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でき太くん三澤のひとりごと その101
◇ 昭和の変わった塾
この前のコラムで書いた英単語を教えてくれない先生がいる塾。
この塾は、今思い起こせば本当に変わった塾だったと思います。
たとえば、その先生が出した宿題をやってこなかった生徒がいたとき。
先生は静かにその生徒の前に立ち、
「今日までありがとうございました。あなたは今日で退塾です」
と言い、そのまま黒板の前にもどると何事もなかったように授業をはじめるのです。
その光景を入塾したばかりのときに見た私は、正直、恐怖すら感じました。大人が感情的に怒るでもなく、叱るでもなく、なぜ宿題をやってこなかったのかという理由を聞くこともなく、ただ静かに「今日で退塾です」と言い、その後は淡々と授業を進めていくのです。
宿題を忘れた子も呆気にとられ、ずっと机の前に立っていると、先生は一度授業を止めて、
「〇〇くん、今日で退塾ですから、もう帰っていただいて結構です」
と静かに言うのです。
「えーーー、マジ?」
「これ、なんかのドッキリ?」
と、その当時の私は思いましたが、これはドッキリでもなんでもありませんでした。
終始このような調子で、
辞書を忘れていたら退塾。
筆記用具を忘れてきたら退塾。
男女関係なく、学校の成績が優秀な子でも、宿題をやってこなかったら退塾。
どんどん生徒が減っていきます。
最初私のクラスは、25名ほどいたと思いますが、夏休み前には15名ほどになっていました。
この頃になると、その先生の授業内容は、かなり充実したものとなってきました。
25名ほどいたときと授業の内容、質があきらか違ってきました。
授業時間の90分間、先生も生徒も最後まで集中を切らさず授業に臨み、お互いが真剣勝負。
先生はわかりやすい説明でテンポよく授業をどんどん進め、生徒は先生の説明のひとつ一つを絶対に聞き漏らさない。
生徒のだれもが授業に集中している緊迫した空気。
先生はチョークを床に落としていることにも気づかないほど説明に集中している。
この緊張感と充実感は、これまで感じたことがないほどのレベルでした。
90分がまるで10分くらいに感じるように、あっという間に時間が過ぎていきます。
このとき私は子どもながらに感じました。
辞書や宿題を忘れたくらいで退塾というのは理不尽にも思えるけど、これは
「本気で自分が求めているのか」
ということを試されているだけだったのだ、と。
もし野球が大好きな少年が、大谷翔平選手に野球を教わることができるとなったら、遅刻もしませんし、きっと忘れ物もない。もし課題があったとしたら、決して忘れずに取り組みますよね。
それができないということは、きっと本気ではないのです。
そこまできっと求めてはいないのでしょう。
親から言われて渋々塾に通っている。
友達と一緒で楽しそうだから、とりあえず通っている。
みんなが塾に通い始めたから、自分もとりあえず通いはじめた。
そういう本気でもない、自分の意思がない、中途半端な状態の子を、ちょっと粗っぽいやり方ではありますが、退塾させる。そうすることで、本気で求めている子だけのクラス編成となっていく。
このやり方は、今ではとても通用しない、まさに昭和のストロングスタイルではありますが、本気で学びたい、本気でできるようになりたいものだけが集まると、教室がどういう空間になるのかということを体験できたことは、私にとっては貴重でした。
塾というものは、私のように「勉強ができない子」は、経営的には宣伝にもなりませんから、できるだけ優秀な子を集めたいと思うようですが、その先生は「勉強ができない子」でも、宿題をしっかりやってくれば決して退塾にはしませんでしたし、そういう子(自分も)には、わかるまで、できるまで、必ずあきらめずに伴走してくれました。
夜11時近くになっても、わかるまで、できるまで徹底して付き合ってくれました。
おかげで私は、その塾で過ごした中学3年生の1年間で、高校1年生の文法的なことまですべて習得することができました。
Be動詞と一般動詞の区別もあいまいだったような私でもです。
このような結果が出たのは、先生と生徒のお互いが本気だったからでしょう。
ちょっと粗っぽい昭和のストロングスタイル。
懐かしいですね。
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