしい」とか。
そういえば、淀川の河川敷の草叢に表札立てて住んでる人いたよなあ。今は開発されてしまっていなくなってしまったけれど、インタビューしたかったなあ。
もう何十年も文明社会に毒されてしまっている身としては、まずはソロキャンプから始めてみようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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