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錦江町シェアハウス体験記(A.Fさん)

☆ステイ先では何を得て、何を感じ、どう動くか☆

東京の喧騒から離れて、大隅半島の南までやってきた。 

目的は空間VMDのフリーランスとしての仕事だ。
ここでいうVMDとはディスプレイや空間コンサルタントをイメージしてもらえれば、分かりやすいだろう。
築90年以上の飼料商店跡の古民家と聞き及んでいたので、
さぞ、色々と『手入れをしなくちゃ』なんて思っていたのですが、
いざ、ゲストハウスとなる、お店に足を入れると、
見た感じからコンセプトが伝わる内装であった。

この場合のコンセプトとは、
『コミュニケーションが混在する』
と言う所だった。

今回の仕事場は先述した、大隅半島の鹿児島湾側に位置する、
錦江町(きんこうちょう)の『ゲストハウスよろっで』である。

※"よろっで"は鹿児島弁。『一緒に』とか『みんなで』という意味。
そのよろっでには、シェアハウスが併設されていて、
そのシェアハウスに1ヶ月間ほど、住み込みをしながら、
自身の仕事をしながらも、もちろん、ゲストハウスの仕事も手伝う。

この『現地での仕事を手伝う』と、言うのが僕自身が、フリーランスをやっ
ていく上でのモットーなのだ。
そうやって、現地に溶け込み、染み入ることで現場での本質が分かってくる。

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☆錦江町とはどんな町で、どこを目指しているのか☆

人口は約6,700人。過疎化が進み、町を歩いてみても、お年寄りが多い(みなさん元気なのですが、車社会なので、町を歩いて見かけるのは軽自動車を運転している人が多数!)
地方と言うのは、日本の縮図で、東京にいると人の多さで感じる事はなかっ
たが、このように、あからさまに人口減少、少子高齢化を見せつけられると、近い将来日本は本当に沈んでしまうのではないか、と思わせる。


☆それでも町として熱量がある☆

では、錦江町に元気がないのか?と問われれば、答えは否。NOである。
2022年現在、新型コロナウィルスと人類が数年にわたり、向き合ってきて、一時期よりも、だいぶウィルスとの付き合い方も判明してきて、
日本も欧米に比べて、対処の仕方に違いがあるものの、少しずつだが、活気が戻ってきた。

先述のように、地方は日本の縮図である。したがって、逆説もまたしかり、
地方のほうがこのウィルスに対してちゃんと対策をしている。
これは、憶測だが、コロナが猛威を振ろうと、そうでなかろうと、
錦江町の『人達』は元気なのだろう。

それは、僕が滞在する中で感じられる事のできた、
「人の持つポジティブな要素」
が町中を覆っているのではないだろうか。

『なぜ?』錦江町の人たちはポジティブなのだろうか。
それは、錦江町に来てみれば分かる話だ。

南国にある特有のエネルギーなのか、錦江湾に沈む、大きな深紅の夕陽だろうか、この町の人は賑やかで、明るく、人をハッピーにさせるオーラを持った人が多い。
例えば、僕がゲストハウスのスタッフとして、お店でバー営業を手伝ってい
る時には、ロマンスグレーのお客様から、声を掛けていただき、お酒まで振舞っていただき、挙句、二次会のスナックまで案内いただき、ご馳走してくださった。しかも、初見で。
その様な、僕にとってはサプライズも、
町人にとっては当たり前の事なのかもしれない。

『美味しそうな調味料が手に入ったから、今度、使ってね』と言って、ご飯のお供を手渡しするお店の向かいの主婦。
町を歩いていたら、『どこまで行くの?乗ってけ』と言って、僕を経度らに乗せようとする農家のおじさま。
酒好きな僕を気遣って『今度、お酒のつまみ作るので…』と言ってくれる、シェアハウスの同居人。
『浴衣着るから、イベント来てね』と誘う若い女子。

優しさとポジティブの連鎖に関すると枚挙に暇が無い。

そう、この町は元気なのだ。人口減とか言って、勝手に元気の無い町だろうと、ステレオタイプを持っていたのは、僕の方だったのだ。

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☆寄港地のようなゲストハウス☆

『ゲストハウスよろっで』は寄港地である。
もし、一言で良い表すとしたら、その通りだろう。
ゲストが一時的に身を寄せて、前記した明るくポジティブな町の人たちが
、ゲストハウスよろっでと言う寄港地でゲストを優しく、迎え入れる。
そこには、何の壁もない。出身地、年齢、ジェンダー、肩書ですら。ただ、人が醸し出す雰囲気があり、そこれに、皆がが感化され他者に優しくなれるのだ。
ゆえに笑顔が溢れ、ゆえに笑い声がいつまでも、いつまでも響くのだ。

☆よろっでは交流地としてのhubの役割も担っている☆

よろっでは先に、述べたように、築90年の建造物なので、宿に足を踏み入れると、土間が広がり、そこに一本の柱がある。その柱が土間の梁を支えている。
町人や常連のお客様はそれに慣れた様子だが、なかなかの存在感なので
最初は驚く。当然、僕も最初は驚いた。
そんな印象的な土間が宿の顔なのだ。

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その宿は平日に『スマホ教室』を開催している。
これは、もちろんデジタルが苦手なお年寄りに向けてのサービスだし、誰でもふらっと入店でき、誰でも相談できる
その内容は御察しの通り、多岐にわたり、写真の削除からメールの送信の仕
方などなど。

ある店休日にひとりのマダムが来店したのである。
普通なら『店休日なので…』などと言って、別日に再来店を促すのだが、
よろっでの店主は迎え入れたのである。それもさも、当然のように! 
スマホのお悩み相談は程なく終わる。

そんな、よろっでの店主には次々と、お声が掛かる。
詳しい詮索は無用だが、企画の壁打ち相手として、イベントのPDCAの回し方、果てはゲーム相手。どれも笑顔で応える。

その彼の姿と土間の柱の姿が重なって見えたのは言うに及ばないだろう。

☆優しさの伝染がhubとしてのよろっでを作り上げる☆

店主のやさしさだけでは、よろっでは構築されてない。
上記したように、水面に水滴を落とした時の様に、着実に急激にしなやかに水面の波紋は広がる。
それは、ゲストを含め、このゲストハウスに関わった人達が、各々の経験をシェアし、構築(または、醸造)していくのである。

例えば、同居人は料理が得意なので、自作の料理をみんなに振舞う。
また本格的に音楽を勉強している人はワークショップを地域で催し、
地方においても東京と変わらないレベルの音楽を届ける。

そこには、他者を喜ばせたい、周りの人を笑顔にしたいという
ある種の『やさしさ』が必ず存在するのである。
そして、そのポジティブなエネルギーは他者を巻き込み、
伝染するのである。 

『今度は自分が何かをしよう』と。

☆台風14号☆

最後に、2022年紛れもなく最大級であった台風14号に遭った時の話をしよ
う。
数日前からのニュースで戦後最大級だとか、史上最大級だとか言われていた
台風14号が九州を襲った。その後、日本海側から関東にまで被害に遭ったこ
とは周知の事実だ。 
この場を借りて、被災してしまった人に対して回復の祈りを捧げたい。

当然、ゲストハウスは台風直前の数日前から休店し、抱えていたイベントも
延期を余儀なくされた。
当初は、『まぁ、食材やお酒でも買って、仲間内でワイワイやろう』
とテンションを高くしていた。僕自身も勿論そのつもりだった。
シェアハウスの住人がそれぞれに、お酒や食材を買ってきて、冷蔵庫に詰め
込んでいる。
今だから振り返れるが、おそらく、東京にいる感覚だったのだろう。
『台風で避難したことないし』と。

ただ、現実は違った。iPhoneのニュースにもYahoo!のニュースにも
避難警報なるものが発令されていたのだ。
それでも、なお、愚かな僕は、避難せず、仲間内でワイワイと遅くまで、台風の凄さを体験するつもりだった。
 
『避難しましょう』と店主が申し出るまでは。

避難場所は歩いて5分の役場の施設。豪華だ。まちのシンボル的な存在だろう。
滞在期間中に行われたインカレのロードバイクのスタート&ゴール地点にも
なっていた。
その役場の施設で台風が過ぎるのを待つのだが、何の心配も要らないくらい頑丈で設備も整っている。僕らも施設内で寝る場所を確保するのだが、こ
こに至るまでの準備のスピードが驚愕だった。
各々が持ち寄った食材を分け合い、延長コードを用意し数少ない施設内のコンセント問題にも対応し、ゲストハウスの中の座布団を運び出し、カードゲームを持ち出し、ポットを用意しお湯が出せる状態に保ち(これは、我々だけで独占するのではなく、施設に避難している人たちとシェアする事を前提に)あらゆる角度で、
「避難生活を悲観的なものにしないために」迅速に動く。

で、結果いつも一緒にいる人達が、避難所に集まると言った具合になった。
これには驚いた。そして、ゲームをして遊び、悠々自適に避難生活を送る事
が出来たのだ。
よくニュースで散見される、ひねもす寝てるだけの姿は僕らには無かった。

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この有事の際に現れるアクションと光景が、よろっでが醸造してきた雰囲気
で、この醸造はおそらく、この後何年も続くのだろう。

再度、記載するが、ポジティブなエネルギーは他者を巻き込み、伝染するのである。
 
『今度は自分が何かをしよう。』と。

今回はこれにて筆をおくが、みんなで、BBQをしたり、サップしたりした思い出も、錦江湾に沈む夕陽のように美しく僕の記憶の堆積物となるだろう。

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