【Vol.21】女をいつも殴ってしまう男:原
DVをする男は、現在、随分と一般的で女が五人集まれば、殴られたことがある女が必ずいる。しかし、被害にあった女の話はよく聞くが、DVをする男側の心理を聞くことはそうない。
ちえりは、今、「女をいつも殴ってしまう」と言う男、原の話を聞いている。
One night's story:原
原は、わたしが勤めているキャバクラのボーイだった男だ。
キャバクラのボーイは基本、店の女に手を出すのは厳禁である。
だが、原は店に勤めだして二週間で女に手を出し、あっという間にそれが店側にばれた。
女と共に原は店を辞め、現在は他の店でボーイをしているが、またもクビ寸前らしい。
「だって、俺の言うことを聞かない女が悪いんだろ?」
原は、私鉄沿線沿いの居酒屋でそう話す。さっきまでは殴られた女がこの席にいた。
前の同僚だったその女が、原と話し合いをしたいから同席してくれ、と頼んできたので、わたしは今ここにいる。
殴られた女は「もう二度と会いたくない」と言い、原に貸していた荷物を回収して、すぐさま帰った。
そして、私は原の恋愛の顛末を聞く羽目になっている。
「俺は、父親が愛人の家に入りびたりで、母親はいつも父親に怒ってばかりで、子供のことなんか何も構ってくれなかった。俺、今まで母親にご飯を作ってもらったのが20回くらいしかないんだぜ」
それとこれとが、どう女を殴るのに繋がるのかわからない。
そう思いながら、わたしは、原の話を聞いている。
「だったら、自分で選んだ女ぐらいには、俺のことをちゃんと見て欲しいし、俺の理想の女にならなきゃ駄目だろ。確かに殴ったのはやり過ぎたけど、あいつがそういうことわからないから駄目なんだよ」
わたしは、苛立ちのあまり緑茶ハイを飲み干しながらこう答えた。
「あのさ、それ、全部、自分の都合じゃん?」
わたしがそう言うと、原は、憤りながらこう答えた。
「それの何処が悪いんだよ。あいつから俺のことが好きだって言ってきたんだぜ。だったら、俺の言うことを聞いて当然だろ」
わたしは最早呆れて言葉も出ない状態で、お代わりの緑茶ハイを傾ける。
そして、わたしはこう言った。
「あんたって、可哀相な人間だね」
例えば、原は、今まで母親に20回しか食事を作って貰えなかったという。しかし、これまで付き合った女が原に食事を作った回数は確実に20回を超えているだろう。
そのことに気付かない、そのことを大切にできない原が、わたしにはとても哀れに見えた。
そして、殴る男は、いつも哀れだ。
世間では、殴られる女のほうが哀れだということになっている。
けれど、殴られる女は、身体的には男に敵う筈もなく痛い思いをするという点では哀れだが、実はそうでもない、と私は思う。
何故なら、逃げようと思えば、男から逃げられるからだ。
だが、「殴る男」は「女を殴る自分」から、そう簡単には逃げられない。
女を殴る男を見ると、わたしはいつも思うことがある。女を殴りながら、この男は何を考えているのだろう、と。
女は、肉体の強さで男には敵わないものだ。
男が、その絶対的な肉体の優位性を使うということは、実は「俺には暴力以外、何もない」と自らに言っているようなものなのではないだろうか。
そう考えると、原は、もしかしたら、誰よりも自分を殴っているのかもしれない。
相変わらず、「俺の理想どおりにならない女が悪い」と言っている原を目の前にわたしはそう思っていた。
帰り道、原と別れた女から電話がきた。今日、付き合わせたことの礼と謝罪を述べた後、女は言った。
「自分の理想どおりになって欲しいって気持ちは誰にでもあると思うけどさ。相手を自分の型に押し込めようとして上手くいかない、っていうのをずっと繰り返してるのって、永遠の一人相撲だよね」
殴られて痛いとかより、何か悲しくなっちゃったよ。
女は、そう続けた。
一緒にいる相手を悲しくさせてしまう男、か。
自分がそう思われていることを知ったら、原はどう思うのだろう。
わたしは、電話を切って、しばし虚空を眺めた。
誰だって、ただ笑っていたいだけなのに、何故、誰もが自分の足に自分で躓くような真似をしてしまうのだろう。
しんしんと寒さが染みる夜道で、思った。
かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき
※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。
小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。
さて、女性ターンで書いた「どうしてもDV男が好きな女:絵梨」と対になるこの回。
これもほぼ実話。このDV男の職業などはフィクションにしているけど、「俺、母親に20回ぐらいしか飯を作ってもらったことがない」発言はリアルです。
「おーい! 彼女、毎日あんたにお弁当作ってもう数年ー‼ 超えてる超えてる確実に20回は超えてるー‼」
その発言を聞いた時、当時の晶子はそう思いましたとさ。
過去と言う妄想の中に生きるのも、まあ、己の人生だとは思いますが、まあ、犯罪だぞ? 暴力って。
今のわたしなら、確実に彼女に「殴られた痣を写真撮れ、そして日記書け、警察とDV相談窓口に付き添うから一緒に行くぞ! 慰謝料だー!」と言うだろうけど、まあ、女性の立場としてすごくわかるのが「その思い出、思い出すことすら、本当に倒れてしまうぐらい苦痛」なんだよね。だから、そうすぐに司法に任せるために行動出来ないのはわかる。
わたしも男性の暴力性に怯えてきた経験があるからよくわかる。本当にもうパニックなんだよ。冷静な判断力がなくなっている。逃げ出すだけで精一杯。
こういう時は、まず身の安全を確保して、それからは犯人に対する自分の望みを整理することですね。
わたしの場合は「① 被害者をこれ以上増やしたくない」「② 相手に自分のしたことがどれだけのことかを理解させたい」だったのですが、
これね、①はできるの。犯人が物理的に女と出会えない状況にする、ということは、できる。司法なり、その他の手を駆使すれば。
でも、②はできない。何故なら、もう犯人の中では「女に暴力を振るうことが自分の生きるアイデンティティー」になっちゃってるから。ていうか、それが正しい恋愛、男らしい俺になっちゃってるから。
人間、誰でも自分が大事だから、それを認めることで自我が崩壊しそうになるなら、そうじゃない道を選ぶんですよ。
だから、「理解させたい」なんて思わない方がいいです。「理解させたい」って優しい気持ちなんですよ。まだ、関わる気持ちがあるってこと。
でも、彼らはその関わり、求めてないんです。むしろ、その関わりは彼らが生き延びるための邪魔になるの。だから、彼らは女に暴力を振るうのです。
しゃーないっすよ。彼らも生き延びるために必死なんですよ。
まあ、本当、一度ぶち当たったら彼らのメンタリティ、大体わかるようになるから大丈夫だ! とりあえずそっこー全力で逃げとけ! というしかないですね。
わたしも去年いろいろあって悩んだことがたくさんあるのですが、わたしが、彼らに対して思うのは『汝の敵を愛せよ』という一言でした。
彼らは自身を自身で迫害してるんですよね。上記の女を殴ってしまう男、原で言えば「彼女に毎日お弁当作ってもらいながら、母親から20回しかご飯作ってもらったことのない自分のことを考えている」という。
げ、現実、見てない……。もう頭の中で、自分で自分を迫害しちゃってるじゃんそれ……。
大体、女を殴る男、レイプする男、ストーカーする男って自己正当化するんですよ。で、自己正当化するときに出てくるのが、「迫害」なの。
自分に対しても他人に対しても、迫害すること、し続けることが彼らの人間関係なんです。彼らの人生の証、寄って立つところ、ヤドリギ、アイデンティティーなんです。
で、これ面白いのは、わたし、「迫害」って言葉は実は「する」以外の動詞が繋がらない言葉なんだなーと今気付きました。
彼らは自分で自分を迫害している。けれど、この殴られた女は自分で自分を迫害してないんです。
「どうしてもDV男が好きな女:絵梨」でも書いたように、
なんですよね。逃げられないの、自分から。
彼らには彼らの中の敵だと思っている部分、「汝の敵」を愛してほしい。あなた自身があなた自身に対して、慈悲深くなってほしい。
悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨が降るように。
そう思うことで、わたしは、わたし自身の「汝の敵」だと思っていた彼らが「どうでもいい存在」になりました。
どうでもいいっていい言葉なんですよ。「どうとでも」ということですからね。
いつだって、自分自身に用いる慈悲深さは、自分自身で選べるのです。
このスピンアウトコラムの「職業はデート」と言い、5股をかけている女:莉奈でも書いたように、わたしの通った幼稚園はキリスト教系のところでして。で、昨年いろいろあり、「どうしてわたしはこういう風に考えるのだろう?」と自分に問いかけた結果、わたしの考え方の原点は聖書にあるな、ということに最近気付いたんですよね。
で、最近、いろいろお勉強中です。
昔からの友人が最近のわたしの原稿に「変な人も寄ってきちゃうし、晶子ちゃんもそう見られるパターンもあるから気を付けなよ」と言ってくれて、その心配、とってもありがたいです。
ただ、それはとっくの昔にわかってて気づいていて、それも踏まえて今こうして書いているの。強がりじゃなくてさ。
そろそろ書いてもいいかな、書けるなってようやく思えたの。だから、書けるようになってむしろ嬉しいのよ(心配してくれる友人たちへの私信です。本当にわたしの身を案じてくれて嬉しく、ありがたく思ってるよ、愛してる)。
そのうち、不登校の中学生時代に、
自然教育系のフリースクールに通うことになったら大人たちの内部事情&金銭事情で派閥争いが勃発、「あんたは一体どちら側に着くの?」と当時不登校の中学生だったわたしに60才過ぎの園長が電話で詰め寄る、
(あれだ……理想郷を作るとかって本末転倒の独善にもすぐなるんだな、って晶子、その時身をもって知った。だーって、その人が「どっちに着くの?」って言いだしたのって、要はわたしの親が払う学費が欲しかったから+自分の価値観を補完してくれる子どもが欲しかったからじゃん?)、
不登校時に行き場がなくてよく行ってたカフェの店主に「行き場がないなら、お友達の集まりがあるから来る?」と言われて、中学生だからよくわからず行ってみたら、かなりの勧誘きつめの宗教団体だった、
小学校高学年の時に引っ越した、当時は鳴り物入りのお洒落新興住宅地だった場所が、数年後、違法建築であることが発覚、数千人近い住民が一時退去、数千万円払ったマンション代どうなる? という状態になり、そのイタリアの美しい丘をイメージした新興住宅地がいきなり廃墟と化した上、全住宅地で巻き起こる訴訟、そして荒れ果てた新興住宅地には山犬が大繁殖、超吠えてる、
なども書いていきたいと思います。このへんはようやく書けるなあ、と思いました。まだ書けないこともあるけど、こうして今、ようやく自分の文章を書きたくなっている気持ちになれたから、そのうち、それらも書けると思います。
しっかし、晶子、幼い頃からなかなかハードボイルドな人生送ってんなー(本当に他人事感が凄い)。
なんにせよ、やりきれない気持ちも、変えられない過去も、書いて整理して終わらせていくことができる作家という仕事を選んでよかったです。本当に。
引き続き、気の向くまま更新していきます。
それじゃあ、またね!
いただいたサポートは視覚障がいの方に役立つ日常生活用具(音声読書器やシール型音声メモ、振動で視覚障がいの方の歩行をサポートするナビゲーションデバイス)などの購入に充てたいと思っています!