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正当性より多数派

今日、車をぶつけられた。

もっと詳しく話そう。息子のアーチェリーの練習に向かっていた。自宅から車で40分。来月に試合があるので、毎日練習がある。昨日も行った。道はいたって普通の平坦なアスファルトの道。で、前の車が急にブレーキをかけた。私も慌ててブレーキ。そしたら後から「ドン」という音が。
はい、ぶつけられました。オートバイに乗った高校生2人を路肩に呼び、
私は車から降りた。免許証の提示を求めた。(日本で事故にあったことないからわかんないけど、たぶんこれから始まるなと思ったので。)はい、持っていません。(これ、インドネシアではよくあること)KTP(インドネシアでの身分証明書みたいなの)の提示を求めたが、まだ持っていないと。
(17歳以上からはある)免許証もKTPも実際に持っているのか、又は本当にないのか定かではないが、彼らが言うにはないと。プレートナンバーと携帯番号、顔写真を携帯で撮るぐらいしか方法がなかった。彼らは「車が急に止まった、自分はブレーキをかけた」と。はい、私も前の車が急に止まったのでブレーキを踏みました。同じです。明らかに車間距離が足りなかったのか前方をよく見ていなかったか、ブレーキが壊れてたかのどれかでしょう。そんなやり取りをしていたら、やはり来ました野次馬のおじさんたちが。
ここは交通事故など起こるとすぐにわーと野次馬が集まってきます。おじさんたちは言い出しました。「自動車が悪い、急にブレーキを踏むからだ」と。言いたいように言い出します。そしておじさんたちは「このバイクもここが破損している」と。「そんなこと、私は知りません。私の責任ではありません。ブレーキが遅かったか、壊れているか知らないが、バイクの運転手の責任ですね」と言いました。どんどん言ってきます。「どこに住んでるんだ。どこから来たんだ」と。私は答えません。おじさん達には関係ないしですね。
高校生たちは黙っているだけ。おじさん達がお前が悪い、あーだこーだ言い出し、ちょっと?となりました。ここは法律はあってないようなもの。この場合、明らかにぶつけた方が悪いに決まっています。しかしここは99.9999パーセントインドネシア人の地方。どんなに正当性を訴えても少数派の外人は負けさせられてしまうと感じました。警察に彼らと行くことを考えましたが、行っても恐らく時間の無駄でしょう。お金で動く警察に何を期待しますか?多数派の肩を持つに決まっています。ましてや高校生。責任取れません。

今日改めて感じました。バイクなど運転はおそらく誰でも出来ます。しかし事故があったとき、責任取れますか?責任を取れるなら乗ってもいいでしょう。しかし今回のように責任が取れないのであれば、乗るべきではないでしょう。親がそうするべきです。私は自分の子供にはそうします。ここはバイクを足代わりに使います。しかし、もう一度ちゃんと考えなければひどい目に合うのではないかと思いました。
そして、単一民族の中ではどんなにそれが正しいことでも少数派は負かされてしまうと実感しました。多民族国家で法律、ルールがお金による支配から独立していない限り、少数派は負けを見ます。
どんなにそれが正しくても。
あのおじさんたちに対しての悔しさと理不尽さを感じずにはいられませんでした。悔しいし少数派の自分が被害妄想になっているだけかもしれませんが、実際に自分にはこう感じました。