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パラグライダーで墜落。そして入院。その19 ~1/3荷重と、この頃の心の状態~


墜落してから1ヶ月と10日ほど経った頃のお話です。

左足の免荷重がはずれました。体重の1/3の荷重をかけられるようになりました!

<免荷重とは?>

免荷重とはざっくりいうと、「骨がちゃんとくっつくまでは、体重をかけないでね。負荷をかけちゃだめだよ」というものです。

↑「シリーズその4」で詳しく書いてありますが、墜落したときの衝撃で左の踵は酷い粉砕骨折をしています。手術で金属のプレートとスクリューで固定されていますが、骨がくっつくまではかなり時間がかかります。なので骨のくっつき具合に合わせて治療やリハビリを進んでいきます。足にかけられる負荷を段階的に上げていくわけです。
具体的には手術後
0週間~4週間 一切の荷重がNG
4週間~6週間 体重の1/3の荷重までOK
6週間~8週間 体重の2/3の荷重までOK
8週間以降   全体重かけてOK
といった感じです。

つまり踵の手術から1ヶ月たち、この日からは体重の1/3まで荷重をかけて行きましょう、となったわけです。荷重がかけられるようになるので、リハビリ内容はかなり幅が広がりますし、入院生活もかなり変わってきます。

<1/3荷重のリハビリ>

1/3荷重になって初めてしたことは荷重の感覚の訓練です。まず2台の体重計を左右に配置。左右それぞれの体重計に足を乗せて荷重が右足100%の状態から、左足にゆっくり体重をのせていきます。それを体重計の目盛りをにながら目標の荷重まで荷重をかけていきます。そしてその時の足にかかる負荷の感覚を覚えていきます。

当時自分は体重が70kgちょっとあったので、左足にかけていい荷重は20kgちょっとということになります。安全をとって20kgまで体重かけていいよ、という形でした。
右足全体重→左足に荷重をかけていく→20kgになったところで止めるという作業も何度も何度もしていきます。その荷重の感覚を体に叩き込んで、それ以上はかけないようにしていく訓練というわけです。

1ヶ月間、左足には全く荷重をかけていなかったこともあり、最初は荷重をとても重く感じました。違和感すらありました。ただ重たく感じても、辛さは思ったほどなかったです。幸い、荷重をかけたときに手術をした踵が痛くなることはなかったのもとても救いでした。

つらいまではいかず、まぁ、こんなもんかという感じでしたが、療法士さん的には、全く荷重をかけられないのと、20kg荷重をかけられるのではものすごい違いがあるそうです。20kgとまだまだ軽い負荷であっても、筋肉を刺激することができるというのは雲梯の差があるらしいです。

<1/3荷重での入院生活>

1/3荷重がかけられるようになったことでリハビリだけでなく、入院生活も大きく変わって行きました。

左足を一応地面につけて多少の荷重がかけられるので、立って体勢をキープできるようになります。ちなみに今まではピックアップ歩行器などを使って手で支えないと弱った片足だけで体勢キープをすることは難しかったです。1/3荷重で右足に体重を乗せるのがメインであっても、両足で立つことができればかなり安定します。手すりなども持たなくても大丈夫になります。
そうなると、両手があくので、パンツやスボンをあげるなどの作業のやりやすは片手の時とは大違いです。更に自分は睡眠の時以外、常に腰の骨を守るためのコルセットをしています。なのでトイレなどで、コルセットのベルト、スボン、リハビリパンツと3点のつけ外しや、上げ下げを片手しなきゃいけないのか、両手でてきるのかはめちゃくちゃ大きな差があります。リハビリだけでなく、1/3荷重になったことで入院生活のしやすさも格段にあがりました。

<この頃の心の動き>

そんな感じで1/3荷重となることでリハビリは更に進んでいきます。

実は1/3荷重になる少し前にあたる腰の本手術後からリハビリが本格的になっていました。手術後は寝たきりの状態から車椅子やピックアップ歩行器を使っての移動が可能になりました。それに伴い、リハビリ内容もどんどん進化し続けていていました。それが1/3荷重になって更にリハビリの幅が広がっていったわけです。

それ自体は嬉しいことです。
ですが、精神的には結構辛かったです。

リハビリの幅が広がる→新しい動き導入→自分の出来なさにショックを受ける→事故前の動ける自分が頭をよぎり、思うように動けない自分を再認識されされる、という構図になっていました。
そのギャップに悔しさと悲しさが襲われ急に涙が出てきてしまう。。。。
ということがよくありました。
以前の投稿で書いていますが、墜落の全容を知ったばかりで、その理不尽さをまだ自分の中で消化できないことも重なっていたと思います。

色々な現実と向き合い、とてもつらい時期でした。

<そんな頃に綴っていた思い>

幸い、墜落のことや、つらい現実のことなどと、リハビリを頭の中で切り分けることはできていたました。答えの見つからないモヤモヤが山のようにあっても、リハビリのときは気持ちを切り替えて集中して取り組むことができていました。これはリハビリは療法士さんと一緒にやっていたことも大きいかと思います。隣に誰かがいてくれている時は人間強くあることができる部分ってありますよね。そのおかげで
「体を可能な限り戻す。そのためにはリハビリを全力で頑張る」
という目標は明確に持ち続けられていました。

そんな精神的につらいことが沢山あっても、リハビリはしっかり取り組めていたこの頃に書いていた日記があったので、ご紹介します。

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感情的になる瞬間はどうしてもある。
涙が出てしまうこともある。
だからどうした?
こっちは必死に戦ってんだ。
どんなにかっこ悪くたって、
ぐちゃぐちゃの表情してたって、
前に進んだやつが勝ちなんだ。
今日もしっかり進んで行ってやる。
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自分がやるべきことは明確にできていたのはラッキーでした。
しかし、必死にリハビリをしていく中、、、
ある悲しい、今後の計画が大きく変わってしまうお知らせがあったんです。
その話は次の機会に。。。



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