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自分で選ぶということ

 人生は、選択の繰り返しで形成されていくと言っても過言ではありません。もっとも簡単な場面では、日々の買い物で、例えば、スーパーの生鮮食料品で、賞味期限が近い20%の品を求めるのか? それとも鮮度抜群の切り立て品を買うのか?を決めなくてはならないことは日々の出来事でしょう。でも、この場合には、購入日に料理するのか、十分に火を入れる様なレシピなのか、等の判断材料は、自分の中に存在していることから、その判断は、比較的に容易でしょう。一方、人生における重要な選択は、その選択が将来何をもたらすのか?が最大の課題であることから、重要な判断材料が手元にないことになります。判断のための要因は、例えば経済状況や家庭環境等の制約は挙げられますが、その判断がもたらす将来への影響の大きさ、波及効果を予測することは出来ないハズです。しかしながら、人間は、未来を期待して行動できる唯一の動物であるとされています。高度な認知能力を持っており、過去の経験や知識を基に未来を予測することができます。それは、想像力とも称されます。抽象的な思考や想像力を駆使して、まだ起こっていない出来事や状況をシミュレーションすることができます。これにより、さまざまなシナリオを考慮し、最適な行動を選択することが可能です。また、長い歴史から勝ち取った言語能力により、複数の他人とのコミュニケーションを形成できることから、他人の経験や情報を共有し、一人の知識や経験を超えた予測が可能になります。この様に、経験の積み重ねや、社会集団の中でのコミュニケーション、読書による他人、架空の人生経験の共有により、未来の予測がある程度出来る能力を有しています。
 しかしながら、中学時代や高校生の段階では、経験も多くはありませんし、接している社会もまだまだ小さく限られています。また、読書と言っても、その数も限られており、読書から得られる厳しい人生経験の知識はありません。そんな中で、学生時代に稚拙な判断により苦い経験をしてしまったご経験は、皆さんにもお有りでは無いでしょうか? わたしにも苦い経験がございます。私自身、心も体も成長が遅く、中学入学時点では、最も規格の小さな制服でも大きい位で、運動もからきし、得意なパフォーマンスも何もない子供でした。中学入学時には、部活動に入ることが推奨されますし、子供のマインドとしても、学校や大人から言われると、そうすべき=部に入部すべきといったマインドになってしまいます。私もこの状況から、また、何がやりたいかということも特に希望はありませんでした。小学生の頃には、父親の影響から、草少年野球をかじっていはいましたが、先にも説明したように、とても体が貧弱で、体力もなかったことから、野球と言っても何もできない状況でした。そんな中、母親から武術系の部に入れ、そこで体を鍛えてはどうかとの意見を受けて、安易にこれを受け入れてしまいました。数年後、この状況を分析しましたが、その結論が、「母親の言葉のなんて重いことか」ということでした。入部後、何も知らない、分かっていない、加えて、体力の無い私の部活への負担は、非常に大きなものでした。時間が過ぎるとともに、部活動への拒否感が増して、最終的には、お決まりのさぼり状態となっていました。幽霊部員と化して時間が経過して行きましたある日、とうとう部活動のメンバーからの呼び出しを受けた次第です。呼び出しには、のこのこと出かけた分けですが、その場で、退部の意志を表明したところ、退部には儀式が必要だということとなり、大きな体の部員、高度な技を持っている部員の練習相手を、そう2時間程度でしょうか? 強性的にさせられて、最終的には、意思を通すことが出来ました。体にはアザが出来るくらいで済んだ記憶はありますが、親にも言えませんし、精神的に大きな経験で在ったことは間違いが在りません。結果的には、自分の不正直な考え、行動が招いたことでしたが、これを機会に、「人生の選択は、自分で考えて決める」ということでした。これ以降、人生の選択で、経済的に問題が絡む以外、親の意見を聞くことをしなくなりました。何事も、自分で調べ、自身で考えて、責任をもって、判断を行ってきた次第です。
 「人生の選択は、自分で考えて決める」という誓いを立てた後、高校進学、大学進学、就職、結婚、離婚、再婚、再就職と定年退職と、大きな分岐点を自分で決めてきました。ここでは、大学進学から就職までの経緯をご説明したいと思います。大学受験では、学力に従って、候補の大学が絞られてきます。高望みをしても、受験は出来ても、狭い関門を通過することは不可能です。私は、50年弱程度前ですが、当時、天文や地球に対して強い興味を持っていました。しかしながら、これらの学問を究めようと思いますと、東大、京大や北海道大学へ入学する必要がありましたが、学力は中程度で、とてもこれらの大学の合格レベルに達していないことから、次の様に考えた次第です。即ち、電子技術、特にコンピューターの発展が始まった時代でしたので、数年後には、天文学や地球物理学でもコンピューターが役立つ時代が来るであろうという考えから、電子デバイス関係の技術を身に着けたら良いのではないかとの考えでした。そこで実際には、某私立大学の電子通信の学部に入学しました。就職では、電子デバイスの目覚ましい発展の場面でしたので、当初の希望であった天文、地球関係への職は求めず、総合電機メーカーへの就職を判断しました。
 当時、入社時には、総合電機メーカーの隆盛期でしたので、毎年1,000人以上が入社していましたが、配属面接で、同期の皆は、研究開発希望と、その思いを会社上部に述べていました。決して、全員が、研究開発に配属されることは無く、その様子を見て、私は、半導体プロセスの実用化開発を希望と意思表示をさせていただいたところ、半導体デバイスの開発本部に配属となり、半導体プロセスの開発業務に配属されました。面接時に述べた実用化開発の希望表明がどこまで通用したのかは定かではありませんが、これが社会人生活の方向性を決定したと言っても過言ではありませんでした。これも一つの選択でしょうか? 以後、電子デバイスのプロセス開発業務に従事することになり、狭い分野でしたが、その業界でも一時期注目を集める存在であった時代もあり、65歳の退職まで40年に渡って、継続的に開発業務に携われたことは、幸せだったのかも知れません。

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