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マネジメントの経験的手引き

 大手電機メーカーに就職後数十年の技術職の経験と、最終的に大手半導体デバイスメーカーの管理職での経験とを基に、マネジメントとは何かということを考えてみたいと思います。
 
 担当者時代
 入社は1980年代でしたので、半導体ビジネスが急激に拡大する場面で、技術革新が非常に早く、マネジメント層が指導、管理することよりも、若手が新しい技術をいち早く吸収し、他社に先駆けて、如何に早く事業に適用して行くことが出来るのかが大きな関心事でした。即ち、若手エンジニアのやる気、トライアルが重視され、自由意思で活躍出来た時代でした。反対に申し上げると、課長、部長クラスの有している技術は、その更新がままならず、最前線の若手エンジニアが、技術開発の方向性を決めて行っている状態でした。この場面では、マネジメントされたというイメージは低く、若手エンジニアは、異を唱える上司との衝突を起こすか、上司を無視するか、といった処世術を編み出すしかありませんでした。自部署は、技術部門でしたので、データで示せば、すべてが結論を導き出すという展開でした。半導体の事業拡大期でしたので、コストを考慮する意識は薄く、新規技術の適用により、性能向上、集積度のアップが至上課題でしたから、その点では、幸運な時代でした。
 当時では、残業も月100時間を超えることは容認されており、休日出勤も相当自由でしたので、マネジメントの大きな役割である労務管理も、今よりもかなり緩いものであり、自主管理に任されていた帰来はありました。マネジメントのもう一つの大きな機能である予算管理という意味でも、高性能半導体を作り上げることが最優先ですので、予算額というよりは、納期管理が優先されていました。その意味で、マネジメントの役割は、更に上位のマネジメントである経営層へのコミットメントを合意する交渉と他部門とのネゴシエーションが重要であったと思われます。現在でも、マネジメントにおいて、このコミットメントを合意する交渉と他部門とのネゴシエーションが、重要な役割と能力であることは間違いがありません。
 ちょっと脱線しますが、当時の経営層への噂話を記載します。会社の経営層は、本社の隔離された絨毯がふかふかのエリアに大きな部屋で、踏ん反り返っていたとの話がありました。上部マネジメント層は、経営層へのお伺いが必要な稟議がある場合に、事前にお伺いを立てて、日時を決めて面会するのみということでした。更に、経営層は、本当に優れた人材、切れる人物は、自身の立場の次席には置かないといった手法もあるといった話には、驚かされました。即ち、自身の立場を危うくするような人材を遠ざけ、意に異を唱えない人材で固めることもあるということでした。これだから、日本企業の多くは衰退していったのでしょうか? 半導体製造ビジネスの切り口では、性能のみを達成すれば、販売が可能で、世界で勝負できていた時代は終わり、日本以外でも同じものを作ることが可能となり、コストという競争要因が加わったことから、その競争力が急激に失われて行ったと考えることも出来ます。即ち、マネジメントが機能しなかったと言っても過言では無いでしょう。

 課長試験
 バブルの崩壊した1990年代後半に、課長昇進のための試験を受けてマネジメント層に名を連ねることになりました。当時の課長試験は厳しく、経理理論、労務管理、特許技術、技術開発、マーケッティングといった数科目の教科から、経理を中心に数科目を選択し、筆記による試験に加え、論文供述試験課題が与えられていました。それぞれの教科には、本一冊の教科書があり、選抜メンバーになると1年の期間に渡って選抜の勉強期間として、月一回程度の模擬試験で鍛えられました。模擬試験結果を部門トップにトレースされ、一途に修行を行います。実に、この期間には、数名の自殺者も出るくらいで、当時、社会問題として取り上げられた次第です。それぞれの科目は、マネジメントには、最低限の知識として必要なものであると思いますが、その試験内容は、教科書の記述を丸覚えして、問題文で一部記述の相違点を見つけ出すような間違え探し的な問題で、全く創造的な試験問題でなかった点で大きな試練でした。私的にはこの試験問題は、丸覚えの得意な真面目文系に有利な感じで、当時の日本企業のマネジメント人員は、このような人材で構成されていたということです。多分、現在の日本企業の経営者の多くは、この様な人材である可能性を感じています。
 但し、この試験及び試験勉強で学んだことが、2点あると思っています。第一には、経理や労務等の最低限の知識を習得したこと。第二には、このサバイバルに生き残り、耐久試験に耐えられたことです。試験前には、技術的な知識習得のみを行って来ており、上司から聞かされる経営目標や会社の運営状況には、理解が及びませんでしたが、経理の勉強の中で、貸借対照表、損益計算書、キャッシュ・フロー計算書に関し、強制的に学んだことは、以後の会社生活だけでなく、株取引の場面でも対象会社の評価という点で役立っています。また、マーケッティングや特許関連の知識も、その後の社会生活で少しレベルアップを助けてもらった気がしています。一方、「耐久試験に生き残った」というイメージは、マネジメントに就任後に降りかかる試練、大きなプレッシャーの場面でも、内心、「大丈夫、大丈夫」と言った念仏にも近い心の支えになっていた気がします。本当に力になったかは明確ではありませんが。ここで述べたいことは、マネジメントへ求められる一つの気質は、耐久力です。会社上部からの圧力、業務目標からのプレッシャー、部下や関係者からの批判、中傷に抗するための精神力は、必須ということです。高い目標を達成するためには、仲良しクラブの関係では求められません。軋轢や反抗は常に存在するもので、その様な状況下でも、業務を推進するための精神力が求められることは疑いのないことでしょう。

 人望
 マネージャーは、人望が重要だと思いますが、これは一側面だけで構築されるものでは無いでしょう。例えば、タレントの様に容姿端麗であったからと言って醸成されるものではありません。まず、求められるものは、社会人として本質的なことであり、誠実で正直な態度で事、人に当たることができ、その証として約束を守ることが出来るということです。そのためには、平素からのオープンな対話を大切にし、常に関係者から発しされるフィードバックを受け入れる姿勢が重要でしょう。関係者の日々の小さな成果をも認識し、その都度、感謝の意を示す様な行動で、人望を高めることが出来ると考えます。一方、テクニカルな切り口にはなってしまいますが、「弁が立つ」ことが必要だと思います。人前で、あがることなく弁舌が出来、その内容が的を得ており、十分納得が行くような論を述べられる能力です。実に、私は、あがり症で、中々、納得の行く弁論を行えたことがありません。その点で、人前で堂々と適格な口述を出来る方が羨ましくてしかたがありませんでした。世の中には、訓練、慣れで、弁は何とかなるという方もいらっしゃいますが、私はダメでした。今でも、しゃべるのは苦手です。

交渉力
ビジネスの様々な場面で、交渉が必要となります。交渉の場面では、意見や利害の対立がある故、話し合いが持たれる分けであり、自分の言い分を100%通せることはありません。私は、この交渉が苦手で、波風を立てないことばかりに努力していました。そのため、直接の交渉は避け、関係者へのネゴシエーションとか、上部マネジメントの利用とかで、問題解決を図ってきました。交渉の基盤は、コミュニケーション能力であることは間違いないでしょう。コミュニケーションを形成するためには、考えを言語で表現することが重要で、それも文語ではなく、口語で行う必要があり、口語での高い論理性の表現と、これを相手に伝達する能力から構成されると思います。言わんとしていることはなかなか伝わらないもので、ましては、表明する考えがまとまっていなければ、なおさら伝わりません。表現する作業の次には、聞き手としての技量も問われます。相手の言っていることを正確に理解し、背景にあるニーズや関心を把握することが重要です。これは、相手の表現力にも依存する処もあり、異なる考えを理解するのは容易ではありません。最終的には、双方の意見を理解した上で、異なる立場や要求の落としどころを解決策として提案出来る問題解決能力も重要です。その上で、異なる立場や要求を踏まえ、対応を変えることができる柔軟性も重要です。本当に利益相反の場面では、まとまることが難しい場面もあるでしょう。

胆力
 優れたマネジメント遂行者に備わっているべき資質を、胆力であると考えています。自身の経験でも、胆力が足りないと感じた場面は、多くありました。一方、尊敬すべき上司は、高い胆力を有している方でした。胆力とは何かと申しますと、物事に恐れたり尻ごみしたりしない精神力を指すとされています。難しい業務や反対者の多い部署で業務を進めることは嫌なもので、人情としてなるべく避けて生きていきたいものです。これに対し、胆力がある人は、物怖じしません。例えば、新しい仕事や挑戦的なプロジェクトに取り組む際、不安や恐れを感じずに行動します。また、それに当たっては、胆力がある人は、自分の信念を貫くことが出来ます。反対意見が多い中で自分の考えを主張し、絶え間ない交渉により合意を構成しながら、目標を達成するために努力します。その為には、常にポジティブであり、諦めの言や愚痴を発することがありません。失敗や困難に直面しても、「まずやってみよう」と前向きに行動できます。また、好奇心旺盛で、未知の世界に挑戦する意欲があります。困難に立ち向かい、常に成長して行きます。この挑戦においても時として生じる挫折においても、これに撃ち負けずに立ち上がり、再び挑戦する勇気があります。自この挫折事態を、自己責任として受け入れ、昇華できます。この様に、胆力自体がマネジメントそのものと言っても良い位で、本質を表現している様に感じています。すべては、胆力です。
 胆力の高い人物として、私が思い浮かべるのは、西郷隆盛です。皆さんご存じのように、明治維新においてその胆力とリーダーシップを発揮し、日本の未来を切り開いた偉大な人物だと信じています。彼は、明治維新の発端となった禁門の役で、宿敵となった自身の出身母体である薩摩と恨みを買った長州との間で、非常に困難な同盟をまとめ上げることにより、徳川幕府の終焉への出発点を作り上げました。その一方で、戦闘を免れないとされていた江戸開戦直前で、江戸城無血開城を実現させたことは、驚くべき交渉の賜物です。明治政府での活躍も目覚ましく、版籍奉還と藩の解体を実現し、廃刀令による武士の存在を消し去ることに加え、陸軍省や海軍省の設置、徴兵令により、軍制改革を断行しました。その一方、時代に取り残されつつある武士の想いを受け止め、西南戦争に参加し、最後を迎えることになりました。最後まで、日本の将来を憂慮しつつ強い信念を貫き、日本の未来に尽くしました。西郷隆盛は、胆力と決断力を持ち、リーダーとしての使命を果たしました。彼の功績は、日本の歴史に深く刻まれています。この様に、良くも悪くも、その胆力のすさまじさが感じられています。
 
 チームリーダー
 マネジメントとして持つべき素質として、精神力、胆力、人望、交渉力を、これまで述べてきましたが、マネジメントに必要な能力として、最も重要なものが、リーダーシップであるとも考えられます。なぜなら、マネージャーは、一人では成果を出せないということです。即ち、受け持つチームの総力として、大きな結果を生み出すことが可能ということを忘れてはなりません。今更、申し上げることもないのですが、リーダーシップを発揮するためには、精神力、胆力、人望、交渉力が備わっていることが条件にもなります。チームの協力体制は、その精神力、胆力、人望、交渉力が備わっていれば、自ずと構築されることが予想されます。その上で、リーダーシップを発揮するためには、チーム構成員の目標管理、日程管理及び労務管理を的確に行うことが出来るのかという点に掛かってきます。私は、マネジメント手法を、マクロマネジメントとマイクロマネジメントという形で理解しています。マクロマネジメントは、 チームメンバーに目標や方針を示した上で、それぞれのやり方を尊重する、干渉しないタイプのマネジメントスタイルです。長期的な目標の提示により、チームメンバーの自主性を重視して、自分の方法で仕事を進めさせる方法です。結果に重点を置き、目標を達成するための手段は部下に任せることも重要となってきます。一方、マイクロマネジメントは、 細かいレベルでプロジェクトやタスクに対して、短いスパンと比較的細分化されたアイテムに対して指示を出すマネジメントスタイルです。短期的な目標を設定し、目標達成のための手段や進捗にたいして、上司の監視頻度を上げて対応する方法です。実際には、マクロマネジメントとマイクロマネジメントを組み合わせて、最終的な成果を達成することが出来ると考えます。半期、もしくは年間の業務目標の達成に対して、マクロマネジメントの手法で、多くを監視すること無しに進めて行きますが、この大きな目標に対して、これをブレークダウンした形で、短期的(3ケ月、1ケ月、1週間)の目標や行動を設計し、マイクロマネジメント手法で監視して行くことになります。実際には、チーム員の週報や月報の報告の実施とそれに対するマネージャーのフィードバック実施が効果を生み出すことを経験的に理解しています。マネージャーにとって報告書を読むことが重要でなく、醸成された人望を基に、持てる精神力、胆力、交渉力を駆使したチーム員とのコミュニケーションにより、意味あるフィードバックを行うことが重要であることは間違いありません。

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