でき太くん三澤のひとりごと その61
前回は私ができ太くんの学習材開発に携わり始めたばかりのころのお話をさせていただきました。
今回はそもそも何で「説明をしない、教えない学習材」を開発するのかという理由について書いてみたいと思います。
すでに世の中にはたくさん教材があり、優れているものもたくさんあると思います。
なのになぜ、わざわざ先生や大人が教えない、説明しない学習材を開発するのか。
その理由は、「教える教育」のデメリットを解消したかったからです。
「教える教育」というのは、学校、塾、マンツーマン個別指導など、先生が子どもに「教える」タイプの教育です。
おそらく私たちのような仕事をしていない人にとっては、「その教える教育に、学習材を開発しなければならないほどのデメリットなんてあるのですか」という質問をされそうですが、私にはあったのです。
どうしても解決したい問題。
もうできるだけ教えたくないと思わせる問題があったのです。
私もでき太くんを始めるまでは、ずっと「教える教育」を実践していました。
前回もコメントさせていただいたように、教え方、説明の仕方には自信があり、私が担当させていただいたお子さんたちの多くは、しっかりと成績を上げ、行きたい学校にも合格していきました。
ここに一体何の問題があるのか。
それは、「私」という指導者がいなくなったら、子どもが主体的に学習できないという問題です。
私ががんばればがんばるほど、子どもが望む結果を出せばだすほど、強力な依存関係を作っていってしまうのです。
「私」がいないと、
何を課題として学習すればよいのかがわからない
学習した内容がなかなか定着しない
自分で何を復習すべきか判断できない
自分で何が定着していて、何が定着していないのかつかめていない
新しい単元は説明してもらわないとできないと思っている
自分で毎日課題を決めて自主的に学習できない
「私」が指導をしないとテストや成績は上がらないと思っている
「私」に教わって課題を消化すれば受験に合格させてもらえると思っている
というように、子どもたちを完全に指導者に依存する体質にしてしまっていたのです。
もちろんそう思わせてしまう私自身にも問題があると思いますが、「教える教育」はだれが行うにしても、そういったデメリットが生じます。
デメリットが生じないのは、学習者のモチベーションが高く、主体的な姿勢がある場合です。
かつて空海が唐に渡ったときのように、学ぶ側のモチベーションが高ければ、教える教育だろうと何だろうとどんどん吸収していき、自主的に学んでいきます。
幕末の松下村塾の塾生も学びたいという強い思いが学習者にあったでしょうから、デメリットなどほとんどないでしょう。学習に「やらされ感」が全くないのです。
ただ現代は、子どもが望む望まないにかかわらず、均等に学習の機会が与えられるため、私たちまわりの大人が気をつけていないと、子どもは「教える教育」のデメリットを経験することになります。
教育をすることで、子どもを依存的な体質にし、私がいなければ何もできないというのでは、私がいないほうがマシです。
そこで、私があまりかかわらずに、できるだけ子ども自身の力で読み、考え、問題解決していく方法はないかと模索していたときに、「でき太くんの算数」に出会ったのです。
このはじめての出会いから、早いもので20数年経とうとしています。
残りの人生もでき太を活用して多くのお子さんの主体性を育てていければと考えています。
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