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「ものがわかるとうこと」を読んで

 久しぶりに養老孟子さんの本(「ものがわかるということ」発行所:祥伝社)を読んだ。氏のベストセラーになった「バカの壁」を読んで、面白いな、と、あれこれと読んだ時期があった。モノの見方や感性が心地イイ。
今回は、本屋をうろついた時に、氏の本を見つけ、たまには読んでみよう、と。
 その後、偶然、YouTubeで(『ものがわかるということ』(祥伝社)出版記念特別対談 養老孟司×成田悠輔「わかる」について語る)も見つけた。
 近頃は、書籍紹介までYouTubeでやるんだなぁ。SNSの拡がりが、ますますTVを小さくしてる。この先、「マスメディア」はなくなり、「マルチメディア」になっていくんだろうか。
 養老先生の本なので、「わかる」に関する論説のような本かな、と思ってた。けど、どちらかというと「わかる」に関するエッセイ集のような感じ。
だから、とても読み易いけど、「わかる」を包括的に説いているわけではないので、「わかったようで、わからない」ところも出てくる。
 自分で考えて「わかればいい」。でも、「わからないこともある」それでもいい、って書いてある気がする。ぜひ、一読してもらいたい本のひとつ。

読めばわかる・・・なんて思いあがってた

 本書「ものがわかるということ」で最初に面白いと思ったのは、前書きの『若い頃は、勉強すれば、なんでも「わかる」と思っていた』の記述。
私も、大事なことは、どこかの誰かが文書に残しているので、それを見つければ、おおよその事は「読めばわかる」と思っていた。もちろん、養老先生のような理系ではないので、数式や化学式の羅列は、お手上げだけど・・・。
 一読しただけでわからぬ時は何度も読む。それでもわからない時は、他の関連した基礎的な情報まで漁って、薄く広く学び知見を高めていく。そうしていけば、大概のことは理解できた。と思ってた。
 けど、この歳になってみて、ホントに何にもわかってないなぁ、と実感する。上っ面だけ学んで「わかった」気になってたようだ。
 特にブログで書籍紹介や考えた事を書き始めて、「わかってなかったなぁ」と思い返すことが多い。何だか近頃は、浅はかな時代に読んだ本の「学び直し」になっている。

2A-A=?

 本書を読んで、ずっと頭の中に残っているのは、『2A―A』のところ。
数学的には、2AからAを引いたら、A。何の迷いもなく、そうなる。
けど、「2A」という文字から、Aを削除したら、残りは2になる。これだって間違いじゃない。
要するに、「前提条件」が違うだけ。
    数学的解釈 2A―A=A
    国語的解釈 2A―A=2
 前提となる条件が違えば答えが違って当然で、まぁ、話がかみ合わないってことだ。
 例えば、大阪育ちの人が食事の好みを語っている時に、「ところで、“自分”、どうなん?」なんて問われることがある。東京育ちの私はちょっと驚いてしまう。もちろん、会話の流れから、“自分”は私の事を指しているのだろうと察するけど、「自分は自分」で、「相手の事は“貴方”とか“そちら”とか“あんた”だろう。まぁ、「わかった」からイイか。
 TVのグルメロケを見た時に、「ふつうに美味しいです」なんて言ってるタレントに違和感を覚えたのは、私だけではないだろう。昭和世代にとって、“ふつうに”は「普通」で、「美味しい」にはつながらない。“美味しい”んだったら、“とっても”とか、“すごく”だろう。
 日本語には、ひとつの言葉でもいろいろな意味があるし、時代と共に言い回しが変わったり、意味すら変わることがある。それは、特定の人たち(グループ)で始まる。
 だから、言葉の意味が変わってしまった人と、そうでない人は、話し合えるけど、分かり合えるのかどうか・・・

わからないまま、今日も元気に生きている

 Webで「わかる」を検索すると、「分る」「解る」「判る」って出てきて、その定義を示している。「判る」は『判別できる』、「解る」は『物事を理解できる』。そして、「分かる」は『網羅的な“わかる”』ということらしい。
 ひらがなや漢字を知っていて、文字が読めるだけでも、「わかる」という。初対面の人の名刺を見て、漢字の名前が読める時、なんかがそうだ。これは「判る」か。
 でも、読めるだけで、その名前に込められた思いなんかは、当人や名付け親に聞いてみなけりゃわからない。「これは解らない」ってことか。
 文字は判っても、意味が判らない、意図なんて思いのほか。
 これは、分かったのか、分からないのか・・・。
 
 自宅の本棚を眺めたら、山鳥重著「『わかる』とはどういうことか」(発行所:筑摩書房)や西林克彦著「知ってるつもり」(発行所:光文社)なんかがあった。捨てた本もたくさんあるので、昔から、折に触れて、この手の本を読んでいたようだ。
 読んだ時は、わかったつもりになっても、また、わからないことに直面して、この手の本を買い漁っている。
 そして、今もまた、養老孟子著「ものがわかるということ」を買っている。
 なんだか、幾つになって、「わからない」が続いている。
 
                              (敬称略)

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