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遊園地化する世界と失われる旅の余白(中編)

* 本編は『遊園地化する世界と失われる旅の余白(前編)』の続きです。

前編では、観光とはどんなものか、観光地はどのようにして観光地となったのかについて書いた。本編では、「客として観光地を訪れる」という旅行スタイルとは真逆の行為としての「人として旅をする」ことについて、アフリカ旅行中の実例を用いて考えてみたいと思う。




旅的要素と観光的要素


私自身は20代の半ばになるまで、旅らしい旅をしたことはなく、観光地に行くことがすなわち旅行だと思っていた。それが旅をするようになって、旅行には旅的要素と観光的要素との2つの要素が含まれていることが分かり、以来私は、その2つを使い分けたり、組み合わせたりしながらバランスを取りつつ旅行をするようになった。

たとえば、旅行会社などが催行するパックツアーは、最初から最後まで客としてサービスを受けるスタイルのため、観光的要素が100%の旅行と言える。一方で、観光地まで自力で移動したり、現地での行動計画を自分で立てて行う旅行は、自ら能動的に行動する旅的要素と、観光地のサービスを享受する観光的要素とが組み合わさった旅行である。組み合わせ方や比率はケースバイケースだが、私個人の旅行スタイルも、ほとんどがこのタイプに含まれる。自力で移動し、自分で計画もするが、道中では観光地にも立ち寄ることもあり、その時は観光客として愉しませてもらっているからだ。

ただ、このような書き方だけでは、旅という行為がどういうものか、また旅的要素のどこがどう面白いのかは伝わらないだろう。そこで、旅的要素を多く含む旅、言うなればずっと旅ばかりの旅行(観光をしない旅行)を例にとり、旅とは何か?について考察していきたいと思う。

旅をするということ(実例:アフリカ)


世界にはイタリアやギリシャのような観光大国とされる国々があるが、そうでない国もたくさんある。私が旅行した国々の中では、いわゆるブラックアフリカ(アフリカ大陸のサハラ砂漠以南の国々)では、観光業があまり活発ではない国が多かった。国立公園や保護区の野生動物など、自然資源には恵まれた地域だが、インフラや衛生面の問題が解決されていない地域も多く、文化遺産も含めて観光資源となりうるものがたくさんあるにもかかわらず、産業として発見・開発されるに至っていない地域が多かった。私自身、アフリカでは(地域にもよるが)、観光より旅をしていた割合が圧倒的に多かったという実感がある。

ここでは、東アフリカの小国ジブチでの体験を取り上げることにした。紹介したい旅の体験はこれ以外にもたくさんあるが、観光地での体験と比較すると一つ一つの体験談がとても長くなってしまうため、本編では1つに絞ることにした。また旅の体験はこれまでにも書籍やメディア媒体等で既に発表してきたものも多いので、興味のある方はそちらをご覧いただければと思う。


ジブチのマットとお風呂屋さん


ジブチに行った理由は、有名な古代遺跡がどうしても見たかったから、ではない。私はそもそも、ジブチという国が存在していることを行く直前まで知らなかった。どんな国かも、何があるのかも、何語が話されているのかも知らなかった。ただ、アラビア半島の南端からアフリカ大陸へ航路を使って行くことになり、私が乗った船の行き先が、たまたまジブチだったことからジブチに立ち寄ることとなった。

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