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ナガサキ原爆の日

令和2年8月6日は75回目のヒロシマ原爆の日
そして今日、8月9日は長崎県に原爆が投下された日です。

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今日は仕事が休みだったので長崎市へ伺いたかったのですが、現在熊本では県を跨ぐ移動の自粛を要請されている為、平成17年に撮影した長崎平和公園周辺の写真を。

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いつ見ても心が痛む言葉。

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長崎原子爆弾落下中心地の碑。

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その傍には、被爆した浦上天主堂の遺壁が移設されています。

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浦上天主堂のシスターさんだろうか?
原爆投下された日時が刻まれた子供を抱く女性の像を眺める姿が印象的でした。

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昭和34年に再建、昭和55年に改修された浦上天主堂。
旧天主堂の遺構も残されており、祭壇には被爆マリア像が安置されています。

原爆が投下された日、8月15日の聖母被昇天の大祝日を控えていた旧天主堂では赦しの秘跡が行われており、堂内にいた2人の司祭と数十人の信者は爆発に伴う熱線や崩壊した瓦礫の下敷きになり、全員が即死だったのだそう。
もし旧天主堂の遺構がそのまま広島の原爆ドームのように残されていたら、より原爆の恐ろしさを後世に伝える貴重な遺産となった事でしょうが、米国は天主堂再建の資金援助を条件に遺構の撤去を求めました。
当時の長崎市長・田川務氏は当初は遺構保存に前向きでしたが、長崎市と日米初の姉妹都市を提携したミネソタ州セントポール市を訪れて以降、保存に消極的な姿勢を見せるようになり、昭和33年に遺構撤去を決定しました。
ただ政府のみの意向という訳ではなさそうで、浦上天主堂が再建を望んだという説もあり・・・うーん、やはり難しい問題ですね。

今年は世情に因り、広島・長崎ともに平和祈念式典は縮小されましたが、本日行われた長崎市に式典は中継映像を観て多少なりとも追悼の意を込められたような・・・まぁ、自己満足ではありますけども。
来年は世の中が落ち着いていて、また少しの夏休みが取れたら長崎市へ伺いたいと思っています。

戦争の歴史を勉強している者としては、今日はあそこで空襲があった日だと年中考えていますが、やはり8月はより一層思いが強くなるもので・・・
暫くは戦争遺産の記事を連投する流れとなりますが、どうかお付き合い頂ければ幸いです。


最後に・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾投下により亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして現在も原爆による放射線の後遺症などで苦しんでいる被爆者の方々に、より支援の幅が広がる事を願います。


最後まで読んで頂き、有難うございます。


【撮影機材】
PENTAX MZ-30+Wズームレンズキット
FUJIFILM SUPER400

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