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自由と平等のブロックチェーン──倫理、人権と技術を接続する

次のような状況を考えて欲しい。ある日あなたは、社会的影響が大きなサービスを作るプロジェクトの設計と運用の方針を作る必要に迫られた(このサービスはクラウド上で動いているかもしれないし、パブリックブロックチェーンにデプロイされたWeb3アプリかもしれない)。プロジェクトには高いコストパフォーマンスが求められるが、一方で設計や運用を間違えれば、多くの人々がプライバシーを侵害されたり、資産を失ったり、健康を害したり、暴力の脅威にさらされる可能性がある。このようなプロジェクトでの設計と運営の方針を作るにあたり、私たちはどのような思考の枠組みを採用すればいいのだろうか?

このような問いに正面から回答を試みた論考を読む機会が最近あった。「コインの両面:ブロックチェーン、倫理、人権」(Sebastian Porsdam Mann, Max Schmid, "Two Sides of a Coin: Blockchain, Ethics and Human Rights", InfoQ , FEB 20, 2019)である。

この論考「コインの両面」は学術論文ではなくTech系商業メディアInfoQ掲載の記事なのだが、筆頭著者のSebastian Porsdam Mannの本業は生命倫理学者、つまり医療や生命科学研究などの現場で発生する倫理問題の判断規準を検討する専門家だ。生命倫理学という分野があることから分かるように、医療分野では倫理学の応用が進んでいる。一方でTech系(あるいはIT分野)への倫理学の応用はほとんど見たことがない(追記:情報倫理、AI倫理と呼ばれる分野はある。だがそれらが機能していれば顔認識差別の問題は起きなかったはずだ)。その意味でも興味深い論考だ。このような論考が登場したことは、ブロックチェーン技術が有名になったことの反響のひとつだ。

この論考「コインの両面」における最も重要な主張は、次のようになる。「公共性をもつ複雑で大規模なプロジェクトをどう進め/どう規制するのか」という複雑な問題を考えるためには思考の枠組み=フレームワークが必要だ。そこで著者は、人類史上トップクラスの天才達が考え出し、歴史のテストに耐えて生き残った4種類の倫理フレームワークを統合し、多くの問題──あらゆる問題──に適用できる思考のフレームワークを作ろうと試みるのだ。こうまとめると、なんと意欲的な取り組みだろう!

「ビットコインは悪だ」とは、どういうことだろうか?

この論考「コインの両面」のイントロダクションはよくできている。次の話題を引き合いに出している。

ノーベル賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ氏とポール・クルーグマン氏の最近の2つの記事には驚いた。ビットコインのエコシステムそのものが、役に立たないか不道徳かのどちらかだと主張している。

そして、クルーグマンが2013年にThe New York Timesに寄稿した記事「ビットコインは悪だ("Bitcoin Is Evil")」のタイトルについて、こう問いかける。

技術が悪であるとは、どういうことだろうか?

この命題をどう考えるべきか、という設問から、著者は議論を倫理学の土俵に載せていく。このあたりの筆の進め方は、なかなか読ませる。

クルーグマンの主張を見れば、彼が何を意図していたのか容易に理解できる。ビットコインはもっぱら道徳的に悪い行為に使われているのだから、ビットコイン自体が悪であるというのだ。倫理的な議論として、これは故意の無知(willful ignorance)である。社会貢献のためにブロックチェーンが使われている例を見つけるのにノーベル賞は必要ない。

続けて著者が語る内容は、大きくは次のようなことだ。

"ビットコインは道徳的に悪い用途に使われるので悪" という命題には議論の余地がある。まず、思考のフレームワークとして、その結果をもって善し悪しを判定する結果主義(帰結主義と呼ぶ場合もある)を選択していることを明示すべきである。そこで問われることとして、ビットコインは犯罪者によって使われる場合もあれば、社会貢献の用途に使われる場合もある。例えばブロックチェーンを社会貢献に活用する取り組みは多数ある。国連機関である世界食糧計画(WFP)の飢餓ゼロのためのブロックチェーンなどだ(このようなプロジェクトについては、いずれ別の記事でまとめたい)。そして、社会貢献のブロックチェーンプロジェクトは、ビットコインがなければ登場しなかった。

ビットコインの仕組みの一つProof of Work(PoW)が大きな電力消費を伴うことへの批判もある。一方で、ビットコインが提示したブロックチェーン技術は大きな可能性を秘めている。個人が「信頼できる第三者」を経由せずに送金できる仕組みを提案し、その応用が広がりつつある。こうしたプラス面とマイナス面の両方を公平に考慮すべきだと著者は述べる。

面白いのは、ビットコインやパブリックブロックチェーンをめぐる議論の中に、倫理学上の「問い」を見いだすくだりだ。例えば、パブリックブロックチェーンの技術の論争からは「権力は分散されているほど良い」という価値観が見いだせる(この考え方はdecentralization=非中央集権化/分権化という言葉で語られる場合が多い)。これは、倫理学でいう平等の原則に相当すると著者は指摘する。これは著者ではなく私のアイデアだが、パブリックブロックチェーンの大きな特徴である自己主権(self-sovereign)、つまり「暗号通貨の所有や移転はその持ち主だけが許される」という原則は、後述する義務論でいう自由の原則に当てはまる。著者の議論と私のアイデアを足すと、次のように書ける。

パブリックブロックチェーンとは、自由と平等を守る技術なのだ。

そして、倫理フレームワークには、クルーグマンが暗黙のうちに使った「結果主義」以外のものもあると著者は指摘する。現代に生きる我々は、新技術や新ビジネスの価値判断のためには、単純な結果主義やメリット/デメリット思考だけでなく、時代を越えて生き残った倫理フレームワークを組みあわせて思考するべきである──これは著者の主張を私が読み取った言い方なのだが、「それはそうだよね」と思いませんか。

歴史のテストに耐えた4種類のフレームワーク

著者は、倫理学を現実の問題に適用するために必要な「規範の原則」の理解のため、規範倫理学(Normative ethics)の4つのフレームワークとそれぞれの代表を挙げる。

功利主義(utilitarianism)     代表はベンサムミル
義務論(deontology)           代表はカント
人権(human rights)            代表は世界人権宣言(UDHR)
徳倫理学(virtue ethics)     代表はアリストテレス

この論考「コインの両面」では、ここから先、偉大な哲学者たちの思考の成果を超高速で復習する。ここでは、さらに要約して紹介することにする。(うまく伝わりますように!)

功利主義

功利主義は「最大多数の最大幸福」「コストパフォーマンス」「苦痛(pain)の最小化」「利益の最大化」「成果主義」「KPI(Key Performance Indicator)」「トリアージ」といった言葉の背景にある考え方だ。現代の私たちを取り巻くビジネスの世界や、新自由主義を採用した社会システムのあちこちで使われている思考のフレームワークだ。

結果主義は、良い行動と悪い行動を区別するものは、その結果であるとしている。結果主義の最も有名なバージョンは功利主義であり、18世紀〜19世紀の2人のエキセントリックなイギリス人(注:ベンサムとミル)によって 現代的な形で発展した。

一人目はジェレミー・ベンサムで、倫理的に行うべきことは、最大多数のために最大の幸福を生み出すことであると主張した。この考え方は、効用の原則として知られている。ベンサムによれば、幸福とは、あらゆる形態の快楽の和から、あらゆる種類の苦痛を差し引いたものである。ベンサムは、他に道徳的に重要なものは何もないと主張した。

功利主義には賛否両論がある。だが、功利主義が現代まで生き残り、多くの人々の思考のフレームワークとして使われているのは、それが有用だからだ。

功利主義のプラスの側面は多い。人格や属性ではなく、効用だけに注目して判断する考え方は、平等の原則に結びつく。「効用を計算して、効用が大きな選択肢を採るべし」とのアイデアは、数理的に解を求める手法や、データを機械的に処理して解析する手法と相性がいい。功利主義は主流派経済学やゲーム理論の思想的な源流だ。「KPIを最大化する」経営スタイルや、「苦痛を最小化」を基準にプロダクト/サービスを評価する考え方も功利主義の応用といえる。

一方で、純粋な功利主義者は、「1人の命を奪うことで2人の命を助けられる」場合、他の選択肢がなければ1人の命を奪う選択をするだろう(いわゆる「トロッコ問題」)。このような功利主義の「不快な結論」に異議を唱え、まったく異なる原則を提示するフレームワークが義務論である。

義務論

義務論は、究極の倫理原則は効用ではなく義務(duty)であると主張している。義務論の最も有名な提唱者は、ベンサムと同時代のイマヌエル・カントである。
(略)
カントは、人間が自由に理性を発揮して行動できることが、人間に固有の地位を与えていると考え、それを尊厳(dignity)と呼んだ。この概念は、カントの哲学にとって非常に重要である。なぜなら、彼は、尊厳は私たち自身だけでなく、他人の中でも最重要であり、尊重されなければならないと主張しているからである。

カントはこの自律性の考えから道徳法則を導き出した。これらの中で最も有名なものは、彼が「定言命法」と呼んだもので、その一つの形は、他人を目的への手段としてだけでなく、常に自分自身の目的としても扱わなければならないというものだ。言い換えれば、他人の意思に反して他人を利用してはならない。それは、彼らの自主性を尊重せず、ひいては彼らの尊厳を尊重しないからである。

カントは、結果は重要ではないと言ったわけではない。彼は、効用と定言命法が対立する場合には、常に定言命法が勝つと考えていただけだ。これは、いくつかの悲劇的な結論につながる。有名なことだが、彼は、殺人をしようとしている人に、被害者の居場所について嘘をつくことは不道徳だと考えたのだ。

義務論の究極の原則は義務である。(略)共通の考えは、私たちが大切にしている人や物を守るためには、純粋な効用の最大化に何らかの抑制が必要であるということである。

カントの義務論によれば、人には他人の尊厳を守る義務がある。他人を自分の道具のように使うことは許されない。「トロッコ問題」の例でいえば、2人を生かすためであっても1人を積極的に手をかけて殺す選択は、義務により禁じられる。人には最後の最後まで、全員を救命する方法を模索する義務がある訳だ。

人権

人権という言葉はよく聞く言葉なので、“ふわっとした”印象を持っている人が多いかもしれない。例えば「光回線は人権だよね」とか「社会の弱者に配慮しなきゃ、という話だよね?」といったふうに。今ではインターネットアクセスは人権の一部として認められているし、もちろん社会から排除された人々への配慮の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。だが、それだけでは人権概念の理解として不完全だ。人権とは、「すべての人」の「誰にも奪えない尊厳」に由来する権利と自由について記述した、哲学上の議論に耐える強度を備えた思考のフレームワークなのだ。

(人権の)概念は、人間の尊厳は疑う余地のない権利であると認めることである。そのさい、その人が誰であろうと、どこで生まれたかは問わない。この権利はあらゆる場所のすべての人に適用されるという考えは、普遍性の原則として知られている。

1948年に発表された世界人権宣言は、哲学者、学者、その他の知識人を対象にした史上最大規模の調査の結果である。現存するすべての文献、すべての憲法、すべての権利の文書、そして数百人の世界中の高名な思想家たちが調査され助言を求められた。驚くべきことに、関係者のほぼ全員が主要な点に同意しており、議論はもっぱら細部に集中している。
(略)
哲学的には、人権とは、尊厳から派生した本質的な原則に由来している。それらは、参加と包摂、普遍性、平等性と差別の排除、奪うことも分割することもできない性質、そして責任だ(participation and inclusion; universality, equality and non-discrimination; inalienability and indivisibility, and accountability)。

人権フレームワークの全貌は「世界人権宣言」というコンパクトなテキストに集約されている。世界人権宣言は、採択から70年が経過した今も、最新の人権問題を議論する上での基本的な思考のフレームワークとして機能し続けている。

そして、人権フレームワークには「功利主義、義務論の強みが取り入れられている」だけでなく、もう一つの倫理フレームワークも備わっていると著者は指摘する。それが次に説明する「徳」である。

徳倫理学

徳とは、人格上の特徴の集合であって、それらが組みあわせられることで良い人間を形作る。徳とは、一定の道徳的に肯定的な方法で行動したり、感じたりするための永続的で信頼できる気質のことである。言い換えれば、徳とは、人をその人格上の特徴として善良に振る舞わせるものである。徳の倫理学はプラトン、アリストテレス、孟子、孔子によって発展された。今日議論されている理論は、アリストテレスと最も直接的に結びついている。
(略)
道徳的な徳は習慣の結果として生じる "と彼(アリストテレス)は「ニコマコス倫理学」の中で書いている。"私たちは公正な行為をすることによって公正になり、節度ある行為をすることによって節度があるようになり、勇敢な行為をすることによって勇敢になる"。 正しいことをするために、私たちはまた、正しいことをすることが私たちの一部になるまで、歯を磨いたり、車を運転したりするのと同じくらい習慣的に私たちの徳を実践しなければならない。

「徳」という言葉は私たちにはなじみ深い。それは人格と結びつくものであり、日々の訓練を伴う。徳について訓練する行為を、日本人は「徳を積む」と表現する。このような徳の概念は、アリストテレスや孔子の時代いらい、2000年以上にわたり私たち全員の努力目標であり続けている。

4つの倫理フレームワークを統合する

著者は、4つの倫理フレームワーク(功利主義、義務論、人権、徳)の共通点を指摘する。

1. 平等(equality)。個人の本質的な重要性と平等性に同意
2. 普遍性(universal)。原則はどこでも、すべての人に適用される。
3. 効用(utility)の重要性。権利、義務、徳がそれらの行為を禁止していない限り、最大の効用を生む選択肢が最も良い。
4. 開発(development)に焦点を当てる。ここでいう開発とは「持続可能な開発目標(SDGs)」でいう「開発」と共通する概念だ。教育、能力開発、インフラ整備、環境問題対策などを含む。

注意したいことは、著者が「人権、人間の尊厳を守るためには、功利主義を抑制する権利と義務のレイヤーが必要である」と明示的に述べていることだ。

例えば、先に例に挙げた「トロッコ問題」の例では、こうなる。完全に純粋な功利主義では、2人を生かすために(他の選択肢がない場合には)1人を殺すことは正当化される。義務論によれば、1人を殺すことはその人の尊厳を奪うことになり、自分と他人の尊厳を守らなければならない義務に反するので、この結論は否定される。ぎりぎりまで、全員を救う方法を考えるべきなのだ。

人権の本質は「決して奪うことができない尊厳」にあり、メリットとデメリットの計算だけに基づく純粋な功利主義では人権を守ることはできない。この優先順位は厳しく守られなければならない。

式で書くなら、

人権  >> 功利主義

こういう不等式が成り立つ訳である。

より耳あたりがいい言い方をすれば、

功利主義と人権を両立させよう

というメッセージは有効だ。この考え方を実践している人々もいる。例えばビル・ゲイツは「人道と利己主義は両立しうる」と述べている(Financial Timesの記事)。一方で、例えば企業の都合と人権が深刻に対立した場合、人権が優先されるべきである。例えば、企業がサービスを運営する場合、利益やサービス指標を高めるために、利用者のプライバシーを侵害したり、利用者個人に不利益になる施策を採用することは、人権の原則に反する。

ここで重要な補足がある。著者は「権利が対立する場合、政府は、功利主義的な計算に非常に似たプロセスで、異なる権利の主張の相対的な重要性を計量しなければならない」と書いている。現実の社会で複数の人の権利が衝突した場合、結論を出す方法は功利主義的な計算によるものとなり、それは政府の仕事である。

著者は書いていないが、自由や権利が衝突した場合に功利主義的な解決を取る場合でも、そこには「話し合い」や「異議申し立て」の仕組みが伴っている必要がある(この側面は、アマルティア・センが「正義のアイデア」などで論じている)。例えば政府機関がパブリックブロックチェーンプロジェクト(暗号通貨)を規制する場合、包括的な原則に基づきマルチステークホルダーの話し合いで進めることが望ましい(このような取り組みは、最近始まったばかりだ)。

また医療現場のトリアージのように、異議申し立てができない状況に置かれた人々への対処を考える場合のルールも考えなければならない。

4つの倫理フレームワークの本質的な原則を確認した上で、著者はそれらを組みあわせて、新しいフレームワークをスケッチしてみせる。

- まず、問題を明確にする
- 次に、様々な選択肢の効用を評価する
- 最も効用がある選択肢が他の人の権利を侵害していないかどうかを検討する
- 問われている権利が絶対的なものではない場合、その効用がそれらを上回るほど大きいかどうかを判断する
- 選択肢の中から、権利/義務により制約も相殺もされず、最高の効用を持つものを選択する
- 可能な限り、開発に焦点を当てる

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(著者による講演スライドより  License: CC Attribution-ShareAlike License)

今まで説明してきたように、ここで使われている効用、権利、義務、徳、開発という用語はそれぞれ意味が定義されている。一部は繰り返しになるが、簡単な説明を付けておく。

効用 (utility):大小を比較できる指標。メリット、デメリット。経済学や経営の基本
権利 (rights):決して奪うことができない人の尊厳に由来するすべての人の権利。リファレンスは世界人権宣言(UDHR)
義務 (duty):究極の倫理原則。理性を発揮して行動する人間に伴う義務。義務には「意思決定がその場の都合や欲求ではなく普遍的な法則に従うこと」「人の尊厳を守ること。他人を道具として用いないこと」などが挙げられる。代表的な思想家はカント
 (virtue):人をして「良い人」たらしめる人格上の性質。日々の訓練により定着する。代表的な思想家はアリストテレス
開発 (development):教育、能力開発、インフラ整備、環境問題対策などを含む広い意味の開発。「持続可能な開発目標(SDGs)」でいう「開発」と共通する概念

著者が作ったフレームワークは、一見すると抽象度が高いチェックリストに見えるかもしれない。それでも、この新フレームワークには2000年以上にわたり研究されて生き残ってきた倫理フレームワークを統合した「優先順位付け」が織り込まれている点に注意したい。大事なことは、新規性や効率、利益よりも、「人の権利を侵害せず義務に違反しないこと」が優先されるという優先順位付けだ。実際のプロジェクトでは、このようなフレームワークを利用局面に合わせて詳細化したものを適用することになるだろう。

これらを、「面倒な手続きが増える」といった種類の話だと考えるのは間違いだ。著者らは、このような倫理フレームワークは、ブロックチェーンプロジェクトが社会貢献をしていく上で、どの分野が有用なのか、それを見通すための視点をも与えてくれるはずだと指摘しているのだ。

参考文献

Sebastian Porsdam Mann, Max Schmid,Two Sides of a Coin: Blockchain, Ethics and Human Rights, InfoQ , FEB 20, 2019

Slideshare
Two sides of a coin: ethics, human rights and blockchain technologies - Sebastian Porsdam Mann - Codemotion Amsterdam 2018
(著者によるプレゼンテーションスライド)

これからの「正義」の話をしよう」は「ハーバード白熱教室」で有名になったマイケル・サンデルの本。この記事で取りあげるベンサム、カント、ミル、アリストテレスらの思想をアメリカ流に噛み砕いて紹介している。

世界人権宣言テキスト 。人権フレームワークは、本文にあるように、人類の叡智を結集した史上最強クラスの強度を備えた倫理フレームワークだ。しかも分かりやすくてコンパクト。一読をお勧めする。

もうひとつの世界人権宣言が、アムネスティ日本掲載の谷川俊太郎訳「わかりやすい世界人権宣言」。親しみやすい表現だが、短く平易な言葉で本質を捉えている。こちらも必見。

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星 暁雄(ITジャーナリスト)

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日経BP社で編集長を経て、フリーランスITジャーナリスト。技術と社会のジレンマ、インターネットと人権の関係に興味を持つ。得意分野はIT全般でエンタープライズ、ソフトウェア開発、インタビュー、スタートアップ取材なども。好きなものはイノベーション、嫌いなものはフェイク、Scam。