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フリーレンから学ぶ 死ぬことを受け入れるということ

葬送のフリーレンは

ヒンメルが死ぬところから始まります

ヒンメルが亡くなった後に

ヒンメルたちとの10年の軌跡を辿るという話で始まるお話です

そこに魔族を倒していくという

戦闘シーンなんかが入ってきますが

私は序盤の

ヒンメルが死んで

ハイターが死んでいくところあたりがやっぱり好きです

数日前にお葬式について書きましたが

最後にきちんとお別れができているかというのは
大事だと思うんですよね

ヒンメルが死んだ時

フリーレンは

まさか死ぬとは思ってなかったんだと思います

人の寿命は短いってわかっていたけれど

いつかは人は死ぬのに

死ぬということを頭では理解していても

目の前に起こることは想像できていない
エルフ自体すぐに死ぬことはないし

いなくなってから

その事実に向き合うことになるんですね

仏教のお話の中で

子供を亡くした母親が

お釈迦様に泣きつく話があります

お釈迦様は奇跡をおこせる人だということで

子供を亡くした母親が

その子供を生き返らせて欲しいと言って頼み込むのです

お釈迦様は
今からいうことをやれば
生き返らせてあげますと約束します

それは
村の一軒一軒回って

死んだ人がいない家を見つけることができたら
その願いを叶えましょうと言って母親を一旦帰らせます

その母親は必死に
一軒一軒回って

死んだ人がいるのかいないのか尋ねて回ります

そして
全ての家を周り終わった時にわかるんです

どの家も

死んだ人がいて

死んだ人のいない家はなかったということ

ようやく
この母親は

子供が死んだことを受け入れることができたというお話

私も子供がいるので

子供が死んだら辛いし
受け入れられないかもしれない

でも

もうこの世にいないことは現実です

ハイターがなくなる寸前に

自分を置いてフェルンとフリーレンに旅に出るように言います

フリーレンはそれを断ります

フェルンにハイターを見送れるように

最後にまでいるようにしてあげます

今の時代

病院で亡くなる人が多いし
身近に死を感じることが少なくなりました

その人がいなくなることを考えることがなくなってきます

人とのつながりが薄くなると
それはもっと希薄になります

見送られる方も

見送る方も

納得のいく最後を迎える

思い出をたくさん作って

いなくなっても

一緒に過ごした思い出で生きていけるように

そういう時間を過ごそうよって

そういうメッセージでもあったかと思います

フェルンにとって

ハイターは親でもあり

師匠でもありました

ハイターは自分の限界を知って

フリーレンにフェルンを預けます

そこは
フリーレンを信用してたと思うし

そういう関係ができてたからだと思います

そのハイターにしてやられたと思いながらも

フリーレンも旅する仲間ができて

よかったんだと思います

ヒンメルはいなくなり

ハイターも長くないことを知ってて

フリーレンが一人にならないように

銅像を作ったヒンメルとはまた違った

ハイターなりのフリーレンに対する思いだったんでしょうね

そして

女神様に褒められますよという言葉も

いずれはこの世からいなくなるであろうフリーレンに

死ぬのは怖くないと言ってるよう

もしくは

ハイター自身が自分に言った言葉かもしれない

ハイターもわかってはいるけれど
フリーレンはこれからもずっと生き続ける
出会った人たちの思い出と共に

だから寂しくはないし

また人と出会っていく

思い出と共に
生きていくけれど

生きていれば
また新しい出会いがある

そこで

出会った人たちの思いを
新しく出会った人たちに繋いでいく

フリーレンは

そういう役目もあるようですね

実際の現実では

フリーレンほど長生きする人はいないけれど

今の時代

ネットに書き込んでおけば

それがずっと残ることになります

ある意味

自分の思いはずっとそこにあるってことです

自分が死んだ後でも

それを目にされるということです

この記事も

何十年後かにも残っていて

誰かの目に留まることもあるかもということです

そう考えると

何を書くのか

何を残したいのか

ちょっと考えますね 💦

インターネットという

膨大な記憶ができて

そこに

誰でもアクセスできる時代

何を選ぶのか

それがこれからは大事になるかと思います

自分が何をすべきなのか

情報がありすぎて困るかもしれません

ただ
目の前のことを忘れがち

目の前の人との時間を大事にして

後から後悔のないように

フリーレンが

お葬式で泣いたような

後悔の涙を流さないように

だから

ヒンメルが死んだ時は泣いたフリーレンが

ハイターが死んだ時は

泣いてなかったですね

フェルンも泣いていない

いやいや

見てる私が泣いてたけど 笑

十分な時間を一緒に過ごせて

後悔のない時間を過ごせたんでしょう

そうすることで

前を向いていける

後悔があると
どうしてもその場面に戻ってしまうのだけど

後悔にならないと

それは思い出として思い返されるだけ

きっと楽しかった思い出に書き換えられてるかも

後悔がないからその場に戻ることはない

それを糧に
前に進んでいけるんだと思います

キネシオロジーでは

後悔したことを

書き換えていくことがあります

あの時ああしていたら

あの時こうしていたら

たらればで生きるのは

同じことを繰り返すことが多い

もしくは
怖くて

全然違う道を選んで

また後悔する

そうならないように

今を大事に生きていたいですね

いつかはいなくなる人のためにも

そして

いつかは

自分もいなくなるということを受け入れて

キネシオロジーのセッションは
こちらからお問合せくださるようお願いいたします




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