安全な環境

先日、とある俳優と話していて、わたしが思うことを喋っていたら、
「それ日記に書いてよ」と言われたので書いてみる。

ベースにあるもの

喋っていたこと、つまり、今から書くことは、
今のわたしが、演劇の稽古など様々な現場の環境において、
本来これがベースじゃないか、そうであって欲しい、
と思っていることです。

端的に言えば、“安全な環境”。

そしてほんとは、演劇とかの環境だけじゃなく、
会社や教育現場など、いろんな環境がこれベースなら、
みんな“楽しい”が増えるんじゃないか、とも思ってる。

わたしの思う“安全な環境”って、
別に突飛なことや、びっくりするような新しい画期的な考えとかでは全くない。

失敗も含め、色々な経験を経て思考し思ってる今の思いは、
わたしの知ってる方で同じように思っている方もいるし、
わたしが知らなくとも、きっとたぶん、似たようなこと思ってる方、いるんじゃないかなぁ。

だけど、現実、そう思っていない人がいるのも事実。

まぁだから、
現場で誰かひとりを攻撃して追い詰めたり、
パワハラモラハラとかのハラスメントがあったり、
失敗を恐れたり、‥とかとかさ。

そうなると、
本来、楽しいって思えることが楽しめなかったり、
そもそも楽しくなかったら、もっと楽しくなくなったりするんじゃないかな。

安全な環境

安全な環境って、居心地いい環境だとか、自由な環境とも言えると思う。
色んな人がいて、色んな思考があれど、みんな自由っていうね。

“自由”っていう言葉も、時に危なさも伴うと思っているから、
わたしの思う“自由”が、できるだけ歪まないよう書くと、
相手、周りのこと何も考えず、好き勝手することじゃない。

うまく伝えらんないけど・・
思い遣りやリスペクトや優しさ暖かさみたいなモノがありながら自由みたいなこと。

ステータスがなんや

そしてそれは、ステータスや老若男女関わらずフラットであって欲しい。

プロデューサーや演出家とかが偉い(立場が上だ)からって圧力かけていいわけない。
そもそも、別に偉くない。

と、書くと語弊があるけども。
確かに、わたしは俳優として、プロデューサー、演出家、作家、はじめ、いろんなセクションそれぞれに対して、偉いしスゴイしとリスペクトもしてる。
だけど、だからって言いなりになる必要はない。

作品だってそう。
演出家だけのものじゃない。
みんなのものだ。

人形のように自分の脳でだけ考えたことをやらせるための道具としてしか他の人を見てないそんな演出家は、AIとだけ演劇やればいいんじゃない?って思う。(言い過ぎかな‥ま、いっか)

失敗が養分

わたしは、できることなら失敗したくないって思ってた。
生きる上でいろんなこと。

だけど、失敗したからわかることはたくさんあって、失敗がわたしを成長させてるなぁーって。
こう文字で書くと、なんだかカッコつけ過ぎてる気持ちになるけど、でも、ほんとそう思う。

失敗による後悔の気持ちだってなくはない。
ものによっちゃあ、叶うなら、時間を巻き戻してやり直したいって思う気持ちだってある。
だけど、その失敗によって学んだことが今の自分を創っていて、少なくともわたしは、過去の自分より今の自分の方が好きです、少しだけ。

失敗いぇーい!!!!

失敗ってどちらかというとネガティブに思われがちだけど、それってば、
まやかしじゃないかと思う。

だれも失敗しようとしてやってるわけじゃなくて(トライするって意味で失敗しようって発言はあれど)、
失敗って、
トライしたり、良かれと思ってやってみたり、初めてをやってみたりとかした結果なんじゃないかと思う。

ちょっと視点変えると、見込が甘かったとか、天狗になってたとかで、後々失敗だったと気付く人もいたりするけど、その時は失敗しようなんて思ってはないんじゃないかと思う。

失敗して、どうしたら良かったんだろうって学んで、またトライをして‥って変わってくことが、自分を成長させ、発見、新しい自分との出逢いになるんじゃないかって思う。
だから、むしろ、失敗って素敵な経験なんじゃないかと思うのです、わたしは。
どんどん失敗しよう!失敗楽しもう!いぇーい!!って思うのです。

(とは言え‥ってこともある。だけど、ひとまずここでは、もう誰がどうみても取り返しのつかない失敗というのを除いての話)

wパンチ

でも、いまだに、失敗は良くないとネガティブに思ってる人もいて、失敗が許されない環境ってのがある。

例えば、稽古場がそうだと、失敗できないっていう恐怖から、
萎縮して本来の力が出せなかったり、演出家が望むことをやろうって目線でしか考えられなかったり‥とかとかあったりする。

恐怖感があったり、萎縮したりの状態でいると、のびのび自由な発想もアイデアも出てきづらい。

そしてこれらは、ステータスや老若男女のことでもフラットに思えない人がいると、同じような状況に陥りやすい。

(こういうこと考えてると、敬語とかなくなっちまえばいいのに。敬語とかあるから余計垣根作っちまうんだよ!とか思う。でも、日本語の敬語の美しさを想う気持ちもあるんだ)

正体

わたしの思う安全な環境っていうのは、
ステータスや老若男女だとか関係なく同じ人間として向き合えて、
失敗が許される環境ってことです。

最初の方に書いた、
お互いみんな、思い遣りやリスペクトや優しさ暖かさみたいなモノがありながら、自由ってことです。

心理的ストレスが少ない環境だと、
まず呼吸しやすくなるだろうと思うし、
楽しいわくわくするアイデアが出てきやすくなると思う。
誰かの素敵なアイデアに、また誰かの素敵なアイデアに繋がって‥みたいに数珠繋ぎで楽しいが拡がって豊かになるんじゃないかって思うのです。

それってば、さまざまな現場、環境において、関わるみんなにとっていいことなんじゃないかなぁって思うんだけどなぁ。

spontaneous

いつからだか忘れたけど、数か月くらい前からわたしはがんばらないことにした。
がんばる、って、つい言ってしまいがちだけど、がんばるって口にしない。
がんばりたくない。
がんばらない。
たのしむ。
たのしいって思うこと思えることに心、身を委ねる。

ずっと夢の中にいるような。

あとがき

一応書いてはみたものの、ぜんぶ思うのすべて書ききれた、とは思えない。
こぼれてるモノたちもある。
わたしの思う考える多次元にある言葉になってないモノたちを、言葉に変換、言語化すること、わたしにとってはやっぱなかなかに難しい。

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