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「文化の壁」の本質

「文化の違い」と聞いて思い浮かべるのは何ですか?

国の違い、地域の違い、世代の違い、言葉の違い、もしかしたら育った家族の違いかもしれません。

誰かと分かり合えない時や、価値観の違いに戸惑う時、私たちは「育ってきた文化が違うからね」と自分を納得させようとします。

それはある意味正しいと思うのですが(そんな歌もありましたよね)、人間の成り立ちというのは複雑で、何か一面的なもの・出来事でできているわけではありません。元々の個性x育ちx環境x…というように、様々な要素が掛け合わさって、私という複雑な人間が出来上がっています。

ですから、すれ違いが起こるその理由を文化の違いや世代の違いなど、表面的に分かりやすいことのせいにすることは、相手と自分の間にある本質的な違いを理解することを避けることになったりはしないでしょうか?

私の夫はデンマーク人ですが、付き合い始めた当初は、違いが目につく度に「デンマーク人だからね」と思っていました。けれども、ある日ふと、これはデンマーク人だからなのだろうかと冷静に思いました。おそらく答えはノー。外国人の場合は、外見的にも違いが明確なので、外国人だからと納得しがちですが、外国人にも色々な人がいます。

逆に、日本人なら分かり合えるかと言えば、必ずしもそうではありません。それぞれの育った環境や文化があり、一人として全く同じ経験をしてきた人はいません。

ですから、違いそのものに注目するのではなく、その人はどういう経験をしてきてどのように生きたいのか、背景にあるものに好奇心を持って接すると、どんな人とでも本質的に分かり合えるような気がします。

どなたかのご参考になれば幸いです。

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