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墜落の全容 後編 -重なった奇跡、故に苦しむ心- ~第17話 パラグライダーで墜落 そして入院~

前回は事故で墜落する瞬間までのお話をしていきました。
今回は墜落した瞬間から、その後までの話とそれに対する心の動きのお話をしていきます。


<はじめに>

前回の投稿で事故の時、自分が致命的なミスをしていない事がわかりました。大きなミスをしていないことから、はじめて「生きていてよかった。。。」と事故後はじめて思うことができました。救われました。

しかし、救われた一方で、生きていたということが段々と私の心を苦しめることになっていきます。

その理由は事故時にありえないほど奇跡が重なっていたからです。

<奇跡1 落ちた場所>

実は墜落した場所が実は石やコンクリートでゴツゴツしていて、角ばかりある場所だったんです。その中で何も無い平坦な場所はおそらく全体の10%くらいしかなかったと思います。石やコンクリートの角に体のどこかをぶつけて致命傷を負う確立のほうがはるかに高かったでしょう。しかし自分はとても幸運なことに数少ない平坦な場所に落ちる事ができました。

<奇跡2 頭へのダメージ1>

幸運にも平坦な地面に落ちる事が出来ました。しかし、墜落した時の動画を確認すると、地面に衝突する瞬間、頭のすぐ上にコンクリートの角がありました。距離にして20〜30cmくらいかと思います。ギリギリで当たらずにすんでいました。もしあの角が頭に直撃していたら、、、もうこんな風に投稿出来ていなかったばずです。
前回の投稿で書きましたが大潰れをした後の操作は色々と改善の余地がありました。ただ、ちょっとでも違う操作をしたことで落下位置がズレていれば、もっと酷いことになっていた可能性があります。そういった意味でも幸運だったと思います。

<奇跡3 頭へのダメージ2>

なんとかコンクリートの角に頭をぶつけずにすみましたが、それでもヘルメットの外側はパックリ割れていました。
参考画像のような割れたをするぶつけ方をどこでしているかは動画を何度調べても、わかりませんでした。
幸運なことにヘルメットの内側はしっかり守られていて、頭へのダメージは最小限ですんだんだと思います。あのベルメットの割れ方で脳震盪とたん瘤だけですんだのは驚きです。(脳震盪のせいで事故があった日の記憶はほとんどなくなりましたが、、、)

<奇跡4 足から落ちた>

今回の事故で自分は左の踵、骨盤、腰椎を骨折しています。状況から考えて、踵から、つまり足から墜落したと考えています。足から落ちることが出来たのも、とても幸運な事でした。パラグライダーは腰の所が翼と繋がっています。なので腰から落ちる確率が高いです。今回の落ちた場所は硬いコンクリートでした。もし腰から落ちていれば落下エネルギーが腰に集中していたのではないかと思います。そうなれば、、、、腰椎がもっと酷い折れ方をして、神経に重大なダメージを負っていたことでしょう。。。足から落ちたことで落下エネルギーが分散してくれたはずです。これも幸運の1つと考えています。


<奇跡5 現場に偶然、医師と看護師がいた>

これが最大の奇跡だと思っています。墜落した現場に偶然にも医師と看護師がいました。二人とも自分が飛んでいたエリアのパラグライダースクールに通う生徒さんだったのですが、たまたまその二人がきていた日なんです。すごい偶然です。。。
墜落後すぐに駆けつけてくれて、ドクターヘリが来る前から処置をしてくれていたそうです。
「ここが怪しいから、こういう動きをさせてはダメ。こういう動きはさせていい」と判断してくださったそうです。
自分は医療のことは良くわかりません。ですが、神経へのダメージが最小限で済んだことと、骨盤骨折による内出血を起こさなかったのはこのお医者さんと看護師さんのおかげだと思っています。
助けてくださり、本当にありがとうございました。


<重なった奇跡に対して>

以上の5つが墜落時に起きた奇跡です。最悪の場所に落ちながら、数少ない平坦に地面に落ちることができ、落ち方も最もダメージが少ないであろう形だっと思います。そして、現場に偶然にも医師と看護師がいた事。

~ありえないほど、重なった奇跡~

それが事故直後のことについて自分が感じた印象でした。
あの大事故から再起可能な可能性が高い状態で生き延びることができた。その部分だけを見れば、とても幸運でありがたいことです。心底そう思います。

でも事故全体で見ると、思いは変わってきます。

<事故に対する自分の思い>

なんで、、、最悪の出来事の直後にこれだけの奇跡がかさなったんでしょうね。。。もし神様がいたとしたら、神様たちも一枚岩ではないってことなんでしょうか。終止符を打とうとする神様もいれば、そうはさせないとする神様もいるんでしょうか。それとも悪魔VS神様みたいな構図だったのでしょうか。

自分にはもうよくわかりません。

ただ、事故の全容を知って一番最初に思ったこと。それは、、、
「なんで自分なんだ・・・?
 なんで自分が落ちることになったんだ・・・?」
という思いです。
あまりにも悔しい。。。そして悲しい。。。

パラを始めてから、自分なりには安全管理を一生懸命やってきたつもりでした。その為の練習も人一倍してきたつもりです。

正直に言います。
テイクオフやランディング、ましてや、飛んでる時だって、自分なんかより危ないフライヤーや選手は沢山いると思ってます。
でも落ちたのは私なんです。

えぇ、頭ではわかってます。そこに意味なんかないって。
そこにあるのは複雑に絡み合う色んな要素からはじき出された、純粋な確率の話だけ。色んな悪い要素が重なった瞬間、たまたま自分はそこにいた。その結果だと。

自分の落ち度もある程度あるでしょうが、、、ざっくり言えば運が悪かった。それだけだって。

頭ではわかってるんです。。。
でも私だって人間です。
頭で理解しても心はある。

「やっぱり悔しい。悔しいよ。悲しいよ。。。」

病室で初めて動画を見た時は落ち着いて見られたんです。そんなに感情が爆発することもなかった。でも翌朝の明け方のことです。トイレに起きて戻ってきたところで感情が爆発してしまいました。ただただ、泣きました。

一通り泣いたところで、空が明るくなってきました。思わず大きな窓のところへ歩いていき、朝焼けを見に行ってしまいました。

相変わらず、きれいな色の空でした。優しい色でした。
なら、、、なんで俺に牙をむいたのかな。。。

やっぱり悔しい。。。悲しいよ。。。

<まとめ>

飛行中、致命的なミスはしていなかったのに、あまりにも理不尽な、不幸な形での墜落でした。一方、ありえないほど重なった奇跡のおかげで生きていられたことは本当によかった。でも失ったものがあまりに大きい。そしてこれからも大変な日々は続いていく。見えない先と将来。不安ばかりどんどん大きくなって行きます。

当時は自分にとってあまりにも重たすぎるこの事実に、溢れ出てくる感情を受け止めることで精一杯でした。

その後、この出来事をゆっくりと消化してできていきます。しかし消化できた感情とは裏腹に「ありえないほど重なった奇跡で生きていた」という点が新たに心に重くのしかかっていくのでした。

その話はまた別の機会に。
続く。



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