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「正しく傷つくべきだった」 映画ドライブ・マイ・カーを観て感じたこと

先日、コペンハーゲンで映画「ドライブ・マイ・カー」のプレミア上映会が行われ、ハルキストな友人たちと鑑賞しに行きました。

会場では日本人に沢山会うだろうと想像して行ったのですが、意外にも観客の大多数はデンマーク人でした。さすが、世界の村上春樹。デンマークでは翻訳が素晴らしいこともあって、村上ファンはとても多いです。

ちなみに会場は、Grand Teatretというコペンハーゲン中心部にある映画館で、クラシカルな雰囲気があってなかなか素敵でした。日本のパン屋さんアンデルセンはコペンハーゲンにも店舗を出しているので、そちらで作られた美味しくて美しいお菓子の試食もいただけたり、Sing Tehusという日本のお茶を扱うティーハウス提供のほうじ茶をいただいたり、大満足でした。そんな感じで、まるでプチ日本なイベントが出来上がっていました。文化って確かに芸術だけではないですよね。

映画もあちこちの映画祭で受賞しているだけあって、3時間があっという間に過ぎていく展開で、とても面白く観ました。あちこちに散りばめられている心の機微とその表現方法が、私的にはとても興味深く、人間の心というものを学んだ今の自分が映画を観る視点が変わっていることに気付いたことも、面白かったです。

まだ観ていない方のために、細かいことを言わない方がいいと思うのですが、私が深く共感したのは「僕は正しく傷つくべきだった」という主人公の言葉でした。

傷つくことは、誰でも怖いですよね。できるなら避けたい。けれども、傷つくことを避けるために、現実から目を逸らしたり、心の目を覆ったりしていると、大切なものを失っていることに気付けない。そして、時間が経った後に、ひた隠しにしてきた傷がジクジクと化膿して、自分を苦しめ続けることになるのです。

この言葉が響いたのは、私自身が長いこと自分の傷に蓋をしていたからです。私が夢に見ていたキャリアを諦めて家庭に入った時、私の心は本当は血を流していました。夫と一緒に暮らせることは嬉しかったけれど、翼をもぎ取られたような悲しみを感じていました。でもそれでは自分の決断を後悔することになる。誰も幸せにならない。そんな風に思って、私は希望の方だけを見ることにしたのでした。

けれども、その悲しみは覆い隠されていただけで、私の中に確実に存在していました。ずーっと気付いてきちんと向き合ってもらうことを待っていました。何か問題がある度に、そこに戻っていき、何度も傷つき直していました。きちんと向き合って、その悲しみを手放すまで。

傷つくべき時には勇気を持って、思い切り傷つく。わあわあ泣いて悲しむ。例え誰かを悲しませることになっても、自分の弱さを認めなくてはならなくても。そこからこそ、本当の再生が始まるのではないでしょうか。

静謐な雰囲気ながらも、生きる希望を最後には感じられるよい映画でした。複雑だったので、結構アタマを使いましたけれども...。個人的には、瀬戸内海の景色や日本の雪景色など、日本の美しい風景にも心を打たれました。

まだご覧になっていない方は、ぜひ。

お読みいただき、ありがとうございました。今日もあなたらしく生き生きと過ごせますように。God dag!

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