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媚薬と星を閉じ込めた抽斗【祖父・三谷昭と新興俳句を巡る冒険】(二)

こちらは、わたしの祖父である俳人・三谷昭とその仲間たちの足跡を辿るマガジンです。

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前回はこちら。

さて、小説を書く決意をしたわたしが沖永良部島に行くまでの話で前回は終わっている。

わたしが、祖父のことを知ろうとし始めたのは、沖永良部島で小説を書き終え、東京に戻ってきてからのことだった。
当時のわたしは24歳だった。半年に及ぶ沖永良部島滞在で、わたしは小説を三本書き上げた。
と言っても、今振り返れば、それはとても小説とは呼べない代物だったと思う。

わたしは定時制高校を卒業後、19歳で都内の編集プロダクションに入り、雑誌の記事を書くライターをしていた。しかし、当時、雑誌の現場はとてつもない激務で、月曜日に会社に行き、土曜日に会社から帰るような日々が常だった。始発で取材先に行き、終電で取材先から帰る。帰るといっても自宅ではない、会社にだ。今から23年前。当時は、家にパソコンやインターネット回線がある人間はめったにいず、そうなると仕事をするには会社にいるしかない。そして、雑誌ライターの仕事は、もちろん原稿を納品することだ。朝から晩まで取材をしていたら、原稿を書いている暇はない。

終電で帰社したら、もう午前二時。翌朝六時には、電車に乗って取材先に向かわなければならない。そして、その日々があと二週間は続く。今、眠っていては、原稿の〆切に間に合わない。当然、帰社したら原稿を書かざるを得ない。眠っている暇はもちろん、風呂に入る時間すらなかった。

その当時、非常に印象的だったのは、「人間は五日間、頭を洗わないと頭が痒くて何もできなくなる」という事実だ。本当に痒くて、原稿の内容を考えるどころか、キーボードを打つよりも頭を掻きたい。
どうしようもなくて、わたしは会社の近辺にある銭湯に行った。頭を洗い、湯舟につかると、ほっとしたのか急に眠気が襲ってきた。ふっと意識が遠のき、気づいたら、見知らぬ中年女性がわたしの腕を持っていた。
「ねえ、大丈夫? あなた溺れるところだったわよ」
わたしはあたふたしながら、彼女に礼を言い、目を覚ますために冷水を浴びて帰社した。今後は頭を洗っても湯舟には入らないようにしないと、原稿が書けないな。そんなことを思いながら。

今、思えばその就労体制は完全にブラック企業だったし、当時のわたしの発想もブラック企業に勤める会社員そのものである。しかし、その就労体制を正当化するつもりは全くないが、当時の出版業界の下請けの会社は得てしてそんなものだった。それに、その会社は、文章にとても厳しく、その後、フリーランスのライターとしてあちこちの会社に営業をかけた時、「きみ、あの会社に二年いたの? あそこにいたならどこに行ってもやっていけるよ」と言われたぐらいだったので、まあ、それも過去のひとつの経験である。

結果、わたしは胃潰瘍になり、二年足らずでその編集プロダクションを退社する。そのあたりからキャバクラに勤めだし、小説を書くことを決意する成り行きも、現在、noteで無料公開中の半自伝的小説『腹黒い11人の女』に詳しい。

しかし、21歳にして胃潰瘍で倒れるまで文章の仕事をしていても、わたしが沖永良部島で書いた小説は、習作とも呼べない出来だった。

自分でも、わかるのだ。小説を書いたことがなくても、自分が今まで読んできた小説とは、何かが違う、何がかはわからないけれど、これは小説とは呼べない、ということが。

わたしが、祖父のことを思い出したのは、その時だ。

そう、確かお祖父ちゃんは、俳人だった。文章の仕事をしている。編集者でもあった。

祖父の記憶はない。わたしが生まれる前に他界しているから、もちろん会ったこともない。
けれど、わたしが祖父の血をひいていることは確かだ。

体を壊して倒れるまで文章の仕事をしても、東京での暮らしのすべてを捨てて小説を書いても、何かが足りない。何かが違う。

その何かは一体なんなのか。
振り返れば、わたしが祖父のこと、自分のルーツのことを調べ始めたのは、藁にもすがるような気持ちだったと思う。
そして、藁は、蓑にもなればわらじにも、しめ飾りにも縄にもなり、昔の日本には「わらじ切れても粗末にするな。藁はお米の親だもの」という言葉があったということを、今、Googleで検索して知った。

なんだかもういつもぴったりな言葉や人が、GoogleやらTwitterやらFacebookやらからやってきて笑っちゃうな。

今回のタイトルは、祖父の俳句から。

抽斗に媚薬と星を閉じこめる

Weblio辞書 現代俳句データベース(人名)三谷昭

「ねえ、この句の抽斗って、この電話台のこの抽斗のことだよね?」

わたしが言ったこの言葉に、父は驚き、祖母は静かにほほ笑んだ。

抽斗に星と媚薬を閉じ込めたのは、大切だから、残しておきたいから。

そして、いつか誰かに手渡したいから。

そうでしょう?

じゃなきゃあ、抽斗だって浮かばれない。

あちこちに散りばめられた、恋情を起こさせる薬と仰ぎ見る憧れの星。

星座の起源は古代メソポタミアの羊飼いたちが、星空を眺めながらその光に像を結び、伝えたのが始まりだという。まだ文字が生まれていない頃、時刻を、方角を、自分のいる場所を知る術は天体に頼るしかなく、けれど、今だって人間は似たようなものなのではないかと思う。

今のわたしが、世界とつながる天の川のようなインターネットを使い、散りばめられた星々と媚薬を集めて、このテキストを書いているように。

「お祖父ちゃんのこと、知りたいんだよね」

わたしが、父や祖母にそう言ったときの話を、次回は書こうと思う。

そう、これは、わたしのストーリー。
そして、同時に、あなたたちのストーリーだ。

(三に続く)

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作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。