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箱みかんと爺

先日更新した記事に反応してくれた方々がわずかながらいらっしゃって、温かい気持ちを分けていただいた。
こうなると前回一週間ほどさぼっていたのが少し悔やまれるのでならばと、早速記事を書いている。
少しずつ出来ることをしていこう。




 最近、みかんを箱買いするようになった。

 徒歩7分ぐらいのところの果物屋さんから買っている。傷物ありの安い物で1箱1800円。スーパーで五個ぐらいの袋で買うよりかなりお得である。
 スーパーにはいろいろなものがそろっていて、とっても便利なうえ面白くて好きなのだが、やはり、果物は果物屋さん、野菜は八百屋さんに行く方が圧倒的に安い。専門店なのだから当たり前と言えばそうなのだが。

 話は流れたが、今年初の箱買いみかんだと去年同様、手でかかえて徒歩で持ち帰った。
 ところが、これがとんでもなく重い。
 本当に、重い。
 ……おかしい。
 たしかに去年買っていた箱よりも、箱の高さはわずかに高い。でも、多分容量はたいして変わらない。
 ということは、明らかに一年で体力が落ちたということだろうか。
 去年は家まで一度も休まずに持って帰れていた。それがどうだろう。路肩の段差に足を置いてその上に箱ミカンを載せて一休み。いや、三休み必要だった。
 一年でこんなに体力は落ちるのだろうか。コロナの影響もあり確かに出歩かなくなったが、それだけだろうか。年齢のせいもあるかもしれない。
 そんなことを母にこぼしたら、母が笑いながら
「子泣き爺にでも抱つかれてたんじゃないの」
 などと言う。
 確かに果物屋には、親子連れは居たし、ぐずっているこどもがいたようには思う。でもその抱き上げたりはしていないし、そもそもちゃんとこどもだった。
 子泣き爺は、そもそも妖怪ではなく実在の人物ではないかという説があるらしい。赤子の鳴き声のような声を上げて歩き回る老人を気味悪がり、親の叱り文句として使われていたという説だ。だが、子泣き爺に似たような「子供の泣き声」と「重い」ということにまつわる伝承は各地にあるらしく、おそらく似たようなナニカは存在していたのだろうと思う。
 昔、電気などない時代は闇が濃く、物事の輪郭などもあいまいだったはずだ。
 なるほど、居たのかもしれない。
 そう、不在の証明は出来ないのだ。
 箱みかんの重さも、寒さにかじかむ手に食い込む段ボールの痛みも、子泣き爺か、と思って振り返ればニヤリと笑えて来る。
 たしかに、じわりじわりと重さが増していくような心地だった。
 では、次回も体を鍛えるためにも手で持ち帰るのかと言われれば

……御免被る。

 次回は自転車を使い、子泣き爺には引っ込んでいてもらう予定である。
 爺などではなく、もっと可愛らしいものであれば、要検討といったところだろうか。

 今日もいい天気である。
 こたつの上の籠に盛ったみかんが、とても美味しい。



子泣き爺について
Wikipediaより参照。


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