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生きやすい世界へ

昨夜「海外生活」という記事を書いたのですが、一夜明けて読み直すとちょっと違和感があったので、少しだけ書き足しました。
もし5月19日の朝9時より前に一つ前の記事を読んで下さった方がいらしたら、ぜひもう一度読んでみてください。

「当たり前」という基準

昨日の記事にも書きましたが、私は正直、日本の生活より海外の生活の方が好きです。
なぜかというと、海外には色んな人がいて、多様な文化や考え方があり、毎日の生活にたくさんの新しい感覚や刺激があり、単純に楽しいからです。
そして、みんなと一緒であろうとしなくてよくてだからです。

でも、昨日の記事を読み返して私は気づいたのです。
無いものばかりねだっていても仕方ないし、無いものに意識があると、結局どこにいっても満たされない、ということに。

私は海外に出て、みんな違うのが当たり前だから、みんなと一緒にしようとしなくてもいい。そもそも誰もそんなに気にしてない。ということに気づき、とても楽になりました。

日本を基準に考えると有り得ないようなことがたくさんありましたが、それはそれで受け入れ、これまで「こうあって当たり前」と思っていた色んなことから解放されました。どんなことがあったかというと、例えば:

  • 飛行機で預けた荷物が出てこなかった@スイス

  • 乗る予定だった電車がストライキで、その日は運行再開されなかった@イタリア

  • 業者さんが約束の時間にくることは決してなかった@シンガポール

  • 徒歩圏内にお店や病院がない上に、駅もバス停も近くになく、タクシーが1時間たってもつかまらないことはザラだった@マレーシア

  • 始業時間に遅れ来たり、家族の事情や体調不良、休暇という理由で休む人(先生を含め)が多かった@シンガポール&マレーシア

    こんなことが、海外では普通に起こりました。

    日本を出てみて、私は日本の空港の預かり荷物管理の精度の高さや、電車の運行時間の正確さ、時間や約束を守るという人々の倫理観やプロ意識の高さ、日本各地に張り巡らされた便利な交通網や、そこら中にあるコンビニの便利さなどに気づきました。

これらすべて、日本ではほとんどの人が「当たり前」だと思っている基準が、本当は全然当たり前ではなく、世界では賞賛に値したり、異常なことだったりするのです。


無いものにフォーカスするのをやめよう


日本を出て初めて、私はこれまで持っていた自分の「当たり前」が当たり前でなかったことを知り、日本のすばらしさに気づきました。

でも、海外でも日本の基準を引きずったまま暮らしている日本人は多く、「なんで彼らは時間を守らないんだ」「なんで電車がスト起こして動かないんだ?!」「なんでこの国のコンビニは夜閉まってるんだ」などとイラ立っている人にたくさん出会いました。

そういう人は大抵、海外でも日本食をメインに食べ続け、日本人コミュニティで生活し、日系の学校や日系の病院を求め、日本とできるだけ近い生活をしようと頑張り、日本の基準に満たないものに不平不満をもらしている人が多かったように思います。

私は海外にいるときには、日本ではできない体験をしたいし、その土地のおいしいものが食べたいし、日本では触れ合えない人と触れ合いたいと思うタイプなので、旅行中には基本的に和食は食べないし、子供はローカルの学校に入れ、現地のお友達や世界各国からきたご近所さんたちとの交流を楽しんでいました。

「郷に入っては郷に従え」ということで、現地では当たり前だった住み込みメイドさんを雇ったり、日経新聞でなくStraits Timesを購読したりして、現地の生活に溶け込んで生活していました。

ないものにフォーカスしていると不満がつのりますが、そこにあるものを慈しみ楽しんでいると、同じ国に暮らしていても全く別の世界を生きることになります。

私はどの国でもそこでの日々を楽しんでいたし、どこにいてもよい友人や隣人に恵まれ、本当に充実した海外生活をおくることができました。


海外に出て気づいた「生きづらさ」の正体


12年の海外生活から帰国して、日本で「当たり前」にあることを普通にするために、人々や社会が抱えているストレスにも気づきました。

イタリアやフランスを旅行中に電車がストライキでとまったとき、駅員さんに「いつ動くんですか?」ときいたら、全く悪びれたりすることもなく「さぁ。今日はもう動かないんじゃない?」と言われてびっくりしましたが、周りの人は、「またいつものストライキか」という諦めた感じで、駅員さんを責めているような人は誰もいなかったことも驚きでした。

みんな電車が時間通りに動くことを期待しておらず、そこで働く人も利用する人も、とてもリラックスしているようにみえました。

日本に帰国して、数分電車が遅れたからといってイライラする人々や、電車が止まったからと駅員さんに文句を言う人々をみて、「それって当たり前じゃないよね。そもそも駅員さんのせいじゃないし」と思っていましたが、駅員さんはいつも、とっても申し訳なさそうに謝り続けていました。

日本で働く人は、日本の高い基準をもとに、高いプロ意識を持ち、常に高いクオリティを維持することが求めらていて、それが日本人のすばらしさではあるけれど、そんなに頑張らなくてもいいのに。それって異常なくらい大変なことだよ、と思ったりしています。

だからギリギリまで自分を追い詰めて、精神を病む人が多いのかな、と感じています。もっとリラックスして、楽に生きたらいいのに。

日本人として、日本人らしく生きるために求められる基準があまりに高いことが、日本で日本人として生活することの窮屈さや「生きづらさ」になっているのかもしれません。


今できること

日本に帰ってきてもうすぐ4年。
この間に、あの新型ウィルスで世界は一変しました。

この数年もし海外にいたら、身動きが取れず大変だっただろうと思うし、日本は海外に比べるとこの期間比較的自由に生活することができたので、あのタイミングで本帰国したのはラッキーだったと思っています。

シンガポールではあんなに高かった日本のおいしい食材が、徒歩数分のスーパーで安く手に入ることや、子供たちが毎日自分で登下校してくれる安全な環境に感謝し、気軽にライブやアートを楽しめる東京での生活を満喫して、今ここでの生活を楽しみたいと思っています。(でも正直、もっと世界の色んなところに遊びにいきたいけど。)

「日本の当たり前」が私の当たり前に戻ってしまう前に、noteという媒体を通して海外に出て気づいたことや、私の頭の中にあることを言語化し、私の中の気づきを広げたい。

少しずつ私というそのままの人間を出していくことで、自分が生きやすい世界を、そしてみんなが生きやすい世界をつくりたい。それをここではないどこか別の国に求めるのではなく、今自分がいるこの場所から、自分が生きたい世界をつくっていきたいと思っています。

またまた長くなりました、今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

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