又吉直樹「人間」を読んで・・・
こんばんは、あきぽんぬです。
何年か前に1作目の「火花」を読み面白いと思っていたので、また又吉作に手を出してみようと考えていました。
そして今、又吉直樹の3作目「人間」を読み終えました。
率直な感想は「しんどかった」ですね。
概要:38歳の主人公・永山が知人からメールを受け取り、それを機に20歳を過ごしたシェアハウスでの人間関係を回想していく。シェアハウスで語られるのは、永山が最も嫌う人物・ナカノタイチや芸人と作家の兼業で成功する人物・奥(影山)との日常の風景。物語が進む中で現在と過去を何度も行き来し、家族・友人・恋人との人間関係が濃密に描かれている。最後には実家の沖縄に戻り、親・兄弟・親戚と自分の関係を描いている。
何も理解できなかった
とにかく目と心が死ぬ作品だ。
「目が死ぬ理由」として、まず話の内容や流れを理解しにくい点がある。
それは時間軸が現在と過去を行き来するだけでなく、空想や虚言などが入り混じるからである。
また会話の話し手が誰なのかも分からないときがある。
登場人物が何気なくふと思い出の中から出てきたり、関西弁が行き交うせいでどちらがしゃべっているのかわからないなど。一回読んでだだけでは分からんだろう。
「心が死ぬ」のは、なんというか、特に2部のナカノタイチと影島のメールのやり取りで疲れた。私はナカノタイチに同情した。なぜこんなに影島がナカノタイチを攻めているのか、発端はナカノだとしてもここまで長文にする必要があったのだろうか、うーん不可解。
また、自分(読者)に向けている強い言葉が多いとも感じた。
364p「人間が何者かである必要などないという無自覚な強さ」という文章はひっかかるものがあった。
本来、人間はただ生きるために生まれてきた存在であり、何かになる必要はない。
しかしなぜだか人は、何者かになろうとするし何かにさせたがる。
将来あれになりたい、目標は〇〇だ、彼は△△な人だなど・・・。
そういう文章が読者に思索をもたらすため、考えることも多々あった。
人間というタイトルは大きすぎる
「何も分からない」が人間の本質だなのではないかということだと本を読み感じた。
おそらく著者はわざと分かりにくい文章を描き、著者自身を想起させる登場人物を複数描き、読み手を混乱させているのではないかとも思ってしまうぐらいわからない。
そもそも、他人を理解しようとすること自体不可能に近いとも思った。
だから、この本は何回も読まなくては分からないし、本自体が又吉であり、人であるとすると、理解できないもので良いのかもしれない。
何者でもない、ことは理解することができない人であるのか。
結局なにも分からない!
読むには人と付き合うように、身と心を削る覚悟で読むように。
あきぽんぬ