北新地

 新地のKのマスターは、出身校は東葛だと言った。東葛とは千葉県の東葛飾高校のことで進学校である。何かの折に、千葉の成田での仕事から帰ったばかりであること、生まれが千葉県であることからそんな話になったと思う。
 最初に行ったのは、国際部の連中に連れて行ってもらった時である。新地の中ほどの5階建てぐらいの細長いビルで、一つのフロアーに一軒ずつ店があり、2階にあった。形態はフィリピンパブが一番近い、フィリピン人の若い女の子が3名ぐらいいて、日本人の女性(少し年上)が2名、30歳ぐらいのおかま(全く普通の男の子の外見)がいた。すぐに私は入りびたるようになった。
 その頃私は、同僚(後輩)と天六にマンションを借りて住んでおり、会社から帰ると近くでなんか食べて、「後は持つからここは払え」とか言って、8時か9時ごろには店に着き夜半過ぎまで飲んでいた。今でも、ソファに座ったとたんに、心からリラックスし「さあ飲むぞ」との思いが湧いてきたことをおぼえている。最盛期は週に3~4回もかよった。終電を過ぎると、タクシーだったり、小一時間かけて歩いて帰ったりした。
 ウイスキー(ホワイトらしい)は飲み放題で、適当な乾きもののおつまみで、7千円だった。客もほぼ常連で、客同士もすぐに仲良くなった。
 当のマスターは、すぐに他の店に飲みに行ってしまい、自分の店には、いたりいなかったりした。客はカラオケを歌い、曲にあわせて女の子とダンスをしたり、隅にあるダーツをしたり、いたって自由な店だった。安くて気の置けない店の雰囲気なので、深夜を過ぎると、他の店で働いている女の子たちも飲みに来た。女性の客はもっと安かったと思う。その子たちとも仲良くなり、その店に行ったりもした。
 フィリピンの女の子は、日本語ができたが、英語も話した。英語を勉強したい私は、もっぱら英語で話しかけた。英語で話しはじめると、崩れた日本語のときとは違い、頭の良い子たちだった。フィリピンの女の子たちともしだいに仲良くなり、休みの日曜日に会ったり、店が終わったあと(3時だったと思う)その子たちの住むアパートに行ったりした。
 年も押し迫った12月28日一人でふらりと店に行った。グリーンのドアを入ると、まだ早い時間で客は誰もいなかった。入り口近くで何か(掃除?)していた女の子が「いらっしゃいませ」と、こっちを見ることもなく言った。初めてみる美しい顔立ちの髪の長い子だった。その瞬間のことは今でもはっきりと憶えている。

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