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フジ子・へミング ~魂のピアニスト~ わたしのピアノ経験も交えて

一度は耳にしたことがあるであろうピアニスト、フジコ・ヘミングさんの自伝です。

フジコさんは、ロシア系スウェーデン人の父親と、日本人の母親の間に生まれました。それはフジコさんにとって決して恵まれた幸せな環境とは言えないものでした。当時はまだ精神年齢の若かった両親のぶつかり合い、母親の激烈な性質、そして戦争という影が押し寄せる中で、フジコさんは時代の波に翻弄されながら幼少期を過ごしました。

結局ご両親は別れて暮らすことになり、フジ子さんはお母様と共に、日本で幼少期を過ごします。お母様は厳しい人でしたが、確かな腕を持つピアニストでもありました。しかし、厳しく激しい性格故に、フジ子さんは生活の端々で、「わたしなんてうまくいきっこない」という強烈な自己否定感を植えこまれたと語っています。

そのような厳しい幼少期を過ごしたフジ子さんですが、次のようなエピソードが綴られています。お母様が出かけている間、ピアノの練習をさぼりながら庭先で過ごしていたフジコさんのエピソードです。この感性が、フジコさんの音楽にまでしみわたっているのだろうと思います。

土の匂い、それを手で触ると何とも言えない安心感が体の中にじわっと広がり、私はそれが大好きだった。花も好きだし今も土いじりは大好き。色とりどりの花がそれぞれの色を持って大地から生まれてくるなんて本当に不思議だった。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト~』


やがてフジコさんは日本を離れ、ドイツへ渡ることになります。お母様がかつて留学していたドイツへの憧れもあったのでしょう。しかし、生活はカツカツで、とても恵まれた環境とは言えませんでした。フジコさんは名のある指揮者に認められるものの、なかなかメジャーデビューには至らず、ピアノ自体をあきらめかけていた時に、ある本に出会います。美しい絵と共にある人の心のつぶやきがちりばめられた古い本に、フジコさんは心を動かされるのです。

誰の目に留まることもなくひっそりと生命を終えようとしていたこの本に私は何かとても大切なことがあると感じた。書かれている言葉に、いや、書けなかった言葉にその女性の人生がある。私は想像する。私もまた自分のピアノを、自分の音楽を続けよう。たった1人の人間でもいい。心に届くピアノを弾くのだ。そう強く思った。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト

こうして何度も「もうだめだ」と思う場面に遭遇するフジコさんですが、そのたびに「奇跡」に出会うのです。

本書には、セーターの奇跡とステンドグラスの奇跡のエピソードが語られています。本当に本当に、こんな不思議なことが起こるのですね。ぜひ本書を手に取って体験してください。フジコさんはこうした奇跡に出会うたびに、「神様からの後押しのサインだ」と思って、踏ん張るのです。

そして、次のような世界観を持つにいたります。


私のピアノは誰にも弾くことができない、私自身の世界である。それは誰にも真似することのできない、たった1人の世界であることを私は知っている。芸術家にとっては、それはとても大切なこと。誰でも容易に真似のできる世界ではない。そう信じている。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト』

周りに忖度するのではなく、世の趨勢に合わせるのではなく、「わたしの音楽」を持った時、そこには無限に広がる翼をもって羽ばたく音が満ちていくのでしょう。

私も長い間厳しいピアノレッスンを続けてきて、「音」に対する自分なりの感度を獲得するに至りましたが、だからこそ、次のフジ子さんの言葉は「まさにその通り」と言わんばかりに、ずどんと私の真ん中に入ってきます。


ポンと音を出すだけで普段の自分の人間性が全部出る。怖いと言うのであれば、自分が全部出てしまうことの怖さである。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト』

音にすべてがさらけ出されてしまうこと。それはわたし自身のためのカタルシスでもあると同時に、わたし自身を裸にしてしまう怖いことでもあります。

さて、私はピアノを大学になるまで熱心にさらっており、コンクールへの出場経験もありますが、その中でいろいろなピアニストの音を聞いてきました。しかし、陸上選手のタイムのようにはっきりと数字で結果が出るものではないこの芸術の世界で、コンクールのようなものの中で優劣をつけることに、いつも疑問を持っていました。審査員の面子を見ながら、「この先生がいるからバッハはこう弾くのがいい。。。」等の、忖度するような指導を受けたこともあり、強い違和感がありました。それに、手の小さな私はテクニック的に不利になることもありました。しかし、何を表現したいかという点では、妥協できない、揺るぎのないものを自分の中でもしっかり持っていましたので、フジコさんのこの言葉に救われました。


今の音楽の世界はテクニックが重視される。間違えたっていいじゃない。機械じゃないんだから。1つの物差しでしか音楽を測れない、心で音楽を聴くことのできる人が少ないのだ。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト』


最後に、今や世界的に有名になったフジコさんですが、音楽を通して何を伝えるのかについて、次のように語っていらっしゃいます。

私は音楽を通して一体何を伝えたいのだろう。作品に全身全霊を込めて勉強しているうちに、その作曲家の霊感も自然に伝わってくる。それは言葉で説明できるものではなく、人から人に伝わるもの。私は自分が愛した作品を通じて伝えたい。リストの人間としての偉大さ、暖かさ、かっこよさを。ショパンのやるせなさを。そしてシューマンやドビュッシーの気品を。私はピアノを通して作曲家の偉大さ、彼らの嘆き、神の存在を知らせることができればと思う。

『フジ子・ヘミング~魂のピアニスト



音楽を伝えるのではなく、フジコさんをして伝えさせられているという感覚なのではないのかなと思いました。

この本を読了する頃、「守破離」という言葉が私の中に浮かんできました。

基礎基本を徹底的にさらい、作曲家やその背景を徹底的に調べて探求した上で、そこに「自分なら」という視点を盛り込んで初めてもたらされることなのではという気がしています。ピアノを弾いているのは、もはやフジ子さんではなく、フジ子さんがフジ子さんに弾かされているのかもしれないですね。

すべての人に、特にアートを探求している人たちに読んでほしい1冊です。

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