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【72候小説】紅花栄ーべにばなさかうー前編

日本の暦「72候」とみんなのフォトギャラリーをイメージの起点にした小説です。
詳しくはこちらをご覧いただけると幸いです。


 買い物に行く途中で、赤い口紅を引きなおしている女性を見かけた。

 引っ越して二カ月弱。随分と街に慣れてきたと思う。故郷からは船と新幹線で大体四時間から五時間ぐらい。大学進学を機会に出てきたけれど、世界的な感染症が蔓延しているせいで、ほとんどオンライン授業ばかり。なんとも淋しい反面、こうして自分の時間を楽しめるメリットもある。
 話を聞くに、ほかの大学ではかなりの授業が対面授業を解禁しているらしい。僕の取る授業の先生たちが引きこもりか、僕のようにプライベートを大切にできる授業方法が気に入ったのかもしれない。
 とにかく、空いた時間はバイトを探したりご近所開拓をしているわけだ。
 最近、美味しい定食屋さんと眼科は見つけたので、そろそろ八百屋や肉屋など、生活を楽にするための場所をもう少し開拓するべきだろう。親から生活費は、三カ月まで全額出すと言われている。そのかわり、四カ月目からは家賃のみだ。三か月以内に、生活基盤を築けということらしい。
 まぁ、仕方ない。
 知り合いは何人か出来たが、バイト先はなかなか見つからない。
 学校にほぼ行かないのだから、家の近くで探すべきかとこうしてうろうろしているわけである。

 そんな時、近所の公園で昼休憩なのか、化粧直しをしている女性を見かけた。
 マスクを外して、綺麗に口紅を引いている。
 僕は紅い口紅を見ると、決まってある女の子を思い出す。
 まだ小学校一年のころのことだ。

 小さい頃から、比較的一人遊びが得意な子だったと思う。
 チャンバラごっこだの追いかけっこよりも、虫を探したり、野良猫を観察したりするほうが好きだった。
 ある日、ふらふらと猫を追いかけて近所を歩き回ったりしていた時に、路地に迷い込んでしまったことがあった。
 家の周りは、細い路地に所狭しと家が立ち並んでいて、江戸時代の長屋を思わせるような、入り口の門こそついていないけれど、住民以外は入りにくい雰囲気の細い道が多数あった。
 その路地もそうで、狭い道の端に、生活感あふれる容器に植えられた草花が並んでいたり、洗濯物が干されていたり、三輪車が放置されたりしていた。
 追いかけてきた野良猫はちらりと僕を振り返ると、そのまま無情にも人には入れないような細い隙間に入り込んで姿を消してしまった。
 僕はぼかんと猫を見送ってから、我に返ってここはどこだろうか、と泣きたい気持ちになっていた。
 知らない生活の中に、放り込まれたような居心地の悪さと心細さを感じていた。
「ねぇ、波小(なみしょう)の子?」
 か細い声がして上を向くと、すぐ横の家の二階から目だけのぞかせた女の子がいた。
 波小は、僕の通っていた小学校の略称だ。都会では防犯のために小学校の名札をつけて外を歩かないそうだが、僕の住んでいる田舎では、まだ誰も気にしていなかった。
 女の子も僕の服につけっぱなしだった名札から、声をかけたんだと言った。
「私も、同じ小学校なんだよ。元気になったら通うんだ」
 そういえば、入学してからずっと空席があることを思い出した。
「一年生?」
「そうなの。早く学校行けるように大人しくしてないといけないんだ」
「僕も一年」
 すると、女の子は少し驚いたように目を見開いてから嬉しそうに微笑んだ。その間も、時折苦しそうなヒューっという呼吸音が聞こえた。
「近所に住んでるの?」
「猫を追いかけてただけ。家は近所じゃないと思う」
「どこに住んでるの?」
 ここがどこか分からないので、どこに住んでいるとも説明できない。
 少し考えてから、子供嫌いで怖いことで有名な近所のおじさんのことを思い出したが、知らないと言われてしまった。
「あんまり外には出られなくて、友達とは会えないから」
 外に出ないなら、こども同士の情報を知らなくても仕方ない。この女の子のよく知っている場所を逆に聞いた方が早い気がして、聞いてみると
「小学校と、病院と、薬屋さんと、よろず屋さん」
 よろず屋は地元の雑貨屋さんのようなものだ。なんでもある。
 少し離れたところにスーパーもあるが、僕の家もちょっとした買い物はよろず屋に行く。よろず屋からの場所は分かるから、話してみると、よろず屋をはさんで反対側だと思うと言われた。あまり来たことのない場所なのがすぐに分かった。
「神社の近くじゃない? 神社も何回か行ったことがある」
「あ、そうだよ。神社も近い。僕はあんまり行ったことないけど」
「私は何度かおはらいをしたの。おばあちゃんが、体に悪さする悪いものを神様におねがいして追い払うんだって」
「そんなことできるの?」
「わかんないけど、おばあちゃんはそう言ってた」
 お化けとかそう言う話なら怖いけど、それを女の子に言うのも気が引けて僕は黙り込んだ。
「神社の場所、ちょっと遠いけどわかるよ」
「どれぐらい遠い?」
「わかんないけど、ちょっと待ってて」
 囁くような声でそう言うと、家の中に引っ込んでしまった。
 しばらくすると、マスクに帽子に長袖の小さい女の子が出てきた。
 背が小さいだけでなく、全体的に小さいような感じだった。
「外でていいの?」
「うん、今日は体調がいいの。天気もいいし、少しだけなら大丈夫。たまには散歩しないといけないし」
「そうなんだ」
「神社は遠いけど、よろず屋まででもいい?」
「うん、ありがとう」
「わたしも、初めて同じ学校の子に会えてうれしかったら、ありがとう」
 それからは道を教えてもらいながら、少しだけ学校の話をした。
 クラスには男の子より三人が女の子が多いこと。物を作る授業が楽しいこと。給食の人気のメニューとあまりおいしくないメニューのこと。そんなところだ。
 彼女はあまり話さなかったけれど、とても上手に聞いてくれてあっという間によろず屋についてしまった。
「ありがとう。ここからなら家まで帰れるよ」
「そっか、あのまた今度――」
「あら、今日は一人で来たのかい?」
 よろず屋のおばさんが出てきて、彼女を見て驚いた顔をしている。
「そうなの、もう小学生だからね」
「あらあら、偉いねぇ。お使いかい」
「あ、えっと小松菜あればってお母さんが」
「そうかいそうかい」
 おばさんはその流れで僕の方を見たので、僕はあわててぶんぶんと首を横に振った。
「僕は、えっとその通りがかっただけ!」
 迷っていた、とはなんとなく言いにくい。
「そうかいそうかい。お母さんに頼まれてた化粧品も入ったから伝えといてくれ」
「けしょうひん?」
「お化粧だよ」
「あ、わかりました」
「じゃあよろしくね」
 そう言いながら、彼女の背をそっと押しながらおばさんは店内に入って行ってしまう。おばさんは優しい動きだったけれど、大きい体とたくましい腕だから小さい彼女はなされるがままでお店の中に歩き始める。
「あっ」
 彼女がこちらを振り向いて何か言ったようだが、かすれた細い声は僕まで聞こえない。おばさんも気づいていないようだ。
「またね!」
 僕が大声でそう言うと、彼女は嬉しそうに笑って頷いてくれた。
 僕は少しドキドキしながら、おばさんに見られているのも恥ずかしくなって慌てて家に走って帰って行った。

 

後編(5月27日更新予定)に続きます。



2022.5.26 紅花栄ーべにばなさかうー
紅花が咲き誇る時期のこと。

紅花とは、口紅などの紅のもとになる紅花、または赤い花を指すという説もある。紅花の咲き誇る時期は6月から7月ということでこの二説があるらしい。
今回は、イメージの起点、ということで紅花の捉え方をさせていただきました。

「紅花栄」以外の作品は下記よりどうぞ!
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