見出し画像

「知ってるつもり」を読んで

 例えば、政治家の政治資金パーティーを巡る裏金問題が話題になると、芸能人や専門家たちが「けしからん。確定申告すべき」と声高に叫び出す。私だって、「そうだ、そうだ。こっちは、なけなしのお金なのに、きちんと納税してるんだから」なんて思う。  けど、ほとんど事実を知らず、ゆえに何が問題の本質なのか、わからず。どうすればいいのか・・・
 そんな、よくわからん話はたくさんある。

 西村克彦著「知ってるつもり」(発行所:光文社)を読んだ。
日頃、「知ってるつもり」が多いよな、と思っていたので、丁度良かった。まぁ、「知ってるつもり」でも、全然、困らないけど・・・

 自分を含め、多くの人々が、あやふやな情報の上で、誰かの意思に流され、転がされているような気がする。

専門分野だって知らないことだらけ

 20年ちょっと、環境分野の仕事をやっていた。 
 ので、一般人よりは、アレコレ知ってたので、「ここ(この地)で地球温暖化対策を進める効果的な方法は・・・」 なんて、ぐらいは、いつでも言えた。「だから、今なら、・・・すべきじゃないでしょうか」なんて。
 長くその分野に従事していれば、相応の知見は身に付くし、第一線の人たちと接していれば、世の中に出回っている最新情報を得られる。けれど、それは出回っている(=汎用化、普遍化した)情報というだけ。 ホントの、最新最先端情報は、斯界の第一人者の頭の中。 そして、それすらも、その時々の最新最先端情報というだけで、10年経ってみれば、古びたものになってしまう。

 本書では、第二章で「共通性と個別特性」の二軸で、事実を明確にすることで「知る」を明確にしていくことが出来るそうで、それはそれで面白い。もちろん、他にも「知る」方法はあるのだろう。
 ともかく、「何を知っていて、何が分かっていないのか」くらいは、把握しておきたいもの。 ソクラテスの「無知の知」ってヤツ。

その先にあるもの

 ある現象を知っていることと、その現象が起こる原因まで知っていること、あるいはその現象が起きたことによる影響を知っていることは、それぞれ「知っていること」の深さが違う。
 どれが良いと言うわけでもないけど、「知っている」には、いろんな意味が含まれているので「要注意」ということか。

 自分自身の心の奥底で沸き起こる、「なぜ?」「どうして?」に応えられてこそ、「知っている」なんだ。と言い始めたら、疲れてしまう。
どうしたものか。

 でもだからと言って、表面的にな知見だけで過ごすのも、何だか薄っぺらな生き方のようで、納得できない自分がいるのも確か。 面倒な自分。

 たぶん、その先にあるものを知りたい、という欲望。事実を可能な限り掘り下げるには、膨大なエネルギーが必要なんだろうな。

 昔、世の中にある「問題解決技法」がどれくらいあるのか、調べてみたことがある。もちろん、単なるビジネススキルの解決策程度の手法を、思い付きの範囲で調べただけ。

 いくつもの本屋を巡って、問題解決技法に関連する書籍を何冊も買い漁り、それぞれの手法を列記してみた。今なら、Web検索で簡単に集められるし、chatGPTとかで簡単に答えを創り出せるのだろうか。

 当時、100にはならなかったけど、80-90くらいの手法を集め、アレコレ見比べてみると、似通っていたり、出自が同じで改善したもの等々があり、なんだか良くわからない。たぶん、類型化して分析していけば、おもしろいんだろうけど、当時の私はそんな気力はない。
 事実把握→問題発見→解決策立案・検討→解決策選択→解決策実行・・・
という基本さえ押さえておけばいいか。なんて思った。

 まぁ、多くの人達が、「知ってるつもり」じゃぁ、ダメなんだ、と思ってたんだろうな。 本書は、いろんなことを考えさせてくれた。有難し。

                              (敬称略)

#読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?