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キツネ目の男に怯えるキツネ目の女

 ビートたけしが弟子志願者に襲われたニュースを知った際、事件の内容よりも「つるはしって今もまだあるんだ」と思った。無知な私はつるはしとは炭坑で使われていたというイメージしかなく、てっきり昭和の道具だと思っていた。教科書にある「千歯こき」とか「備中ぐわ」的な。
事件のセンセーショナルさよりも令和の東京赤坂でつるはしを持っている人がいることの方が驚き、正しい使い方でないにしろ今でも使うんだな〜と新鮮だった。昭和をほぼ経験したことがない私にとって、馴染みがない言葉や単語、今では廃れた文化は昭和のものとしてカテゴライズされる。そしてそれは同時に未知のものとして興味を引く存在になっている。

 先日ジャケ買いしたみうらじゅんの「清張地獄八景」を読み、昭和の世界に入り込める松本清張の「小説帝銀事件」を読み直した。改めて読むと事件の残虐性より、この事件検証のために細かく記された行動や戦後すぐの生活が現代と余りに違いすぎて衝撃的だった。

当時は時間を意識した生活ではなかったのかアリバイを聞いても正確な時間が出てこないし、噛み合わない。昼間から仕事よりも新年会だか歓送迎会の準備に社員総出で外出。時間潰しに義理の息子の会社を訪ねる…。

 事件の黒さが象徴するような混沌とした時代の割にのんびりしとんなと思う。衣食住もままならない時代なはずなのに人々の行動が呑気でゆったりしているというか。治安は悪いがゆっくり時間が流れることが許される時代、昭和。素直に羨ましい。あぁ、私、時間に追われてるんだろうな。緊急事態宣言が明けて、時計をみてバタバタしていることが増えてきたし。だんだん心の余白がなくなってきてる。

ならば自分でゆっくりした時間を作ろうとYou Tube断食をし、秋の夜長に読書をしている。在宅時だけでもゆっくり時間が流れる生活をと思っていたのだが、以前ハマった昭和を感じるグリコ森永事件の書籍ばかり読んでいるため、内容的に全然ゆっくりできない。心の余白とは。

そのうえ。
グリ森事件では避けては通れないキツネ目の男(の似顔絵)が怖くて困っている。NHKの未解決事件や映画罪の声など映像を観てる分、よりリアルに想像してしまい、トイレの扉を開けたらいるのではないか、ベランダに立っているのではないかと変な方向にばかり考えてしまう。読書後はトイレやお風呂に行けなくなるため、昼間に読んだり、1曲唄ってクールダウンをし、独り言を言いながらお風呂に入ったり。周りからは「意味がわからない」「また読みよるんか」「お前が犯罪者や」と言われているが、心の余白があるため、全て励ましの言葉として受け止めている。必ずホシをあげる!




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