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現代日本では、寿命も伸びて人生100年時代とよく言われています。
それでもたかだか100年だと僕は感じています。
平均寿命を考えてみても既に折り返しの歳を過ぎています。
明日が来なければ僕の人生はあと数時間。
地球の歴史、人類の歴史からしてみればたかだか100年です。
そんな事を考えるとまだやり残した事はないかと何時も考えてしまいます。

産まれた時、物心ついた時に見える人生と言う名の道は先が見えず果てしなく続いている様に見えます。
僕は変わった子供だったので物心ついた時から産まれた事や生きる事、自分の事について疑問に思いながら考えていました。
辛い事も多かったので生きる事がとても長い道のりを歩んで行かなければいけない事だとネガティブに重たく捉えていました。
最初の出だしは歩いては立ち止まりうずくまっては泣いてまた歩き出す。そんなイメージの生き方考え方でした。
大人になるにつれて走り出すようになり障害も乗り越えて暗闇も構わず走り続けてそれでも光の欠片も見えない時は続きましたが走る事を辞めずに出口のないトンネルはないと信じて走って走って、やっと一筋の光が見えて出口が見えて最後の力を振り絞って走り抜いた。そんなイメージの46年間でした。
今また新たなゴールを作り走り出そうと準備をしています。
僕には道半ばで諦めるとか後ろを振り返るという選択肢はありませんでした。
そもそも【諦める】という言葉そのものが辞書に存在しない。そんな感じです。
カッコよく言うと走って障害があれば壊して破壊して道を作ってでも走ることを辞めない。
そうして走ってきた道も気が付けば折り返し地点を過ぎていました。
【楽をしたい】そんな考えが頭をよぎる事は沢山ありました。
【諦める事】はとても簡単な事です。
【逃げたい】そんな気持ちもありました。
でも、道の先に見たい景色がきっと広がってる。
見てみたい。
ただそれだけで【楽をしたい】【諦める】【逃げたい】そんな気持ちに打ち勝って走り続けました。
そして見たい景色を見る事ができました。
それは想像を超えるものでした。

出来るから出来た。そんな事を言われました。
そうかもしれません。
出来ないと思った事はこれまでの人生で何一つありません。
全てが思う様に叶ったかというとそれも違います。
でもやれば全てが叶うと本気で思ってます。
そして形が違えど臨んだ未来の自分を作る事ができました。
でも『あなたは望めば出来る人だから』と言われると反発したくなる僕もいます。
幼少期も10代も20代も30代もいつの時も泣きたかった。辛かった。死のうとしました。
ただ死ねなかった。死ねないから生きるしかなかった。
生きるなら闘うしかない。藻掻いてもがいて走り続けるしかない。
僕の好奇心が見たいと言っている景色を見るために走ってきたそれだけでした。
簡単に『出来る人だから』と言われると違うかなって反発してしまう気持ちが湧いてしまいます。
だって、きっと皆誰でも見れる景色を今僕は見ているに過ぎないからです。
まだまだこの道の先に見たい景色がいっぱいあります。
この人生1度きり。
自分だかろ出来る。
そう信じるしかないです。
そう信じて走り続けるしかない。
自分の人生は自分だけのもの。
誰も責任なんか取ってくれません。
誰かが与えてくれる人生なんてありません。
見たいと思ったら、叶えたい未来があるなら自分で決断して自分の責任で自分の足で歩み続ける走り続けるしかない。
自分本位で良いから、自分の人生だから、誰も変わってもらうことができない自分だけの自分との闘いです。
誰に出来て、誰にはできない。
そういう話ではないんです。
人の数だけ道かあり、そこには数えきれない闘いがあります。
諦めない人だけが辿り着く道の遥か彼方にある楽園が人の数だけあります。

これを見て頂いた方で道半ばで挫けそうな方がいらっしゃったら【諦める事】【逃げる事】【楽をする事】を辞めて見て下さい。
楽しい未来がいつかきっとやってきます。
走り続ける力。闘い続けるエネルギーの1つは【夢】であり、【憧れ】です。
あなたがなりたい自分を考えて見てくだい。
そして進みたい【道】を選んでください。

あとは走り続けるだけです。

ご購読ありがとうございました。

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