月に一度のケアの日に、身体を思い出す
仕事に復帰してから月に一度、島のセラピストさんに体を診てもらっている。今日は二度目。
まず足湯をしたり、温かいお茶を飲んで体を少し温めたあと、体のケアの前に話をする。雑談から最近の心のこと。体のこと。何を話すかは特に何も考えていなかった。
ちょうど最近娘の誕生日だったことを話すと、来島時は20代だったあなたもお母さんになったんだね、早いねぇと。それを受けて私から出てきたのは、母親になったことのこの大きな数年の変化に心がついていっていない気がする、という言葉だった。
そうか、ついていっていないのか、と思った。
母親になって、暮らしも仕事の仕方も時間の使い方も大きく変わったけど、その変化に戸惑っている。
今は日々のことをこなすことに精一杯なんだけど、
今が人生のどういう時期なのかが分からない。どう捉えていいのかが分からない。
そんなことを話した。
セラピストさんに、「捉える必要なんてあるのかな?」と言われた。
今がどういう時期なのかなんて後から振り返ったときに見えるもので、今はそれを見つけなくてもいいんじゃない、と。大きな視点で、人生を捉えようとして過去や未来も含めて考えようとするより、「今」の私を捉えてみたら?と。
そういえば、「今」の私のことをあまり気にかけていなかった気がする。
未来への不安や、過去の後悔についつい頭を持っていかれていたなと思った。考え出すと止まらなくなって、どうしようどうしようと思うけれど、具体的な策が決めれるわけじゃなく、ただただ思考によって疲れるという繰り返しをしてたように思う。
そんな雑談の後、横になって体をタッチケアしてもらう。
かかとを持ってもらった瞬間に、「あ、私の体、ここにあった」と思った。
頭で、思考で、いつもいっぱいいっぱいに考えていて、
身体のことを忘れていたようである。
あたり前のようにいつも私と一体で一緒にいて、今も鼓動を続けながらこの人たち(人ではないが)は繋がっているんだった。
あぁ、そうだった。
その後やさしくタッチしてもらう気持ちよさにうっとり包まれながらも、いろんな思考がよせては返す波のように現れては消え、消えては現れながら、いつの間にか眠っていた。
タッチケアの後、身体を触ってもらって分かったことを教えてもらう。
前回も言われたのだが、頭がガチガチに重かったらしい。
頭蓋骨のつなぎ目の部分がぎっちりすき間ない感じで締まっているそうだ。
思考過多。仕事のことも、家のことも、子どものことも、あれもこれもやらなきゃといつもずっと忙しなく考えているのは自覚していて。
社会人になって以来ずっと、仕事日はお通じが無いことも相談したら、腸と脳は繋がっているからだねと。
腸を起こすために、甘糀を作って朝ごはんの時に飲んでみることにした。
そして、仕事日にリラックスルーティンを作ってみることに。好きな香りを嗅ぐとか、どんな小さなことでもいいから私はこれでリラックスするんだと思い込むことが大事らしい。
すぐには変わらないだろうけれど、
仕事の日もお通じがあるようになったら、私の世界の捉えかたにも変化が起こるような気がする。
身体はいつだってここにある。
だけど、脳みそはすぐにそれを忘れてしまうから、あっためたり触れたりしてケアをしてあげながら思い出したい。
思い出すだけで、なぜだか「今」に意識がすっと向けられる気がするから。
日々は忙しないけど、目の前の「今」を満たしていけたらいい。
からっぽだと思う心に、何かが芽生えていくだろうか。
「今」はつづく。
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