毎朝、出勤の電車の中で、半分寝ながら音楽を聴いている。眠りを誘うような静かなクラッシックやジャズになる。今日はたまたまMoon Riverのバラードが耳に入った。後で確認したらカーラ・ブルーニというかなりいろいろと有名な人物だった。 歌詞の中のMy Huckleberry Friendが、前から気になっていて、トム・ソーヤの友で、無二の親友らしいから、そのような意味で使っているのかと勝手に思っていた。Moon Riverで調べると(気になって眠れない時もあるさ)、これは「
学生時代ぐらいだから、ずいぶん以前の話だ。父と一緒に、奈良の田舎の広い何もない丘に行った。なんでも昔の遺跡で、それを示す柱が立っていた。父が歴史好きで、旧跡にいくと、そこの物語をよく説明してくれた。そのうちの一つだが、ある出来事によってまだ覚えている。 その丘は、深く雑草で覆われていて、全て枯れて薄い茶色だったので、冬のことと思う。 父と離れ、少し分け入ると、草に紛れて薄茶色の小さな蛇がスルスルと這っていた。大きさは大事で、もう少し大きかったら私はすぐに逃げていたと思う
オフィスに幸福の木がある。席の移動があり、なんとなく面倒をみることになった。 1.5メートルぐらいの高さで、直径3センチぐらいのひょろっとした幹で、てっぺんだけに40〜50センチの細長い葉が10枚ほどついている。 幹をつかむと、からからで空洞で、茎と呼ぶことにする。葉は元気だ。鉢の土が少なくなって、ひょろっとした茎はふらふらと揺れる。 時々水だけはやっていた。根も緩いのか、だんだん傾いてくる。まあ少し土を足してやるかと、100円ショップで、ころころとした花の土を買って
新地のKのマスターは、出身校は東葛だと言った。東葛とは千葉県の東葛飾高校のことで進学校である。何かの折に、千葉の成田での仕事から帰ったばかりであること、生まれが千葉県であることからそんな話になったと思う。 最初に行ったのは、国際部の連中に連れて行ってもらった時である。新地の中ほどの5階建てぐらいの細長いビルで、一つのフロアーに一軒ずつ店があり、2階にあった。形態はフィリピンパブが一番近い、フィリピン人の若い女の子が3名ぐらいいて、日本人の女性(少し年上)が2名、30歳ぐら
冬の夜、9時ごろだろうか、いつものように京阪を淀屋橋で降りて北に向かった。少し酔っていたようにも記憶している。 日銀の前の通りは人通りもなく、占いが2つぐらい、小さな机にうっすら光る四角い行灯をつけて闇に沈んでいた。 「いくらですか」 そのうちの一人に声をかけた。 「二千円です」 「それじゃお願いします」 若い女の占いは、左手を手に取り、懐中電灯で照らしながら、考え込むように凝視していた。やがて顔を上げると、すこし戸惑ったような面持ちで、口ごもるように、 「破
小学校低学年のころ、ある思いが心を捉え、さらに他の思いと結びつき、暗い気持ちで、いたたまれなく過ごしていたことを思い出す。 目を開けると外の景色、明るい光が入って来る。記憶では、陽射しが強い、校庭の遊具で子供たちが遊ぶ光景が浮かぶ。自分側は、目の形の真っ黒な方だ。目をつぶるとよくわかる。真っ黒だ。この僕は、あくまでこの暗い側で、目の前にいる他の子なんかにはなれないんだ。どの瞬間でも、一度もなれないんだ。これは事実なんだ。 もう一つ、人はいつか必ず死ぬ。これも事実だ。必ず
てるてる坊主の記事が出ていた。映画の天気の子にも出てくると書いてある。 記憶の、初めててるてる坊主を作ったことを書いておく。 京都の記憶だから、3〜4才の時、作ろうと思ったのだから雨だったのかと思う。 コタツのテーブルの上に丸めた鼻紙があった。それにもう一枚の鼻紙をかけて、てるてる坊主を作った。母に見せると「鼻をかんだ紙だから汚い」と捨てられてしまった。そして、新しい鼻紙で作ってくれた。僕は捨てられた頭でっかちのてるてる坊主が好きだった。