見出し画像

人生の方向を変えた決断のその後

昨日の話の続きです。電話で号泣しながら「仕事を辞めてあなたと一緒に暮らす」と口にした時の苦しさと、切なさと、安堵が混ざった何とも言えない気持ちは、今でも生々しく思い出されます。

夢に見ていた仕事を諦め家庭に入るという決断は、その時の私にとって正に身を切るようでなものでしたし、その後しばらくの時を経て、私を苦しめることになりました。

けれど今振り返ってみれば、この期間は肩書きのない一人の人間としての自分を再定義するきっかけとなった、とても貴重な体験でした。

そして本当に自分がしたいこと、人生を通してやりたいことが何かという原点に戻るためのプロセスでした。


「共に一生を過ごしたい人にはもう出会えないかもしれないけれど、仕事はどこでもできる」と自分に言い聞かせて辞めることにしたにも関わらず、キャリアを諦めるという決断がどうしてそんなに辛かったのかというと、もうそこに戻れないと思ったからです。

夫の考えが変わらない限り、エチオピアはもちろん、途上国の現場では働けない。

現場でコミュニティの人たちと密に関わるような仕事が好きだった私にとって、これは大きな喪失感を感じる変化でした。

任期の延長を打診されていたタイミングでオファーを断わったことで、もう同じ組織には戻れないんじゃないかとも思いました。

きっとオーストラリアでも何か仕事ができるだろうとは思いましたが、言葉のハンデがある中で、人脈重視なオーストラリアの市場で自分が望む仕事を見つけるのは難しそうに感じました。

つまり、自分の中の優先順位が大きく変わったことで、自信と展望が持てなくなったのです。

情熱を注げる仕事以外に就くという妥協もしたくありませんでした。だってそれまで沢山の時間とお金と労力をかけて、ここまできたのだから。

今になってこの状況を振り返れば、考え方一つで全く違う気持ちになっていたであろうことは容易に分かるのですが、決断した時の私は、その後のキャリアに対して悲観的でした。

こう書くとその後は真っ暗だったかのように思われるかもしれませんがそんなことはありません。

ようやく大好きな人と一緒に暮らせるということは純粋に嬉しく、新生活への希望を胸にメルボルンに降り立ちました。

夫と久しぶりに一緒に暮らし、仕事の責任もなく、好きなことをしながら、安全で清潔で言葉も通じる土地で羽を休める期間は、楽しく心安まるものでした。

「やっぱり一緒に暮らすことにしてよかった〜」と毎日思っていました。

そして、さあそろそろ仕事を探すかと腰を上げた矢先、妊娠が分かりました。

欲しいと思っていた赤ちゃんを授かったことがとても嬉しくて、小躍りしました。

妊娠は、自分の体の中に別の命が宿っているという、不思議で神秘的な体験でしたし、とても幸せな期間でした。

この経験を振り返って学べること。

◆ 勝手に推測で「できない」と決め付けないで、交渉したり情報を集めたりすることで、違った選択肢も得られたかもしれない。
◆ そのために、自分が本当に大切にしたいことは何か、何に喜びを感じるのかという価値観を知っておくことが大切。
◆ 変遷期には、変化への不安が生まれるのは自然なこと。どうしていきたいか、どうなっていきたいかとアクティブに考えることで不安に呑み込まれず変化を乗り越えていける。
◆ 自分の核になる信念や情熱は、周り回ってもきちんと貫かれるので、人生の色々なステージにオープンでいれば、楽しくやっていける。

という感じでしょうか。

私の経験がどなたかの参考になれば幸いです。

お読みいただきありがとうございました。今日もあなたが自分らしく生き生きと過ごせますように。God dag!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?