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【Vol.8】可愛いけれど可愛くない残念な女:麗華

 世間ではキャバクラ嬢は男扱いに長けていて、いつでもモテていると思われがちだが、必ずしもそうではない、とちえりは思っている。その見本のような女がいる。今、ちえりと一緒に働いている麗華だ。

 ちえりは、店が終わった深夜、24時間営業の居酒屋でくだをまく麗華の話をうんざりしながら聞いている。


A story about her:麗華

 麗華は 19歳と若く、つけ睫毛をびっしりつけたメイクをし、髪の毛は2週間に一回エクステンションを付け替える、いわゆるベタに派手なキャバクラ嬢風の見た目をしている。水商売は若くてルックスがいい程、需要が高いものだ。だが、麗華は今、店をクビにされる寸前である。

「大体、いくら仕事だからっていつでも笑顔でいられるわけないよ」

 稼ぎたいのに今日も早上がりさせられたと嘆く麗華は、そう言って三杯目のビールを飲む。

 じゃあ、辞めれば、という言葉を押し隠して、わたしは、無言で手を上げ、お代わりを頼んだ。

 麗華の見た目はキャバクラ嬢としては完璧だ。客としてはせっかく金を払うなら、若く、華やかで、派手で、見た目のいい女がいいに決まっている。だから、麗華は店に入った当初、見た目だけでずいぶん指名を得ていた。

 だが、麗華は客席で、店の愚痴や他の女の悪口、さらには客の裏事情までを延々と話し、客が話している時には頬杖をついて仏頂面をしていたり、「その話つまんない」と話を遮るようなことをしていた。

 その結果、現在は誰も指名客がいず、逆に「あの子はつけないでくれ」という客が増えている。

「気持ち悪い親父の隣に座って、甲斐甲斐しく酒作ったり、煙草に火をつけたりしてるじゃん。これだけしてるのに、もっとやれとか言われても意味わからない。だって、わたし、親父嫌いなんだよ。それなのによくやってるよね」

 その発言にわたしはまじまじと麗華の顔を見つめた。思わず、口に出していた。

「あんたさ、本当、可愛くないね」

 麗華は、きょとんとして、それから自分の顔を差し、「え、わたし?」と言った。今、わたしと話している相手など他に誰もいない。わたしは、何だか少し面白くなって、小さく笑いながら「うん」と答えた。

 麗華の口癖は、「でも」と「だって」と「わたしのことをわかってくれない」だ。この三つの言葉には共通点がある。それは、「わたしのことを理解してくれて当然」という考えだ。

 綺麗な女が何故もてはやされるのか。

 それは、単純に綺麗なものを見ていると気持ちいいいからという理由と、もうひとつ、滅多にいない希少価値のある存在と一緒にいれば、自分も特別な人間だと思えるからではないか、とわたしは思う。

 だが、麗華は綺麗ではあるが、他人に自分を特別な人間だと思わせる術を全く使わない。

 むしろ、「私は特別な人間だが、あなたは特別じゃない」と思い知らせるような言動しか出来ないのだ。

 そう人に思わせてしまうことは、綺麗なものを見て感じる気分の良さをぶち壊して余りあるものだろう。

 宝の持ち腐れ、とはこういうことを言うのか。店が終わった後だというのにファンデーションのよれも崩れも見当たらない麗華の顔を眺めながら、私は思う。

 麗華は、変わらず目を白黒させたままだ。自分が「可愛くない」と言われることなど、きっと想像すらしていなかったのだろう。

 自分の思うとおりにいかないのは、周囲のせいではない。自分が思うとおりに出来るだけの人間ではないからだ。それすらわからずに、ひたすら嘆いている麗華ははたから見たらとても滑稽だ。

 けれど、わたしは、どこかで麗華に眩しさを感じていた。こんなにも、「人が自分のために何かをしてくれて当然」と信じ切れている麗華の無邪気さが、羨ましかった。

 麗華は、それからすぐに、店長と言い争い、店を辞めた。

「わたしなら、もっといいお店に行けるんだから」と言う捨て台詞に、店長は「根拠のない自信って、若さの証明だよね」と肩をすくめていた。

 若さ故の根拠のない自信。わたしが眩しさを感じたのは、そのことなのかもしれなかった。

 傍若無人に突っ走り、出来ないことなど何もないと信じていたあの頃のわたしも、きっと麗華のように鼻持ちならず、けれど、それでも煌いていたのだろうか。

 そう思いながら、店のトイレで化粧を直した。落ちたマスカラを指で拭っても、疲れた顔はそのままだった。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

 さて、久し振りに読み返したら、この話、我ながら笑っちゃった。

 この話にもモデルがいる。当時のわたしは西武新宿線沿いのスナックに勤めていた。

 一冊目の本を出して数年。わたしは祖母の介護をするために引っ越した。当時のわたしは雑誌のライターとしてそれなりに稼いでいたけれど、雑誌のライターの仕事は介護と両立は難しかった。

 祖母は認知も入りかけていて、当時のわたしが20代後半で仕事をしている、ということがうまく飲み込めなかった。雑誌のライターの仕事は、当然、打ち合わせや取材、撮影がある。けれど、祖母の生きてきた時代に20代後半で独身で仕事をしている女性はほぼいなかっただろう。そういった点でも、祖母はわたしのいる状況がわからなかったのではないかと振り返れば思う。

 日中に何度も電話が来たり、買い物を頼まれたり。

 時間があるなら、そして、誰か養ってくれる人がいるなら、それぐらい全然できる。けれど、わたしは一人暮らしで、誰かに養ってもらってはいなかった。

 祖母の介護は、わたしが自分から志願したことだった。

 それはわたしは家庭の事情で、長らく祖母と疎遠になっていたからだ。

 祖母と過ごせる時間はあと少し。それがわかっていたから。

 そのあたりの話は、連載コラム『女子的リアル離島暮らし』でも書いています。

 まあ、そんな状態だったので、わたしはライターの仕事を休止して、祖母が寝ている時間に勤められるスナックで働きだしたんです。

 そのスナックはすごくいいお店だったので、そのうちあの場所をモデルにした話も書きたいなあと思っているところ。

 で、この話のモデルになった女の子とはそのスナックで出会ったんですよね。

 わたしはその頃、そのスナックで重鎮と言うか半チーママみたいになっていて、新しく入った女の子にいろいろ教える立場だった。

 まあ、だから、この女の子にも説教をしなければならなかった。彼女の振る舞いは接客業として確実に駄目だったし、実際、クレームも多かったから。

 でも、今、これを読むと、この麗華って、なんか鮮やかだよね。

 けれど、わたしは、どこかで麗華に眩しさを感じていた。こんなにも、「人が自分のために何かをしてくれて当然」と信じ切れている麗華の無邪気さが、羨ましかった。

上記noteより。

 このジャイアンぶり、鮮烈だよね。

 今のわたしは、この麗華のように思っていて、そう、正確に言えば、

「人は人に何かしたいはずだよ? だから君はわたしに何かしたいのよ。そうでしょ? it's all right.

なのよね。

 最近、FacebookのAIで診断する占いみたいなやつをやってみたら、三谷晶子の第一印象:嫌な女って出てきて笑っちゃった。

 わたし、自分を取り繕っていない時に出会った人には、もれなくこう思われてて、それがAIにすらお墨付きって、もう、笑うしかないじゃない。

 でも、いつもそのあと、わたしを嫌っていた人に、

「わたし、最初あんたのこと嫌いだった。嫉妬してた。ちゃらちゃらして男を上手く使って人生適当にやってそれを鼻にかけている女だと思っていた。でも、そうじゃないってわかった」

 というようなことを言われたりして。

「うん、わたしもあなたに嫌われてるんだろうなって思ってた。でも、わたしはあなたに惹かれていた。だから、それは別に良くてさ。わたし、わたしのことをわかって欲しくて、あなたを好きになったわけじゃないのよ。あなたが素敵で、格好良くて、だから好きになったの」

と、わたしは返して。

 まあ、それは、本当に美しい人生の一部だよね。

Everything's gonna be alright.

 それじゃあ、またね!

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。