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ポータブルプレイヤーで聴いた彼らはそこにいない

好きなバンドと聞かれれば、この何年かは「くるり」と答えている。でもそう自覚するようになったのは最近になってから。

私にとって彼らの音楽は当たり前にそばにある存在で、特別好きと誰かに伝えるような存在ではなかった。

彼らの音楽と出会ったのは小学6年生のころ。人生の半分以上の年数、くるりの曲を聴いている。

父が2階のベランダにCSアンテナを取り付けたのだ。スカパーのなんとかパックに入ったことでMTVやスペースシャワーがいつでも観られるようになって、PVというものの存在を初めて知った。

PVだけが延々と流れる番組が好きで、休みの日や夜は飽きずに観て過ごした。

「ばらの花」は、きらきらとしたイントロの美しさに引き込まれて、歌詞の意味なんかわからなくてもメロディーが気に入ったんだと思う。PVの海の雰囲気もなんとなく、好きだった。

当時、発売してすぐだったベストアルバムは人気で毎週末TSUTAYAに通っても外箱しか残されていなくて、なかなかレンタルすることができなかった。

やっと手に入れるとすぐに空のCDに焼いて、ピアノ教室に通う道すがら、ポータブルプレイヤーで繰り返し聴いた。

田舎の夜空を眺めながら「SUPERSTAR」にときめいて、「BABY I LOVE YOU」を口ずさんだ。

まだ彼らの曲の本当の良さなんてわからなかったのだろうけど、サブスクがなかったころの栞みたいな思い出である。

それから、くるりはずっと私のそばにある。

大学進学で上京したら、ずっと聞いていた「東京」の歌詞の意味がやっと分かった。2012年のアルバムは福島のことを歌う曲に思いがけず複雑な気持ちになった。初めて品川から京急に乗った時、「赤い電車」を思い出して興奮した。当時付き合っていた人が海外留学に行く時、iPodに入れる曲を紹介してと言われて「ピアノガール」だけ教えた。うっかり「ハム食べたい」を聴くと無限ループが止められない。

そのときの自分の状況や心境で、響くメロディーや詩は移り変わっていった。転職したての今は「ロックンロール」に支えられている。

くるりのファンだと公言するようにになったのは、高校でくるり好きの同級生に出会ったことがきっかけだったと思う。自覚したところで何も変わらなかったけど。

社会人になって一人でライブに足を運べるようになったころ、仙台Rensaにライブを観にいった。1曲目が「ばらの花」で、やっと会えたとじんわり泣いた。ドキドキが止まらずとにかく聴くことに必死だった。

岸田さんがあんまりアンコールに応えるものだから、最終の新幹線が迫り途中で抜けてしまったけど、ライブハウスを出た後の頭の熱さと冬の風が心地よかった。

郡山ヒップショットにも行ったけど、当日券だったからステージが一度も見えなかった。

10月に福島で開かれた野外フェスは雨でぐちゃぐちゃの会場で、くるりは初日のトリ。

そこでライブ3回目にして、聴き始めて16年目にして、やっと「くるりサウンド」を正面から楽しめた気がした。

音がきらきらと渦巻いて、その瞬間にしかない音があった。オーケストラまで作曲する岸田さんの音楽に対する飽くなき探究心は「くるりっぽい」とは言わせない凄みがあったし、その中にくるりの歴史があった。夜の野音がそれを気づかせてくれた。

小学生の頃、ポータブルプレイヤーで聴いていたくるりはいつまでもそこにはいなかった。

初めて行ったライブと反して、ばらの花はアンコールだった。PVよりすっかりおじさんになった彼らに、変わりゆく姿も変わらない姿も、いつまでも見せてほしいなぁと切に願う。




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